見出し画像

趣味ではなく、日々の習慣を増やしたい。

最近、ふと思うこと。
食う、寝る、スマホ触る以外の習慣を作りたい。

ここで重要なのは、「趣味」ではなくて「習慣」だということ。
「これやりたい」とか「よーしやるぞ」とか、わざわざ意気込んでやるようなものが「趣味」だとすると、もっと、日常の中でふと取り組んでいるような作業を増やしたい。それが個人的な「習慣」の定義。

今年の春から夏にかけては精神的に弱っていたため、生きるのに精一杯だった。けど、秋になり心療内科も一旦卒業。心に余裕が出てきたため、何か新しいことをやりたいなと思っていた。

でも、その「やりたいこと」がイマイチピンとこない。

私は「趣味」ならいくつかある。KPOPアイドルオタクだし、映画鑑賞が好きで週に1本は必ず観るし、絵を描くのも好きだし、1人でショッピングするのも好き。

でも、それらは目的意識を持って行なっている。KPOPアイドルなら「ライブに行く」(推しを見る、ならスマホを見るという習慣に入るっちゃあ入るけど)、映画鑑賞なら「〇〇という映画を観る」、絵を描くのも「〇〇の絵を描く」、ショッピングも「〇〇を買いに(見に)行く」。

ふと、花が好きだからフラワーアレンジメントをやろうかなと思ったけど、同じように意気込む必要があって足踏みしている。なんだろう、新しいことをしたいはしたいんだけど、なんかそういうんじゃない。

謎のモヤモヤが取れずにいたここ数日。
ふと、私が新しくやりたいことは「習慣」だったんだ!と気づいた。

それは、タランティーノ監督による映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を観ていた時のこと。
大好きな映画で繰り返し観ているのだけど、ふと、あるシーンが気になった。

テレビを観ながら、お酒を飲み、たばこを吸うシーン。

あ、これだ!と思った。

そのシーンでのお酒とたばこは、食う、寝ると同じくらい、その人物にとって習慣化されているのが見てとれた。

間違いなくテレビに集中して観ているのに、登場人物の手の動きは忙しない。その姿が、ふと、いいなあと思った。
私が求める「習慣」のかたち。ながら作業みたいで、満ち足りて見えた。

それから、私は新しい習慣を探している。

世の中には映画鑑賞も絵を描くことも、息をするように習慣化されている人はいるだろうけど。私は、お酒とかたばことか、そういうささいな、生活の補助部分みたいなものが欲しい。

仕事みたいに「人生のためになる」「インプットに良い」みたいなものはやりたくない。

私個人の意見としては、「習慣」とは、ただ自分が安心するだけ、自分だけの栄養のことをいうと思う。
とはいえお酒もたばこも苦手なので、何か他のものを探さなくてはならない。

力を全く使わないような習慣、早く見つかるといいな。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?