「呼び捨てしていいよ」

 呼び捨てするような間柄の友達がいない。別に、それが良い悪いといった話をしたいわけではない。

 中学時代、仲良くしてくれた女の子が二人いた。移動教室やら体育の時間やら、いつも一緒に行動したことを覚えている。「彼氏がさ〜」などと、少し背伸びしたい年頃だったのか、そういう可愛い話も沢山した。
 「私のこと、呼び捨てしていいよ」と言ってくれた日のことを、いまだに覚えている。当時の高揚感も思い出せる。ちゃん付け→呼び捨てにレベルアップすると、何だか関係性が特別になってしまったような気がして、それがひどく嬉しかった。親友とまでは言わないかもしれないが、友達以上の何かだったのではないのだろうかと、二人に対して、そんな感情を抱いていたような気がする。

 別々の高校に進学して、今は連絡もとってない。成人式や同窓会で会うことができたら、きっとよそよそしくなってしまうだろうし、学校生活を送っていた頃には戻れないかもしれない。寂しい。とても寂しい。

 高校でできた友達のことは、ずっと「〇〇ちゃん」と呼んでいるし、今更呼び捨てにするのも変だ。ただ、呼び捨てで呼び合っているクラスメイトを眺めて、少なからず羨望していたことは事実。呼び方の差って、一体何なのだろうか。

 その点、男子には(苗字や名前に関わらず)呼び捨てされていたし、大して仲良い訳でもない相手に、自然に呼び捨てできてしまうって、いいな。私にはできないな。と思っていた。

 正直、女子同士の会話というのは、個人的に聞くだけで疲れてしまう。「わかる〜」と言うだけ言って、各々の感情は無視されてしまっているようで、会話って本来そんなんじゃないのに……と、ろくに会話もできやしないのに思ってしまう。教室は、会社の給湯室かもしれない。

 数年前から、小学校で「あだ名禁止」「さん付け推奨」指導が広がっているらしい。個性が無くなってしまうというか、生徒間の距離が広がってしまうのではないだろうか。ジェンダー問題の配慮も含まれているのかもしれないが、浸透してしまう日が来るのかと思うと、悲しくなる。

 どうか、子供たちが生きやすくなってほしい。
校則も大事だが、あまり窮屈に縛られることなく、思い思いに生活してほしい。

 ああ、学生に戻りたい。

 最近、高校生に戻っている夢を見ることが増えた。生まれ変わることができたなら、自由に制服を選べる世界でありますように。

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