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皇帝陛下の空賊

 私は“ウェスタエゲル地域防衛指揮官”を名乗る初老の男性に通され、ホコリがかった狭い部屋に入った。部屋の両脇に置かれたキャビネットとその上に山と積まれた資料からして、長く使われていない資料室に長テーブルと椅子を持ち込み、即席の会議室に仕立て上げたようだった。
 出された茶を手に取った。ありふれた陶器のカップから温かみが伝わり、緊張をわずかにほぐしてくれる。
「これは…パンノニアのハーブ茶ですか?」
「その通り。もっとも最近はあまり入ってこないがね…」
 老指揮官はまいったね、といった苦笑いの顔でこちらに微笑みかけると、目線を手元の資料に落とした。
「さて、茶を飲み交わすためだけに君を呼びつけられればよかったのだが、生憎今は戦時でそういう訳にはいかない。やってもらいたい仕事があるんだ」
 渡された資料の表紙に目をやる。
「第59任務部隊…」
「そうだ。トビー・テルミト中佐、君を本日付けで第59任務部隊の指揮官に命ずる。任務は敵の通商破壊艦の阻止だ」
 立ち上がり敬礼とともに敬礼を返すと、老指揮官はえらく恐縮した様子で座り直すように言った。
「ははは、そう固くならないでくれ!この基地でそんなしっかりした敬礼を見たのは何年ぶりかね…」
「申し訳ありません、しかしなぜこの任務を私に?またフネに乗ることが出来るのは嬉しいですが」
 老指揮官はやや真剣な顔付きになった。
「もちろんこの基地にも人員はいるんだが、ほとんどがヒグラートに出払っているからね。君のような第五艦隊の生き残りにも仕事をして貰わなければならないという訳だ」
 ヒグラート。連邦艦隊はこの死の谷に防衛線を引き、質・数ともに勝る帝国艦隊相手にどうにか持ちこたえている。私たちがリューリア艦隊戦で大敗しなければこんなことにはならなかったと思うと、自責の念に駆られずにはいられない。
「これについてはもう知っているだろうが、数週間前、2隻の帝国艦がヒグラートの防衛戦をすり抜け、さらに追跡する航空隊を振り切って北へ消えた。この帝国艦はその後、大胆にもいくつかの連邦基地の捜索範囲内で行動を続け、商船や小規模な哨戒艦隊を叩きながら逃げ続けている。まさに神出鬼没だね」
 話を聞きながら資料に目を通す。敵戦力はアクアルア級重巡1にバリステア級軽巡1、これと恐らく複数の艦載機。小規模だが、それだけに捉えづらいという事か。
「君には装備の調達や人員の選出も自らやってもらう事になる。利用可能な艦船についてはその資料の最後にリストがある。北方の辺境艦隊から移送されてきた旧式艦やスクラップヤード行き直前の艦ばかりだが、どうにか活用してもらいたい」
 末尾のリストを開こうとしたとき、敵の指揮官の顔写真と名前が目に入った。やや痩せ気味で緊張感のない顔に無精ひげを生やした男。彼こそが “空賊戦隊” の指揮官、ディートマー・クロッツだった。

「ふわあぁ…」
 艦橋から差し込む陽光に思わず欠伸を零すと、緊張感の無さを咎めるように副官の鋭い視線が飛んできた。
 いいじゃないか別に、と心のなかで文句を呟きながら俺は軍帽を被り直した。この戦隊―正式名称を ”第3襲撃戦隊” と言うのだが―はもう一ヶ月以上もこのウェスタエゲルをたむろしては、連邦艦を沈めながら逃げ回っている。景色は単調で、余剰の戦力が無いからか連邦の捜索部隊の密度も薄い。つまるところ暇なのだ。欠伸の一つくらい仕方がない。
 呆れ顔の副官が口を開く。
「随分呑気ですね、ここは敵地だというのに…」
「本国にいた方が敵に囲まれてたよ、ここはむしろ気が楽なくらいだ」
 実際、俺は本国の連中とウマが合わなかった。貴族学校時代にどっかの貴族のバカ息子に生肉を投げつけて目耳省の役人に追われ、逃げるように士官学校に入ったまでは良いものの、やはり軍隊も肌に合わなかった。自分の艦を持ってからは幾分マシになったが、一挙手一投足を咎められているようで落ち着かなかった。艦長席で靴を脱いだり机に足を置いたりしたのがそんなに悪い事なのだろうか?
 その点、連邦にはうるさい上官も無表情な目耳省の連中もいないのだから、比べるまでもなくこちらが天国だ。
 副官が反論する前に机の上にある紙束を掴み、目を通す。昨日沈めた貨物船からの押収品リストだ。
 燃料用薪が約500kg、酒樽12個、干しクルカ肉約50kg。リストには無いが船長が持っていた高価そうな懐中時計も押収した。それから大量の連邦レーションも押収したが、全てその場に投棄したためリストには無い。いかにも軍に徴用されたフネといった積み荷だ。
「もっと商船を捕まえられたら実入りもいいし船員の士気も上がるんだが、なかなか狙った通りにはならないな」
 これで商船2隻、徴用貨物船5隻、軍の輸送船3隻、駆逐艦2隻、船を輪切りにしたような浮き砲台2つを沈めたことになる。厄介払いとして自殺同然の作戦を押し付けた司令部がこの戦果を聞けば間違いなく耳を疑うだろう。実際先発した第1・第2襲撃戦隊は戦果を挙げる間もなくヒグラートで消息を絶っている。
「だが連邦の奴らもそろそろ本腰を入れて対策してくる頃だ、これからは簡単には行かないだろうな…」
 そう言いながら艦橋の窓の外を見やると、空に分厚い雨雲が出始めていた。この砂漠に雨が降るのはいつぶりなのだろうか?

