「いつ、日本は建国されましたか?」 この問いに答えることのできる🇯🇵日本の若者は 何%? ・・・(🇺🇸アメリカは90%、🇨🇳中国は100%です…)
中国共産党のウソだらけ嘘800の建国バナシを、中国では100%の中国人に洗脳しているなんて…、本当にオソロシイ話です。日本の歴史学界?会?は、まるで…中国共産党のように真っ赤っか…だそうだから、日本を貶めるような事には一生懸命です。日本の教科書は、特亜3国が喜ぶように歪められています。変なの…。
それにしても・・・、「炭素14年代計測法」という新しい調査方法で、驚くべき〜発見がされたり、弥生時代の大阪の地層を測定した結果「神武東征」の記述内容と地形が見事に一致したという事実を、もっと日本のマスゴミは、大々的に報道するべきなのに知らんぷり。自国の良さをアピールできない、変な国🇯🇵日本… 🐧💦
真・日本建国史
https://in.newhistory.jp/take_2110_old (10月5日まで公開ビデオ)
< ↓この人物は誰? >
あなたはこれが何か分かりますか?
・・・
これは、戦前まで小学校で
普通に使われていた歴史教科書。
日本の「国家誕生」について
述べられた冒頭のページです。
右上に大きく描かれる人物は、
誰だか分かりますか?
この人物は、
今からおよそ2700年前、
宮崎県日向市に誕生した、
日本国家の「英雄」です。
戦前までの小学生は、
この英雄の物語を中心に...
「日本の誕生 = 日本建国」
を教わっていました。
さて、この人物とは誰で、
戦前の小学生が学んでいた
物語とはどんな話なのでしょうか?...
新しく制作したビデオで
この英雄の秘密を
徹底検証していきます。
↓
英雄の秘密に迫る
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< 宮崎県に伝わる、2700年前のお祭り >
「起きよ!起きよ!」
旧暦8月1日、午前4時
子供たちが、家々の戸を叩きながら
町民を起こしていきます。
宮崎県、美々津の町に
遥か昔から伝わる
「起きよ祭り」の始まりです。
その起源は、
およそ2700年前に
由来していました。
初代:神武天皇一行が
「建国」の旅へと
出発する際、
この地から船出されたと
伝えられており
風向きが変わり
急遽、予定より早く
出発することになった知らせを受け
町の人に
「起きよ!起きよ!」
と声をかけて回った様子が
この祭りの所以とされています。
現代に、お祭りとして息づく
日本「建国」の物語。
実は、このお祭りに限らず
日本の至る所に
建国の物語が
記憶されていました。
こちらの動画では、
各地に残された、遺跡や伝承を辿り
「どのように日本が建国されたのか」
日本のルーツを辿っていきます。
↓
日本の「建国」に迫る
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< 神武天皇は実在した?驚きの研究結果 >
「誰が日本を建国したのか」
「いつ日本は誕生したのか」
現在、この問いに
答えることのできる若者は
ほんの僅かしかいません。
なぜなら、
戦後、私たちの「建国」は
ある者たちに
奪われてしまったからです。
↓
失われた「建国」に迫る
*****
「炭素14年代計測法」
という新しい調査方法で
驚くべき発見がされました...。
弥生時代の大阪の地層を
測定した結果、
「神武東征」の記述内容と
地形が見事に一致したのです。
古事記や日本書紀には、
このような記述があります。
「まさに、難波(ナニワ)崎に
つこうとするとき、
早い潮流があって大変早く着いた」
「川をさかのぼって、河内国日下村についた」
この難波(ナニワ)崎とは、
現在の大阪城あたりを示しています。
現在は、見渡す限り
陸地が続いていますが、、、
最新の地盤調査の結果
(引用元:「大阪平野のおいたち」に加筆)
実は、かつての大阪では、
大阪城付近まで「海」が広がり、
内陸地には「干潟」が出現していたことが
明らかとなりました。
さらに緻密な研究により、
大阪城付近には、
非常に早い潮流が存在し、
干潮時には「川」が出現。
容易に川の末端まで
いくことができたと
分かったのです。
ここで、
「記紀」の内容をもう一度
思い出してみましょう。
「まさに、難波(ナニワ)崎に
つこうとするとき、
早い潮流があって大変早く着いた」
「川をさかのぼって、河内国日下村についた」
まさに、神武東征の描写が、
当時の大阪の地形と
見事に一致したことが
証明されたのです。
ちょうどこの地形があった時代は
紀元前1050年〜前50年であり、
神武東征があったとされる時期とも
重なります。
一体、これは
神武東征の現実性を
示唆しているのでしょうか。
また、この地形だけでなく
神武東征のルート
ほぼ全ての地域において
「神武天皇が存在した」
という伝承や遺跡が
数多く残されていました。
もし、神武東征が
存在していなかったとしたら、
地元の人々が大昔から記憶し、
遺跡や伝承として残るものでしょうか…
数多く発見される
このような証拠を無視し
「神武天皇は存在しなかった」
と断言する歴史学者の姿勢は
正しいと言えるのでしょうか?
