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私に生きる源を与えてくれた人

色んな沼落ちブログを見て、私も書こうかな⁉️という意欲が湧いてきたので書いてみようと思います。普段のツイートを見てもらえればわかるよう、語彙力が欠如しているため拙い文章だと思いますが読んでいただけたら嬉しいです……。

私の人生が変わったと言っても過言では無い2020年の流れから説明したい。
それまで私は小学生の時に一目惚れしたアイドル、手越祐也くんを一途に応援していた。常日頃から、週刊誌のレギュラーか?と思うほど熱愛報道が出ていた手越くん。
本来であれば慣れてはならない熱愛報道も出過ぎると慣れてしまうようで、新記事が出る度だんだんと「あ、また出てる。」という感情に中学2年頃からなるようになった。そんな手越くんだったけれど、ステージにたっている手越くん、テレビのロケに必死な手越くん、ステージを作り上げるまでの裏側で頑張っている手越くんが本当に本当に大好きだったし、NEWSにいた頃の手越くんは本当に今でも大切で大好きでい続けている。

NEWSは2017年から四部作として、N.E.W.Sと頭文字から始まるツアーを進めていた。
3部作が終わり、S、四部作の集大成、STORYが始まろうとした頃、日本だけに留まらず世界的にウイルスが流行し決まっていたツアーが全て中止になってしまった。
当時私は高校2年生。頑張って貯めたお金をここぞとばかりに使い、いわゆる多ステをしようとしていた。
1月、2月はまだマスクもしなくて平気だった。3月になってから突然マスクは必須、学校も休校、オンラインと世界が丸ごと変わった。
それでも私は手越くん、NEWSが大好きで自宅で自粛している時も暇さえあればライブ映像を見ていた。
そんな時に出た報道、またいつも通りの報道だと思った。

「手越祐也 飲食店での会食」「手越キャバクラ」

このワードが私の目に入った時「なーんだ、またいつも通りの手越くんじゃん(笑)」なんて呑気なことを考えていた。
でも世の中はそんな簡単に許してくれない世の中に変わっていた。
手越くんの1回目の報道が出てから数週間後

2020年5月26日
私の人生の中で起きたことの無い出来事が起こった。

「手越祐也 無期限活動休止」

私はその記事を見て、信じられなかった。涙も出なかった。
日常的に手越くんの女性を伴う飲み会に関しては記事にされていたしその内容で活動自粛になるようなことはないと思っていたところでの、無期限活動休止。
その当時行われていたSMILEup!(企画名は曖昧)の企画からも降板させられ、手越くんが今何しているかの把握ができなくなった。
2017年、2018年の手越くんのライブ終わりの涙を流す姿を見て心が強いように見えて、本当は弱い部分を見せられない人なんだろう。そう思っていたから、手越くんの様子が伺えないあの状況が信じられないくらい不安だった。
後から知った情報だが、手越くんは活動休止が決まってからすぐ退所に向けて動き出してたという。

話は変わるが、手越くんの荒野行動のアカウントが流出してから私は、ゲームをしている姿を日頃から見ていた。
日常的に見ていたが、活動休止の情報が出たから数日後、突然アイコンが変わり、そのアイコンで不穏な空気を察した私は、荒野行動を見なくなった。

手越くんが無期限活動休止になってから、私は手越くんが辞めるのを察していたかのように、NEWSの手越くんに固執するようになった。
その数週間後。

2020年6月19日  手越祐也 ジャニーズ事務所 円満退所

この日私は、朝から友人と遊んで解散し、自宅でTwitterを見ていた。メールの通知もオフにしていたから、メールも来ていることに気づいていなかったし、発表された直後まだなにも知らなかった。
Twitterのトレンドを見ることが日常的だった私は、何気なくトレンドを見ていた。その瞬間衝撃的な言葉が目に入った。