 装備と人員が揃い出港出来たのは、任務部隊指揮官に任命されてから10日ほど経った頃だった。
「それにしても、最初に”オンボロ輸送船と駆逐艦だけであの空賊に挑む”って聞いたときは自殺志願者かと思ったぜ」
 特務船インベリオンの艦橋でそう口を開いたのは、副官兼飛行小隊長に任命したファルロフ中尉だ。階級こそ下だが軍歴は15年以上長く、歴戦の証が皺となって、ザイリーグ人らしく浅黒い顔に刻まれている。
「大規模な部隊を差し向ければ彼らは容易に察知して逃げていくだろう、逃さず仕留めるには最小限の戦力と奇襲が必要なんだ」
「理屈はどうあれ、小を以て大を打ち倒すってのはいいと思うぜ。俺たち飛行機乗りにとっちゃ本懐だからな」
 そう言うと、中尉は機体の整備のため貨物室に降りていった。この特務船インベリオンは元々陸軍の中型輸送船だった物を改装した物で、いくらかの武装が追加されているほか、艦載機としてレイテア偵察機4機を搭載している。そして、この作戦の鍵となる秘密兵器もまた、この艦の船倉に収められている…

「敵艦発見!民間貨物船1、駆逐艦1!」
 艦橋要員の鋭い声によって心地よい眠りから叩き起こされた俺は、軍帽を被り直しながら詳細な報告を命じた。敵艦隊は中型輸送船をコンスタンティン級駆逐艦が先導する形だ。やはり連邦も警戒し、貨物船にまともな護衛を付けたという事だろうか?
 副官から望遠鏡を受け取り敵艦隊をよく観察すると、貨物船の煙突から物凄い量の黒煙が吹き出しているのが見えた。ボロ船に付き物な機関の故障だろう。
「…総員戦闘配置。先頭のコンスタンティン級に照準、合図次第発砲しろ。後方の軽巡ルアーリアにも伝達しろ」
「了解!…コンスタンティン級、離脱していきます!」
「貨物船を見捨てたのか?まぁあれを連れたままでは逃走出来ないだろうし、妥当な判断ではあるが…」
 輸送船の周りは開けていて待ち伏せに使えるような岩場はない。俺は貨物船に停船して降伏するよう通信させた。向こうも逃走を試みてこちらに艦尾を向けたが、機関修理の目処が立たなかったのかすぐに停船した。
 軽巡ルアーリアが貨物船に近づいていく。何事もなければ、このまま敵船と接舷し、貨物を押収して、捕虜を救命ボートに載せ近場の連邦基地に流せば仕事は終わりだ。
 俺は戦果リストに商船1を加えようとして、やめた。その時、爆音とともにルアーリアの生体器官が弾け飛んだからだ。