戦後、大きく変わってしまった
日本の歴史、そして
歴史学会の「闇」について
明らかにした動画を
特別に公開します。
なぜ私たちは
日本の「建国」を知らないのか。
戦後、日本では
どのような教育改革があったのか。
この動画を見ることで
戦後に辿ってきた教育の
真実に迫ることができるでしょう。
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< 祝福されない「日本建国」 >
たった6年の占領期間で
2700年の日本の歴史が
抹消されました。
戦後、教育会を
牛耳ったGHQにより
日本の「建国」が
すっぽりと抜き取られて
しまったのです。
彼らが、どのように
「日本建国」を消し去ったのか?
その真相を
こちらのビデオで特別に
公開しています。
↓
消えた「日本建国」に迫る
*****
「いつ、日本は建国されましたか?」
・
・
・
2月11日、
「建国記念の日」でしょ?
...と、答えられたのであれば
正解です!
しかし、、、
戦前まで
この建国記念の日は、
「紀元節」と呼ばれていたことを
あなたはご存知でしたか?
そもそも2月11日とは、
初代:神武天皇が即位された日であり、
戦前まで、国家の最も重要な祭日
「紀元節」として
盛大にお祝いする日でした。
しかし、戦争が終わってから、
この紀元節は問題視されます。
「国が紀元節を祝日にしていることは、
神武天皇の存在を認めることと同じ。
紀元節を認めることで、
日本人の愛国心を
高めてしまうのではないか?」
戦後日本にやってきたGHQは
このような懸念を抱き、
紀元節は廃止に追い込まれて
しまったのです...
でも、当時の日本国民は、
紀元節の廃止を
素直に受け入れることができませんでした。
日本建国の歴史そのものが失われてしまう...
国民の怒りと強い反発から、
代わりとなる祝日を制定する動きが
高まったのです。
そうしてできたのが、
「建国記念の日」です。
・・・
そんな想いで復活された
建国記念の日ですが、、
教育から「建国」の歴史が
抹消されたがために、
今では、この日に
建国を祝う国民も少なくなりました。
ここに、このような
統計結果があります。
「いつ、日本は建国されましたか?」
この問いに答えることのできる
日本の若者は
たったの
でした。
一方で…
日本在住ではあるものの、
自国の建国・独立の日を正しく
答えられた
米国人、中国人は
という結果です。
これも
教科書で「建国」を一切習わない
日本人にとって
仕方のないことです。
GHQは
地道に日本建国の歴史を抹消し
歪められた教育を受けたものが
「歴史」を教えるという
負の連鎖を確立させ
GHQの思惑通りに、日本建国は
人々の記憶から抜けています。
GHQは一体
どのような政策で
日本の「建国」を抹消し、
私たちは、何を失っているのか。
その真相をこちらのビデオから
ご確認ください。
↓
失われた「日本建国」に迫る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
< 「背骨」を抜け取られた日本人 >
『真・日本建国史』
「神武天皇とヤマト王権の謎」編
*****
1945年12月31日。
GHQの指令の下、
「修身、国史、地理の授業の停止」が
各学校に要請されました。
この指令の後すぐに
全ての教科書を回収され…
日本の美徳を育む
修身の授業も全て禁じられました。
・・・
翌年10月。
GHQの徹底的な検閲を受けた
教科書を使用する条件の下
「国史」の授業が再開。
新しい教科書が
配布されたのですが、
その教科書は
目を見張るものでした。
戦前のものと大きく
かけ離れた内容だったのです。
アマテラス大神や神武天皇といった
日本の建国神話は
スッポリと抜き取られ
日本の皇室は2,000年以上続く
世界最古の皇統であることも
消し去られていました…
一体なぜ、GHQは
教科書に
目をつけたのでしょうか。
それは...
彼らが日本を異常なほどに
恐れていたからです。
兵隊、装備、資源...