「手越退所」「手越脱退」

そう、私は手越くんの脱退をTwitterのトレンドで知ったのだ。
このワードを見た瞬間、なんの言葉も出ずただ涙だけが出てきたのをしっかりと覚えている。逆に言うと、涙が出たことだけしか覚えていない。
周りの友達が気を使って連絡してきてくれたのは、トークを見返して気づいた。ここから6月末まで悲しみでまともにご飯も食べれず、オンライン授業でなければ、私は授業にも出れていなかったと思う。そう考えるとコロナウイルスは、唯一の救いであり、恨む存在でもあったのかもしれない。

ここからTwitter開設、YouTube開設、Instagram開設、緊急記者会見、FC開設、本の出版など怒涛の手越祐也ソロ活動が襲ってきた。
リアルタイムで見てた私は「手越くんが活動してくれるなら応援する」そう決めていた。
だが、エッセイ本と言いつつ衝撃の内容、見たくなかった内容の暴露本が出たり、週刊文集のグラビアなどを見て1人は応援できない。と決断をし、手越くんから離れることにした。そこから数ヶ月私は、固定した推しはできず、一生NEWSを懐古していた。

長くなってしまったが、私がきょ〜すけに出会うまでの推し活(笑)人生はこんな感じ。望んでいなかった終わり方でもうオタクなんてしたくない。そう思っていた。

手越くんが脱退して半年以上経ち、年も開けた。

2021年1月30日 21:00 PRODUCE 101 JAPAN S2
宣材写真公開日

JO1が結成するS1を友達に勧められて見ていたが、当時応援していた小松倖真くんはデビューできずもうあの思いはしたくない。そう思い見るつもりはなかった。
だが、手越くんが抜けてから魂が抜けたように毎日を生きていた私を見た友達が

「見てみなよ、手越で空いた穴埋めてくれるかもよ」

と言葉をかけてくれた。
そんな言葉をかけてくれた友達に今はすごく感謝している。その一言がなければ私はS2を見ていなかったしきょ〜すけにも出会えてなかったから。

S2はS1と違い、宣材写真を見て、投票が始まり60人に減らしてから番組が開始する。コロナ禍であるからこその始まり方だった。

宣材写真をバーッと見て、「日プ、宣材写真よりも動いてる方がかっこいい人がほとんどなんだよなあ」と思いながら下にスクロールして行った時、手が止まった。

目がきゅるきゅるで、唇も薄い、けど鼻の存在感はある。
まさに私が好きな顔のドンピシャな子だった。

「藤牧京介」という名前だった。

私はその名前を見てものすごいスピードで顔写真をタップし、歌審査の動画をすぐ再生した。

「愛してるのに愛せない」

私がすごく大切にしている楽曲で思い出のある楽曲を選考していることに喜びを感じ、歌が始まった瞬間胸が高まったのを覚えている。私は歌が上手い人が大好きで、歌を大切にしている感じがすごく、私が大好きだった彼に似ていた気がした。要するに彼に当てはまる人を探していたんだ、とこの瞬間に気付かされた。
歌声を1度聞いてダンス、1分PRなどすべて再生し終わったあと、「私は彼を応援するべきなのかもしれない」けど「またデビューさせてあげられなかったらどうしよう」「いなくなっちゃったらどうしよう」という色んな感情が入り交じった。
だが、投票開始はその日から、迷っている暇はない、と投票をした。その投票が私の藤牧京介への沼入りの道だった。
投票するようになり、動画を再生することが毎日の楽しみになった。
Twitterも専用垢を作り、同じ番組を見ている友達もできた。
そんな中流れてきた「第1回現場評価 番組観覧」のお知らせ、私は当たるわけないじゃん(笑)といいながら、でも藤牧くんに会えるなら、と応募した。
その数日後当落発表があり、なんと見事当選したのだ。

藤牧くんの初めてのステージ披露、その場に入れることが確定した私はその日から楽しみで楽しみで仕方なかった。

そして待ちに待った現場評価当日。
リストバンドを引替えて、会場内に入る。
ワクワクとした気持ちと共に藤牧くんが60人に残っているかの不安、出てくるかの不安が入り交じりどうしていいか分からなかった。