「敵艦距離約1ゲイアスまで接近!」
「よし、手筈通りにやるぞ。軍旗を!」
 号令とともに、まず艦橋上部と艦尾に軍旗が掲げられた。船体側面に被せられた布が外され、民間船に偽装し青色に塗られた船体に似合わない、連邦軍章があらわになった。
 偽装のため出力を落としていた機関に再び火が入り、攻撃位置を微調整する。
 続いて砲を覆っていた厚織物の覆いが取られた。廃艦になった重巡から引っ剥がされて倉庫に眠っていた20cm砲を単装砲架に収めたもので、この船の最大火力だ。
「撃ち方始め!」
 甲板に並べられた20cm砲とその他複数の火砲が一斉に火を吹き、至近距離からバリステア級軽巡の生体器官を粉砕した。浮力を失いゆっくりと落ちていく敵軽巡を盾にして、インベリオンの後部貨物搬出入口が開かれた。
「秘密兵器の護衛は任せな!」
 ファルロフ中尉から通信が入る。重い腰を上げた敵重巡からグランビア戦闘機が吐き出されると、貨物室側面ハッチからレイテア偵察機が飛び出した。その様子を確認した私は、”秘密兵器”の発進を命じた。

「ルアーリア浮力喪失!落ちていきます!」
 軽巡ルアーリアから船員を載せた救命ボートとバラバラになった生体器官が飛び出していくのを見て、俺は暫く呆然としていた。
――やられた!
「商船…いや、偽装輸送船に照準!すぐに発砲しろ!艦載機も全て発艦させろ!」
 待機していたグランビア隊が離艦すると、対抗するように偽装輸送船からも敵機が出撃した。だがこちらの8機に対して向こうは4機。数的優位は歴然だ。
 そもそも落ち着いてみれば、ルアーリアを失ったところでこのアムリアと敵艦の戦力差は明らかだ。それなのに戦闘を仕掛けてきたという事は、どうしようもないバカか、さもなければ秘策を隠しているかだろう。
 もし後者なら何が考えられる?空雷?こちらと向こうは2.5ゲイアス以上も離れている。両手両足で数え切れないほど空雷が飛んできても回避運動が間に合う距離だ。大口径砲?当たる保証がない上、向こうの装甲は貧弱でほとんどノーガードだ。撃ち合いという選択肢は取れない。
 俺が思案していると、その答えは敵艦の後部ハッチから現れた。

「“ガレオン号”、発艦します!」
 通信とともに発艦したそれは、通常空雷搭載型ランツァーだ。だがそのシルエットは巨大なロケットブースターによって大きく歪められている。戦略空雷用の予備を拝借したそれはガレオン号を機体の耐久限度ギリギリまで加速し、空雷の必中距離まで届けるためのものだ。
 ブースターに火が入り、ガレオン号は急激に加速し、白い尾を引きながら敵艦に飛び込んでいく。インベリオンには気休め程度の装甲が内張りされているが、重巡の主砲が命中すればその部分はえぐり取られるように無くなるだろう。距離と確率、そしてわずかばかりの幸運が我々を守っている間にケリを付けなければ、狩られるのはこちらだ。

 後部ハッチから現れた何かは砲弾のような速度でこちらに飛び込んでくる。しばらくしてそれが何であるか分かった。
「ランツァーだ!!」
 操舵手の悲鳴のような叫びが艦橋にこだまし、パニックが艦全体に伝播していく。
「落ち着け!あいつはバケモノみたいな空雷を積んでないハズだ、後ろに崖が無ければあれは無意味だからな!」
 パニックを落ち着かせようと叫ぶが、船員たちは気が気でない様子だった。ヒグラートで実物を見てあの爆発、そして窓の外に艦と同じ大きさの岩が降り注ぐのを見れば無理もない事だ。
 ランツァーは加速しながらこちらに向かって突き進む。敵機と交戦していたグランビアの1機が異変に気づき阻止しようと機首を向けたが、レイテアが巧みな機動で後ろに付きやすやすと撃墜して見せた。
 近づけば逃げ、離れれば追いかける。あのレイテア隊は制空や対艦戦闘のためではなく、こちらの航空戦力を引き付け、ランツァー迎撃に向かわせないための囮だったのだ。
「迎撃用意!」
 砲雷長の叫ぶような号令で砲がランツァーを向く。一斉射撃が浴びせられるものの、あまりの速度にかすりもしない。
 ランツァーが機銃射程に入った瞬間、8連装空雷が火を吹いた。
 艦の全体に激しい破壊音が鳴り響いた。振動は艦橋にいた全員を椅子から引きずり落とし、あるいは転ばせて床に叩きつけた。
「…クソッ、被害報告を…」
「推進担当生体器官全損、主砲塔1基と舷側砲2基が機能喪失!」
「垂直舵が効きません!」
 どうにか起き上がり顔を上げると、割れた窓からランツァーが見えた。全ての空雷を撃ち切りブースターも切り離して身軽になった船体で、この艦の直上を通過し滑るように飛び去っていくその姿を、ただ見送ることしか出来なかった。