全てにおいて、
はるかに上回る大国アメリカを相手に、
最後の最後まで戦い抜く
その日本人の驚異的な敢闘精神に、
米兵は恐怖心を抱きます。
「日本人のその凄まじい精神は
どこから来るのか」
日本研究グループも設立され
日本人の力の”源泉”つまり
「日本人のバックボーン(背骨)」
が何であるのか、調べ尽くされました。
そして、彼らが導き出した答えが
日本の「神話」だったのです。
・・・
それから75年以上たった今現在も
いまだに学校教育では
「神話」や「建国」を
教えられていません。
世界中のほとんどの国は
必ず建国の歴史を教わるにも関わらず
日本の教科書には、
自国の成り立ちが一切
記されていないのです。
GHQは実に的確に、急所をついてきた
と言わざるをえない状況です。
このままでは、確実に
何千年と受け継がれてきた
日本の建国の歴史が
失われてしまうでしょう。
しかし、、、
「日本人の背骨」を取り戻しさえすれば
日本は再び蘇ることができます。
活力を取り戻し、
もう一度強い国になることができます。
戦後断ち切られた
正しい日本の建国を伝え、
子供や孫、その先の未来の日本人にも
日本の建国を繋げていきたい。
そのような思いで
田中先生と共同で制作したのが
新講座『真・日本建国史』
〜神武天皇とヤマト王権の謎〜です。
日本誕生の本当の歴史を
「建国」の歴史を
あなたと一緒に繋いでいければ幸いです。
*****
既にご購入いただいている方から
以下のような言葉をいただいています。
ぜひ、ご参考にしてください。
*****
真・日本建国史
「神武天皇とヤマト王権の謎」
田中先生の物語はいつ聞いても面白い。
歴史というものはどういうものかを
教えて下さる。
日本の歴史、神武東征のお話は、
大変面白く伺いました。
記紀を基に、古墳や発掘された事実を取り込み、
説得力のある物語を構築されと思います。
By よっちゃん様
*****
「神武天皇と大和王権の謎」
神話は歴史書と田中先生はおっしゃいましたが、
その通りだと思います。
一部不合理なところはありますが、
全部創作ではない、
言い伝えとゆうことです。
何かそのようなことが起こったということです。
それが、物証として地名、神社や仏閣、
遺跡として残っています。
鹿島神宮と高天原、九州への船での移動、
その後の東征、どれも理解できます。
私は戦後教育を受けましたが、
ようやく日本神話と神社、
日本人の心について納得がいきました。
by 久米 正幸様
*****
「神武天皇の立ち位置と日高見国に慧眼」
中央集権国家は
天智天皇・天武天皇の頃との認識でしたが、
紀元前からの流れであり、
日本という国家意識を持って国を統一されたのが、
神武天皇だったのですね。
多くの学者が微視的な歴史解釈ですが、
先生の巨視的視点はとても大切だと思います。
by 坂本静子様
*****
日本人として、知っているべき
日本建国の歴史
どのように「日本」が建国され
2600年以上続く
世界最古の国:日本は
誰によって建国されたのか
先祖が残してくれた
壮大なメッセージを
共に未来へとつなげていきましょう。
↓
日本建国の歴史を繋ぐ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(国際インテリジェンス・メルマガよりの抜粋です)
◆田中英道『高天原、大和は関東にあった!東京の歴史』を読み解く
・現在、東京に皇居があり、
首都が置かれていることには必然性があったわけです。
・太田道灌が城を築く地として、
徳川家康が幕府を開く地として江戸を選んだのは、
偶然でも肥沃な平野だからという理由だけでもなかったのです。
・もうひとつ、関東の優位性を考える上で、
あまり指摘されてはこなかったものの、
私がその重要性を強調したい要素に「富士山」の存在があります。
・もちろん、山があるところでは山を仰ぐわけで、
チベット人などと同様に、
日本人も山に聖なるものを感じてきました。
・高い山を仰ぐときに初めて超越的なもの、
神を感じるというのは自然信仰の原則のひとつなのです。
・東京人にとっては、そういった信仰の対象となる山が
いつも見えている富士山だったということです。
その富士山はどのような意味を持ち、
どのような存在としてとらえられてきたのでしょうか。
・富士山の見える場所が日本の中心
・その姿が見えなくてもこれほど信仰される神の山ですから、
実際に富士山が見えることは、
さらに大きな意味を持ってきます。
・富士山が見えるという理由だけで、
その土地は富士の神域と考えられるのです。
・つまり、人々が常に富士山を仰いでいることによってその加護を受け、
その信仰圏のなかにいるという安心感を
得ることができる関東一円の地域は、
富士山によって守られている特別な土地なのです。
・やはり本書で触れたフランスの文化人須学者レヴィ・ストロースが、
日本の神話は歴史と
結びついている稀有な例だと語っています。
・東京は、
