みやち

沖縄の小離島で家庭医をしてきましたが2022年3月退職。9月に第一子の娘が誕生しました…

みやち

沖縄の小離島で家庭医をしてきましたが2022年3月退職。9月に第一子の娘が誕生しました。今は兵庫の片田舎の妻の実家で家族を軸に新たなライフスタイルを模索中です。自然とランニングが好きでたまに登山やトレランをしています。

最近の記事

『いのちは のちの いのちへ』を読んで

家庭医として沖縄の離島で働いてきた特にこの数年間、患者のために頑張ろうとするほど、日本の「医療」という枠組みの中で感じる限界にぶつかり、コロナ渦における1人医師診療所という肉体的・精神的疲労も重なり、今年4月に退職した。 退職したもう一つの理由として、今年9月に第一子の誕生を控え、家族との時間を大切にしたかったから。計らずもがんと闘病中だった義父を、妻の実家で9月に看取り、その10日後に娘が誕生した。 そのような「いのち」の交錯する時相にまるで呼応するように、稲葉俊朗先生

    • いのちの通過点〜いのちの終わりと始まりと〜

      妻の父親というもっとも身近な家族の一人を、医師として、また家族として初めて看取った。僕の人生の転換期に大きな意味をもつその軌跡を遺したいと思い、このブログを書いている。 義父の死は、医師としても家族としても全く悔いのない、穏やかで晴れやかな最期だった。「日常の延長」のような、寂しさも悲しさもないお別れだった。最期は点滴も酸素も一切の医療を必要とせず、自然な形で看取ることができたことは、医師としても家族としても誇らしかった。 義父の療養は、兵庫の田舎町の妻の実家で、義母と妻

      • 美しい自然を目にした時の、恍惚とした一体感の様なイリョウの姿

        あまりにも細分化され、organizedされた今の医療はまるで、継ぎ目の多いちぐはぐな一枚の風呂敷の様に感じることがある。良いとこどりをしようと色んな生地を縫い合わせた結果、全体として脆く頼りない。 古くても伝統的で、地味でも素朴で、風変わりでも個性的な一枚の布で、フワッと包まれる様な温かみのある風呂敷の方が、持っていると安心するし、丈夫だと感じる。 そんな「全体性」を帯びた医療の復興が、なんだか今求められている気がする。でもそれって、癒しを生業とする優れた感性を持つ人た

        • 医師として向き合う死、家族として向き合う死

          妻の祖母が最近発症した脳梗塞で寝たきりとなった。 数日前、医師からの提案で鼻から経管栄養が始められたことを知った。大切な家族に迫りつつある人生の最期を前に、医師として、家族として向き合いたいと思い、今、妻の実家の兵庫にいる。 医師として9年、いくつもの看取りを経験し、「これで本当に良かったのだろうか」と思える死を何度も目にしてきた。結局最期は「それで良かった」と思えるような「納得」で終わっていないだろうかと、自問自答することがあった。 人生の終末期ほど、医療者と家族の間

        『いのちは のちの いのちへ』を読んで

          Love Based Medicine

          医療という世界ほど、愛が過小評価されている世界はないと思う。「正しいこと」に盲信的であり、「正しくない」ことに対して非寛容である。 医療という世界では、エビデンス(根拠)という測定可能なものに強い関心が払われることがあっても、愛という目に見えないものへ関心が払われることは意外と少ない。 このような非寛容さや、人への関心の欠如は、時として大きな矛盾を医療に生む。 医学的には最善と思える治療を行っても通院が途絶えてしまう患者、病気が良くなっても人生は好転しない人、穏やかな老

          Love Based Medicine

          島だからできないこともある、でも、島だからできることもある。

          9.11から20年。月日が経つのは早いなと感じる。あの時はまだ高校生、自宅でテレビ越しに見ていたけど、自分事には感じられず、感じるほど成熟もしていなかった。社会に対して何かをできるほど、知識も能力も、責任もなかった。 今や1人診療所医師として、沖縄の小さな離島にいる。そして今日、とある方の在宅お看取りをさせて頂いた。とても立派な最期で、僕としてはメモリアルな1日だった。 その方は、島の老人ホームに長らく入所していた90代男性で、亡くなる2週間ほど前からご飯を食べなくなった

          島だからできないこともある、でも、島だからできることもある。

          ひと山越えた先の静寂に感じるもの

          5月以来、久しぶりの感染者に、少し緊張感が漂った。人口700人に満たない小さな島で、感染者が数人出ようものなら、それは「プチ災害」に近い。 今や沖縄本島は「災害」レベル。感染した「被災者」に溢れている。リソースが圧倒的に不足していて、僕の知る医療者の間では「命の選別」すら起きている。。 津波や地震といった「目に見える災害」と違って、目に見えない分、特に僕の住むような離島では今ひとつ実感が湧きにくかったけど、そうでもなくなった。 離島は医師は1人だ。看護師も1人。感染者が

          ひと山越えた先の静寂に感じるもの

          妻との信念対立、ワクチン推進vsワクチン忌避

          新型コロナワクチンの接種が進んでいる。僕の住む沖縄県の離島でも、5月から高齢者の接種が始まろうとしている。 ワクチン接種についての情報発信も、村の広報などを通して、診療所医師という立場から、正確な情報の発信に努めている。 その一つが、村の広報誌に毎月投稿している「診療所たより」で、その原稿のチェックを、非医療従事者の視点から妻にお願いしたところ、ワクチンに対して妻との間に、埋められない信念対立があることに気づいた。 僕は、どちらかと言うと「ワクチン推進派」。でも妻は「ワ