 作戦は成功に終わった。ガレオン号が放った4本の空雷のうち2本が敵艦に突き刺さり、その移動能力を失わせたのだ。
 しかし、これは作戦の全面的成功を意味しなかった。敵艦の主砲塔のうち1基はまだ生きている上、舷側砲も恐らくは射撃可能だろう。攻撃能力を維持している敵に対してこの艦が近づき、降伏勧告するのは非現実的だ。
 ガレオン号とレイテア隊を収容し次第撤退せよ、そう命令しようとした時、通信士の声が遮った。
「駆逐艦コニスが戻りました!準戦艦ハシカリを連れてきたようです!」
 艦橋のガラス越しに、2本煙突の大柄な艦と葉巻のような細長い艦が、夕日を背にこちらに近づくのが見えた。
 コニスに“非情な護衛役”を任せたのは、貴重な戦闘艦を巻き添えにしたくない、インベリオンをより無防備に見せたかったというのもあるが、起伏が激しく長距離通信が通りにくいこのウェスタエゲルにおいて、確実に増援を呼ぶための伝令役でもあった。
「こちらは帝国第3襲撃戦隊戦隊長、ディートマー・クロッツだ。見事に一杯食わされた。貴艦に降伏する」
 唐突に入った通信は、その声に悔しさと、そして自惚れることを許されるならば幾ばくかの敬意を含んでいたように思えた。

 第3戦隊の船員たちはそのほとんどがアダナ級準戦艦に収容されたが、俺と一部の艦橋要員は偽装輸送船に招かれた。このフネはインベリオンと言うらしく、この作戦のために特別に改装されたとのことだった。
 俺たちを出迎えた連邦の司令官はカノッサの原住生物のようにガッチリした体つきで、軍服に身を包んだその姿は真面目が服を着て歩いているようだった。この男があのように機知に富んだ作戦を立案したとはとても思えなかったが、本人の談によればそれで間違いないようだった。出された茶も見かけによらず、繊細なパンノニアハーブ茶だった事を覚えている。
 結局、俺たちは捕虜としての2年ほどをウェスタエゲル基地で過ごした。その後南北で暫定停戦が結ばれ、帝国に帰りたいという者は帰っていった。
 だが、俺や一部の船員たちは帰ろうという気にならなかった。結局俺たちは連邦への亡命という形で市民権をもらい、連邦軍に入隊した。

 暫定停戦が破られると、私は再び第五艦隊の一員として前線に赴いた。乗艦としてアダナ級準戦艦6番艦”インベリオン”が与えられた。決して楽ではない責任ある仕事だが、誇りある仕事でもある。
 ある日、第五艦隊第一支隊の演習がウェスタエゲルで実施される事となり、同支隊旗艦であるインベリオンは先発してウェスタエゲル基地へと向かった。この演習は暫定停戦後に新規編成された、教導部隊隷下の仮想敵艦隊との演習だ。第五艦隊がヒグラートの前線に貼り付けられていたために、私はこの時まで仮想敵部隊を見たことがなかった。
 懐かしいウェスタエゲル基地のドックに足を下ろすと、隣のドックにアーキルグリーンで塗装されたアクアルア級重巡が見えた。恐らく今回の演習ではあれが仮想敵艦隊の旗艦を務めるのだろう。
 挨拶しようと副官を伴って赴いた丁度その時、その船からも指揮官が降りてくるのが見えた。忘れてしまうにはあまりに印象的な出来事の主役を努めた、緊張感のない顔の帝国人が。

「やあ、あの日の借りは返させてもらうぞ」
「受けて立ちますよ、空賊の首領殿」


帝国第3襲撃戦隊 "ウェスタエゲルの空賊戦隊"
戦隊長:ディートマー・クロッツ
旗艦:アクアルア級重巡空艦 "アムリア"
バリステア級軽巡空艦 "ルアーリア"
艦載戦闘機グランビア ×8

連邦第59任務部隊
指揮官:トビー・テルミト
旗艦:特務船"インベリオン"(元"中型輸送船35號")
20cm単装砲×2、8cm単装両用砲×4、5cm単装多目的砲×8、機銃多数
改ランツァ―級大型空雷艇"ガレオン号"、偵察機レイテア ×4を搭載
コンスタンティン級駆逐艦 "コニス"
(ウェスタエゲル基地所属:アダナ級準戦艦 “ハシカリ”)

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