まさに東の天照大神のおられる太陽の昇る地方、高天原の一角にあったと
想定することも決して無謀ではありません。
・天照大神のおられる、太陽が
日本列島に昇る地方に東京があるということになります。
その地方を、人々の、天の原なる富士山への
崇敬の念「富士山信仰」が守りつづけてきたのです。
※コメント
大胆な仮説であっても、
そうなのかな、と思わせる
田中氏の筆力にうなってしまう。
いろいろな気づきを与えてくれる。
★田中英道
『高天原、大和は関東にあった!東京の歴史』
の詳細、amazon購入はこちら↓
★田中英道
『ユダヤ人埴輪があった!日本史を変える30の新発見』
の詳細、amazon購入はこちら↓
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・ 日本人の必読の書です
戦後日本(左翼)の狂気の沙汰が、さまざまな作家を通じて理解できる、野党や左巻きの左翼マスコミのひどい、醜い報道の根拠が了解できる、フランクフルト学派だったのです、やたら弱者を持ち上げ被害者意識をあおる、単純な心理作戦、
一般大衆を巻き込んでいくユダヤ思想に淵源があり、迫害された彼らの態度は反権力で、アカデミズムの中に入れば安全であると、反日歴史感はこのようにはぐくまれた、
東大教授が戦後のGHQの焚書を手伝った、国立大学の教授が反日的行動をとっていた。まったく信用できない、緊張感のない左右の議論は海外からあきれ果てられる。
日本を今のような弱体な状態に放置しておくことをアングロサクソンの米国や英国が望んでいたし、いまも望んでいるという悪意を読み取らねばなりません。
まったく能天気でそのお先棒を担いでいる左翼の哀れさに悲しさを覚えるでしょう、ついぞ自覚しないまま反日的態度をとり続ける彼らの末路は惨めでしょう、
なぜなら、一番彼らを信用しないのが彼らが辛抱している中国であり韓国であるからです、中国や韓国は金は渡すが軽蔑しているわけです、なぜなら彼らは国を裏切る人間が一番信用できない。
本当のノーブレスオブリュージュは日本人の庶民感覚に根付いてます。半端なえせインテリの世迷言に惑わされるのはもうやめにしましょう。
・ またまた孤高の学者の名著が出た。というのも、保守の学界、評論界で、これほど左翼学界の理論に精通し、彼らの欠点を指摘できる研究者がいないからだ。
フランクフルト学派、そして左翼ユダヤ人学者のグローバリゼーション理論、カルチュアル・スタデイーズ、ポスト・コロ二アリスムといった左翼理論だけでなく、今回は左翼の歴史理論を徹底的に叩いている。
朝日推薦のダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』などは、日本が銃をもっていたことを全く無視した無理な歴史理論だとか、テルアヴィブ大学のユダヤ人学者の『文明と戦争』を取り上げて、その戦争認識の誤りを攻撃している。
ハーバート大学のゴードン教授の日本の南京虐殺のでっち上げを糾明し、さらにピケッテイの『21世紀の資本』まで取り上げ、その格差論に、革命展望なき階級社会論を糾明している。
ペンネームらしい書評子も、師匠と変わらぬ筆鋒で書いているのも頼もしい。羽田正、福永文夫といった新進の日本左翼歴史家も、そのあやしげな左翼性が批判されている。
後半は歴史認識の正しい側を述べており、発禁だったビーアドの日米戦争の分析、そしてレヴィ・ストロースの日本論など、同じユダヤ人学者でも分裂していることを取り上げている。
多分、左翼歴史学者が多い日本の学界でも評論界でも無視されるだろうが、それでも保守の歴史学界の堂々たる書評本である。これを読んで、この日本の学者の領域の広さ、深さに感心するばかりだ。頑張れ、孤高の学者よ。
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(倉山満氏はクセが強くてチョッとあれですが・・・🐧💦)
■蒙昧にして臆病なる“歴史学者”どもへ
蒙昧にして臆病なる“歴史学者”ども。
ねずみの尻尾の先ほどでも勇気があるなら、”学会ムラ”を出て堂々と言論で決戦せよ。
その勇気がないなら、内実のない自尊心など捨てて降伏するがよい。
命を救ってやるばかりか、無能なお前たちが食うに困らぬていどの財産を持つのも許してやる。
※『銀河英雄伝説』の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムに倣って
2018年新春早々、発売となった月刊くらら1月号。
そもそも、なぜ本書が書かれたのかというと、ビジネス社の担当者が「どの民族が世界で一番愚かかを比較する本を書いて下さい」と依頼してきたのが始まりだったとか。
そんな依頼をする方もする方ですが(笑)、倉山満先生は即答で「国民国家論でいきましょう」と答えたのだそうです。
「倉山満の国民国家論」「格調高いヘイト本」という“キーワード”が散りばめられている本書。
なぜ「格調高いヘイト本」なのか?