          妻との信念対立、ワクチン推進vsワクチン忌避

          人生を立ち止まって見つめ直すブレーキのようなもの

          駆け抜けることでしか得られないやり甲斐や爽快感もあるけど、ふと立ち止まることで初めて目にする世界もある。そんなことを、昨日の診療後の散歩で目にした景色からふと思った。 診療後の夕方、気持ちよくランニングしようと家を飛び出したけど、全然いつもの調子が出なかったのでつらつらと歩きながら景色を楽しんでいたら、普段目にしない場所に、ニョキッとリュウゼツランの幹が蕾を付けて伸びていることに気づいた。 その姿は、断崖絶壁で大海原を背景に、とても凛々しく見えた。数十年に一度しか花を咲か

          人生を立ち止まって見つめ直すブレーキのようなもの

          僕たちは、見えない価値を「処方」し合いながら生きている

          今日は仕事終わりに、とある患者の80を超えるおばあちゃんに「ご飯作ったから取りにおいで〜」と呼ばれてお家を訪ねた。つい先月、夫を島の老人ホームで亡くしたばかりの、1人暮らしの方である。 夫を亡くしてから、以前よりも頻繁に手料理を作って連絡してくれるようになった。以前は月1回あるかないかくらいだったけど、最近は毎週のように、仕事が終わった後の診療所に電話が入る。 沖縄の離島は旧暦の行事に事欠かないから、先祖にお供えした料理を、親族や近所におすそ分けすることはよくあることだけ

          僕たちは、見えない価値を「処方」し合いながら生きている

          ありのままの自分に還ることのできる人、場所、こと

          誰しもその人らしく振る舞える、人や環境があると思う。僕にとってそれは、妻であり、手つかずの自然であり、アウトドアだった。 研修医時代、全力を尽くさないといけない自分を「演じ」続けていた「苦業」から逃れるように、いつの間にか手つかずの自然に惹かれ、気づいたらニュージーランドに妻と行くようになっていた。 ニュージーランドは、そんな僕の願いに応えてくれるかのように、そこにはいつもありのままの自分に還ることのできる世界が広がっていた。いつ行っても不思議と天気や出会いに恵まれ、「お

          ありのままの自分に還ることのできる人、場所、こと

          島医者が誇りにしているものと、犠牲にしているもの

          最近は毎週のようにコロナ対策関連の会議があり、その度に資料作りに診療所で遅くまで没頭する。。家に帰って一息ついても、オンコール携帯が鳴るとその度に緊張で心拍数が20ほど上がる、そんな毎日を過ごす。 離島診療所で家庭医として働いていることに誇りとやりがいを感じている反面、日々溜まっていく疲れやストレスを、未だ効率よく発散できない。 365日24時間オンコール携帯を持っている僕のような島医者にとって、島はある意味大きな「病棟」で、僕は何かあればすぐ対応できるよう毎日当直してい

          島医者が誇りにしているものと、犠牲にしているもの

          医療における「Less is More」

          年末年始の連休、この時期にしては珍しく急患のコールがほとんど鳴らず、妻と2人で穏やかな時間を過ごした。まるで新しい1年に向けて、妻とじっくり向き合う時間を用意してくれるかのように。 妻と自然の中を散策しながら(僕にとって一番マインドフルネスな時間)、今後の「目標」について考えてみた。僕は気分で動く方だから、目標設定なんて「かたい」ことは好きじゃないけど、2021年を迎えるにあたってはそれがとても有意義な気がして。 目標設定をするにあたり、幾つかの本を読んだり、所属するコミ

          医療における「Less is More」

          今この時代、医師として地域に貢献できることに感謝

          この1年、色々なことが世界で、日本で、僕の住む沖縄のこの島で、僕自身の中で変わった。時間外労働が増え、毎日のように強いストレスを抱え、一方で大切な家族と会う機会が減り、自分自身をメンテする余裕がなくなった時期もあった。 たいへん、きつい、しんどい、つい口に漏らすことが何度もあった。離島で働くことを放棄して、好き放題に生きれたらどんなに楽だろうと何度も思った。インスタグラムを見て、自由気ままに生きている人たちが羨ましかった。 とあるコミュニティを通して、1年を振り返って気づ

          今この時代、医師として地域に貢献できることに感謝

          住み慣れた場所で

          今の島に医師として勤務してもうすぐ2年が経とうとしてるけど、忘れられない死がいくつかある。よく知る2人は、超高齢で、心臓病や腎臓病を抱えた可愛い、愛らしいお婆ちゃんだった。2人とも老人ホームに入所していて、毎週の回診の度に顔を合わせてはニコニコしたり、ある時は寂しそうな顔をしていた。 2人が僕にとって忘れられないのは、2人とも、医師としての全精力を注いだつもりだったけど、最期を本人の望む場所で看取ることができなかったこと。2人とも最期は状態が悪くなって、でも良くなって帰って

          住み慣れた場所で

          離島で人生の終末期と向き合うということ

          以前働いていた超急性期病院で、たくさんの管につながれながら最期を迎える、幸福とは思えないお年寄りをたくさん見てきた。寝たきりの超高齢者で、口から栄養をとれなくなったら家族の意向で胃に管を入れられ、ある日呼吸をしていなかったらバタバタと病院に運ばれ心臓マッサージが始められ、その度に虚しい思いをしながら、ボキボキと折れる胸骨を手に感じながら胸骨圧迫をした。 日本の、沖縄の、死生観に対して強く違和感を感じる。人生の「質」よりも「長さ」を重視し、老衰を「病気」ととらえ、家族の一方的

          離島で人生の終末期と向き合うということ