隣の人に声をかけ、気持ちを落ち着かせながら待っていると番組MCのナイナイの2人がステージに出てきた。

その後続々とステージが始まり、仲良くなった隣の人の推しは無事に出てきていた。グループが4組ほど終わっても出てこなかった藤牧くん。この時私の頭の中は
「投票が足りなかったんだ悔しい」
そんな気持ちでいっぱいだった。

自信がなくなった次の瞬間、無限大チームがでてきた。
その中に見覚えのある子がいた。
「自己紹介お願いします」とMCが言うと、本編映像にはなかったが、一人一人自己紹介が始まった。

見覚えのある子がいるチームは木村くん、西くん、太田くん、アントニーくん、尾崎くん。の順番で自己紹介をしていた。その見覚えのある子は最後に自己紹介をした。
そしてついにその子の番が来た。

「皆さんこんにちは、長野県出身21歳藤牧京介です」
そう自己紹介したのだ。

その瞬間私はどうしようも無い気持ちになり、涙が止まらなかった。「あ〜😭😭😭藤牧くんだ〜〜😭😭」
藤牧くんの夢の第1歩の手助けをできたのだ、と。
もうひとつのチームが自己紹介してる間、藤牧くんがこちらを見ているような気がしたので手を振ってみると、なんと、ニコニコの笑顔で藤牧くんが手を振り返してくれた。
ちょ、だめだ、私もうこれ藤牧くんのこと大好きになっちゃった。

パフォーマンスが始まると、私が一目惚れしたあの、歌声が幕張メッセ中に響いた。その瞬間私は、
「藤牧くんをデビューさせる」そう、決めたのです。

パフォーマンス後、自分をアピールしてください!とMCが言うとそれぞれが頑張れた理由や、ここに来るまでの苦労、などを話していて、それぞれの人生があるなあ、と感じていた。
私の好きな藤牧くんの番が来た。私のイメージでは、藤牧くんはとても真面目な子、何事にも一生懸命で繊細な気がする、そんなイメージを勝手に持っていた。

「僕のプレート持ってくれてる方いたら、上にあげてくれたら嬉しいです……ありがとうございます……これでまた頑張れます……」

その瞬間、藤牧くんは私が想像してる以上に何事にも一生懸命、かつ、可愛い一面もある、と実感した。

そこからいくつもの評価を乗り越え、藤牧くんがファイナルに行くことが確定した。
そこで私は友人と協力をし、駅広告を出すまでにハマっていた。少しでも藤牧くんのデビュー応援に繋がれば、と思っていた。
駅広告の力はすごい。
私が全然話していなかったお友達も、駅広告を見て投票した‼️とストーリーに載せてくれていたりした。

周りのお友達に「Gyao!のアカウントある?投票して欲しい」と言いまくったし、藤牧くんの魅力を伝えまくって、「🥟がそんな楽しそうなの見て安心したよ」と昔からの友人が投票してくれたこともあった。
番組が進んでいくにつれ、藤牧くんの魅力がどんどん伝わり、

2021年6月13日 藤牧京介 4位で INIとしてデビュー決定

こんなにも嬉しいことは無かった。
その瞬間に嬉し涙が止まらなかった。こんなにも泣いたのは手越くんが脱退した日以来だった。

私は手越くんが脱退してから生きる希望を、誰かを応援することの楽しさを全力で否定していた。でもそんな中、藤牧くんは私に生きてみてもいいかも、この子を応援したら楽しくて幸せな毎日を送れるかも、そう気づかせてくれた。

私はそんな藤牧くんが大好きで、たまらない。

今となっては、INIの裏ボスと言われているが実はMINIのことが大好きでたまらない藤牧くん(笑)
メンバーとプライベートで旅行に行って、砂浜にMINiって書いちゃうくらい(笑)なにそれ可愛すぎるでしょ(笑)
プライベートメールでは「おはよ〜」「おやすみ」がほとんどだけど、たまにだいすきって言葉にしてくれる、そんなところも私が藤牧くんから離れられない理由の1つかもしれない。

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