なぜ「倉山満の国民国家論」という副題を必要としたのか?
それを考察してみたいと思います。
■歴史を直視したらヘイトになった!
本書には「史上、最も格調高いヘイト本」というキャッチコピーが付けられています。
なぜ、本書が“ヘイト本”なのか。
本書が各国の“本当の歴史”を語っているからです。
いわゆる“通説”としてまかり通っていることを挙げてみると、次のようなものではないでしょうか。
イギリス=大英帝国、ノルマン・コンクエスト千年の歴史
フランス=自由、平等、博愛の人権の国、最初の近代国民国家
ロシア=米国に比肩する大国
アメリカ=自由と民主主義の国
中国=中華四千年の歴史 ・・・等々
この「通説」がどれほど嘘だらけなのかは本書や倉山先生の『嘘だらけシリーズ』、『『教科書が教えない世界史』や宮脇淳子先生をはじめとしたチャンネルくららファミリーの著書を読めばわかります。
「ノルマン・コンクエストだ」なんていってもオリバー・クロムウェルの清教徒革命によって断絶していますし、おフランスなどは「平等」の名のもとにルイ16世をギロチンにかけて、ロシアは16世紀ごろまでは、モンゴル帝国の“単なるパシリ”にすぎません。
アメリカは、現在ですら刀狩りのできていない“織田信長で止まっている国”で、中国ごときは、夏王朝から明の時代まであらゆる民族が入り乱れて独裁、腐敗、革命を繰り返しているだけの“断絶された歴史”があるだけで、三千年間途切れることなく続いている歴史など存在しません。
純粋に歴史を直視して物事を見ていったらヘイトになってしまっただけなのです。
■7世紀から国民国家だった日本 ~防人と臣籍降下~
そんな各国が国民国家となってきたのはここ200年程のことです。
どの国も幾多の苦難苦闘を経て、統治者から一般民衆までが同じ国家に帰属する理想的な国家体制=国民国家という体制へと移行していきます。
いまだに国民国家になれていないロシアや中国のような“ファシズム国家”や、そもそも国民国家の大前提である“主権”を保つことができない韓国のような国すらあります。
一方我が国、日本はどうか。
日本は既に7世紀には国民国家となっていました。
大和朝廷が成立する前、四世紀の頃から古墳が全国各地につくられており、最南端は塚崎古墳群(鹿児島)、最北端は角塚古墳などで、いずれも5世紀にはその範囲が日本だったのであろうと考えられています。
さらに時代が進み、白村江の戦いを経て、福岡県太宰府に水城を築き、防人を動員することになったときも防人には関東(茨城、群馬、武蔵)から人を動員しているのです。
これこそ「国民軍」であり、この時点で日本には武蔵の人だろうが、茨城の人だろうが、「同じ日本人」であるという意識が芽生えていたと倉山先生は指摘します。
さらにもう一つ、日本が古来より国民国家だった証左として。
井上辰雄著『嵯峨天皇と文人官僚』(2011年、塙書房)によれば、子だくさんだった嵯峨天皇が御子の臣籍降下をご決断された理由は「国の財政逼迫」だったのだそうです。
御子たちを皇族のままにしておくと、「封邑(領地)を累(わずら)わし、空しく府庫を費やす。」と述べられ、「親王を除き、朝臣の性を賜う」ことを定められたのだとか。
古今東西、日本の皇室以外に「国の財政逼迫を憂うがゆえに、自ら進んで息子・娘を民間人にした君主」なんて存在したのでしょうか。
この一件からも、統治者から一般民衆までが同じ国家に帰属しているという国家の理想形、すなわち国民国家体制が日本では「すでにこの頃(7世紀)から確立していた」と言えるのではないでしょうか。
■もう一つの国民国家論と歴史学会の闇 ~歴史学研究会編『国民国家を問う』を問う~
「倉山満の国民国家論」という副題がどうしても気になり、色々調べていくうちに、ある一冊の本を見つけてしまいました。
その本とは、歴史学研究会編の『国民国家を問う』(青木書店 、1994年)です。
木畑洋一(東大名誉教授)、西川長夫(立命館大名誉教授)、西川正雄(東大名誉教授)、油井大三郎(東大名誉教授)ら、歴史学会の重鎮ともいうべきメンツが「国民国家」をテーマに執筆したもので、“世界史の構造と国民国家”という概論にはじまり、国民国家のヴァリエーションとしてフランス、ドイツ、ハプスブルク、アラブ、米国、ソビエト、中国、アイヌ、沖縄そして日本を論じるという構成になっています。
そう、『国民国家を問う』と『世界の歴史はウソばかり』は、非常によく似た体裁をとっているのです。
アルフォンス・ドーデの『最後の授業』など、文中で触れられているエピソードもなんだか共通性を感じさせます。
むしろ、倉山先生は『国民国家を問う』と同じ体裁を”敢えて”採用したのではないかと思えるほどです。
ですが、体裁が似ているからと言って結論が一緒なのかと言えばそうではありません。
むしろ導き出されている結論は“真逆”です。
『国民国家を問う』では総じて国民国家を“戦争の装置”、“人民を抑圧する装置”、“植民地主義の最たるもの”と捉え、「国民国家は悪」という観念のもと論じられています。
日本についても日本は西欧を模倣して国民国家になった”帝国主義の後進国”に過ぎず、帝国主義に染まって台湾、朝鮮を侵略したのだ、アイヌ、琉球を侵略したのだと主張します。
なぜ、このような評価になるのか。
それは、日本の歴史学者、歴史学会がアカ(共産主義)に染まっているからです。
■歴史学会という名の共産主義者の巣窟
倉山満先生は本文中やチャンネルくららの動画などで
「歴史学会はヒステリーの集まり」
「国民国家を否定するのはファシズムが好きだから」
「9割が共産主義者」
「アカっぽいバカ」
「白痴」
と歴史学会のことを批判するコメントを残されていますが、これは単なるレッテル張りではありません。
共産主義者であることを歴史学会のメンバー自らが「自白している」からです。
『国民国家を問う』の執筆者の一人である故・西川長夫教授は自著『戦争の世紀を超えて』(2002年、平凡社)において、
「戦後歴史学がマルクス主義の圧倒的な影響力の下に形成されたことは、改めて論じるまでもありません。」
と述べています。
すなわち、戦後の歴史学会は”共産主義者の巣窟”というのがその実態なのです。
この西川教授、自他ともに認めるマルクス主義者であり、西川氏の説くところの国民国家論とは、
「国家とは戦争の装置という前提のもと、「国民国家」とは国家が総力戦を行うときにその機能が最も強力に最大限発揮される国家形態であり、国民とは国家というイデオロギー装置によって再生産されたものという視点から、それ(=国民国家)を批判しようと試みるという理論」なのだそうです。
あるいは「カール・マルクスの国家死滅論を受け継ぐ理論」とも述べます。
西川教授にかかると「国家の死滅とともに国民の歴史も死滅せねばならない。すなわち歴史学も消滅せねばらない運命にある」のだそうです。
「国家は死滅すべき」という価値観を持つ人物が国民国家を肯定的に捉えるはずもないのは自明ではないでしょうか。
彼らの歴史認識がどれほど歪んでいるのか、それがその闇が垣間見れる場面が他にもあります。
西川教授は『フランスの解体?』(1999年、人文書院)で次のように述べます。
「歴史はつねにそれが書かれた現在を語っている。フランス革命200年に描かれた革命像は現代世界の混乱を映しだす。
だが見誤ってはならないのは、われわれが直面しているのは社会主義の敗北と資本主義の勝利ではなく、社会主義“国家”の失敗であり資本主義“国家”の変質であろう。」
つまり、現実社会でソ連が崩壊したのは社会主義が資本主義に劣っていたからではなく、”国家”という存在(彼らの言葉でいうところの”システム”)が社会主義をダメにしたのだと言うのです。
なんと都合のいい論点のすり替えなのでしょうか。
『世界の歴史はウソばかり』と対比すると、日本の歴史学者、歴史学会というものは歴史というものを“共産主義”にとらわれた観点からでしか見ることができない、アカデミズムとはかけ離れた存在なのだということを思い知らされます。
■歴史学者の仮面を被った極左 東大名誉教授・油井大三郎とザ・レイプ・オブ・南京
この西川教授のほかにも、どこかで見覚えのある名が『国民国家を問う』には記されていました。
その名は油井大三郎(東大名誉教授)です。
この油井教授こそ、評論家の江崎道朗先生の著書『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』(2012年、展転社)において、欧米のニューレフトと連携し日本を解体しようと目論む”共産主義グループの理論的支柱の一人”として取り上げられている人物なのです。
油井教授について、江崎道朗先生は次のように述べます。
1960年代までは「日本人民は、過去の軍国主義者たちが起こした無謀な戦争の被害者」であり「再び日本の軍国主義によって犠牲にならないためにも、再軍備・九条改正に反対しよう」というのが左派リベラルの主張であった。あくまでも一般国民は「軍国主義の被害者」であったのだ。
ところがジョン・ダワー教授の提起を受けて、「軍国主義の被害者」から「アジアの加害者」へと、戦争責任の論じ方を転換させていくのである。
この転換を理論的に支えた一人、一橋大学の油井大三郎教授は1989年、ノーマンらの活動を再評価する一冊の本を出した。
この中で油井教授は「たとえ、日本が武装解除されても、天皇制が残るならば、日本は他の世界にとって未解決な危険な問題であり続けるだろう」というノーマンの言葉を引用しながら、
「天皇制が『国民統合の象徴』として残ったことは(中略)日本人の間で日本を『単一民族国家』とみなす神話を牢固たるものにさせ、国内の少数民族に対する差別を構造化させることにもなった」
として占領軍が天皇制を容認してしまった結果、在日朝鮮人などの少数民族に対する差別が残ったのだと示唆した。
要は、天皇制が廃止されなかったから、日本は戦後、真の民主化が達成できなかったのだと主張したのだ。
さらに日本がドイツと異なり、アジアに対する加害者責任を追及されなかったのは「本土での戦闘が避けられたため、本土での空襲や飢えなどによる被害体験を強く意識し、『外地』での加害体験は伝承され難かった」ことと、「アメリカ側が日本の戦争責任追及を棚上げにしていった」からだと指摘したのである。
日本を徹底的に解体し共産化しようという課題を「日本人自身の手によって完成されることが求められている」と訴えたのである。(『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』より
油井教授らの主張が謝罪外交の必要性及びその理論を支え、「家永教科書検定訴訟支援運動」を支援する組織や「ピース・ボート」運動へと展開し、やがて「南京大虐殺」キャンペーンへと至ります。
そしてこの運動に呼応する形でアメリカ、中国、その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起することを目的とした「抗日戦争史観維護会」が結成されていきます。その後も次々と同趣旨の組織がカナダ、香港などでも結成されていき、最終的には約三十もの中国系組織の連合体として「世界抗日連合」が結成されます。
こうした運動を通じて現在の「南京大虐殺」問題の発端であるアイリス・チャン女史の「ザ・レイプ・オブ・南京」も執筆されます。
つまり日米中韓4か国のニュー・レフトの活動家たちが日本の加害責任を追及する反日国際ネットワークを構築するうえで、油井教授は多大な貢献をもたらした人物なのです。
■今そこにある国史(ナショナル・ヒストリー)の危機 歴史教科書見直し問題とニュー・レフトの謀略
ニュー・レフトたちの反日国際ネットワークの構築に多大な貢献をもたらした油井教授。
彼らの運動はこれだけにとどまりません。
彼らの”運動”は今もなお継続中なのです。
なにを隠そう、先ごろ「歴史教科書に坂本竜馬、吉田松陰、武田信玄、上杉謙信らに関する記述は不要」だとする提言が出され、話題になった”歴史教科書見直し問題”。
この提言を行った高大連携歴史教育研究会の会長こそ、油井大三郎教授その人なのです。
高大連携歴史教育研究会のHPによれば、今回、歴史上の偉人の多くが必須用語から漏れた理由として
「歴史を「暗記科目」ではなく、「考える楽しみを味わえる科目」に代えるには、歴史の大きな流れを示す「概念用語」を中心として、それを説明するために必要な「事実用語」を優先的に残すことを考えています。」
「「北海道や沖縄の高校生でも学ぶ日本史には何が必要なのか」、「高校生が日本という国で学ぶ「日本史」とは何なのか」を意識し、「全国の高校生が覚えるべき用語」を精選した」
と掲載されています。
一体なんの冗談なのでしょうか?
倉山先生とおかべたかしさんの共著である『基礎教養 日本史の英雄』(2016年、扶桑社)でも述べられているように、歴史の大きな流れを掴もうと思うならば、むしろ歴史上の人物、偉人たちにフォーカスしていった方が覚えやすいはずです。人がいるところには、必ず物語があり、その物語こそが歴史をドラマチックに彩るからです。
概念用語を並べただけの、年表のような歴史に一体誰が面白さを覚えるというのでしょうか?
歴史教科書見直し問題は、「国家の死滅とともに国民の歴史も死滅せねばならない。すなわち歴史学も消滅せねばらない運命にある」とする歴史学会のマルクス共産主義的歴史観が顔を覗かせているとみるのが自然なのではないでしょうか。
つまり、日本の歴史学者とは、姿を変えた共産主義者であり、国史(ナショナル・ヒストリー)を憎む彼らは「歴史をいかに後世に伝えるか」ではなく「歴史をいかに伝えないか」に腐心しているのです。
■明治初年に戻った日本を救うのは誰か
本書の結論部分。倉山先生は
「さて、現代。日本は国境画定の段階に戻りました。明治時代に逆戻りです。」
「今、大久保利通や榎本武揚はいません。あるのは、彼らが残した知見をわれわれが学び、生かすかどうかだけです。」
と述べます。
平成25年の第118回日本法政学会で発表された倉山先生の「明治初年の国境画定」という論文を読むと、当時の大久保利通、榎本武揚らがいかにインテリジェンスを駆使して、清国やロシア、西欧列強と対峙していたのかよく分かります。(インターネットで検索すれば誰でも読むことが出来ます)
確かに現代の日本は憲法9条により手足を縄で縛られている状態ではあります。
防衛費も財務省に予算の首根っこを抑え込まれ続け、近年多少増額されたとはいえ、世界標準のGDP2%に程遠い状況です。
ですが、当時の大久保利通、榎本武揚らの置かれていた状況を考えれば、恵まれているのではないでしょう。
当時は物理的に軍備の増強など図る余力がなかったに等しいのですから。
それでも彼らは日本国民の権利を守るために、国家の総力をあげて外交を行い、ときに武器を持って立ち上がったのです。これは相手が如何なる他国であっても例外ではありません。
ここで言う武器とは何か。
国際情勢を見極める地政学の知見と国際法の論理、そして「先占の法理」を主張するに足る歴史・文化・伝統に対する理解です。
そして現在。倉山先生の指摘のように大久保や榎本に当たるような人物は見当たりません。
では、どうするか。
大久保や榎本がいないのであれば、私たち自らが大久保や榎本になるしかないのではないでしょうか。
倉山先生の近著で言えば『工作員・西郷隆盛 謀略の幕末維新史』は当事者意識をもって事に臨む大切さを、『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』は当事者意識の欠如がどれほどの不幸(=滅亡)をもたらすのかということを、私たちに教えてくれます。
また、わたしたちが本当に対峙すべき相手とは、必ずしも中国や韓国といった諸外国であるとは限りません。
進歩的知識人と称するニュー・レフト、
”国民の歴史”を塗り替えようとする歴史学者、
日本経済を疲弊させる増税に邁進する財務官僚、
全ての法制を牛耳る内閣法制局。
これらの日本人でありながら日本が嫌いという屈折したエリート層こそ、乗り越えなければならない相手、対峙しなければならない相手なのではないでしょうか。
なぜ地政学が重要なのか、なぜ国際法が重要なのか、そしてなぜ歴史認識が重要なのか。
倉山先生の数多くの著書や言論の場での発言の一つ一つが、「大きな世界観、大局観の中ですべて繋がっているのだ」ということを改めて再認識することが出来た良書です。
おススメです!!
・・・
◆江崎道朗さんの『日本占領と敗戦革命の危機』
・吉田茂や重光葵ら、保守自由主義者たちにとって、
「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであった。そして、ソ連・コミンテルンの敗戦革命工作を阻止することでもあった。
・戦争に負けたら、自動的に平和が訪れるというものではない。
軍事で敗北し、外交を奪われたとしても、
経済とインテリジェンスの戦いは続くのだ。
それを自覚している人は、当時の日本において決して多くなかった。
・近い将来、日本が内乱や戦争を仕掛けられるかもしれない。
それを想定して、外交・軍事・インテリジェンス・経済の分野で、
危機対応できるよう、人材・予算・体制を整えるべし。
・共産主義の本質をきちんと研究して理解して、統制経済ではなく自由主義経済でなければ、経済を立て直せない、と山本勝市は訴えていた。
・無政府主義や社会主義の研究を禁じてしまったら、
どのようにしてこれらの思想に対抗・対応すればいいのか、わからなくなる。
ある意味、当然である。昭和10年代も学問の自由が否定される風潮が大きかった。
・現在も、外国によって危険な政治工作が日本に仕掛けられている、と予想される。インテリジェンスの戦いを繰り広げることこそ、日本の自由と平和を守ることにつながる。
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