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私たちのエコロジー@森美術館@六本木


六本木。


アートの集積地の一つだが、それほど気軽に足が向く地ではない。

理由は単純。地下鉄(都営大江戸線)のホームから改札/地上までが長くて長くて。とにかく長くて。ウンザリしてしまうのである。以前ここ六本木ヒルズに研修(たぶん。うろ覚え)を受けに来たとき、このことを知らず、遅刻した苦い思い出がある。地下鉄ではなくタクシー等車で向かうのなら、関係のない(そして気づかない)ことだろう。

全ての駅ではないが、歴史的に後に作られた都営大江戸線は、ここ六本木に限らず、往々にしてホームが地下に深い(※どこかで聞いたことの受け売り)。なので、最悪、(乗車駅+目的駅(六本木))x2の計4回も、無味乾燥な長時間の上下移動を味わうことになってしまう。。


と皮肉気味に書き起こしたが、森美術館で開催された「私たちのエコロジー」展、良かったのでレポートする。実は森美術館を訪れたのは今回が初めて。そのため、内容はミュージアムレポ+展覧会レポとなる。


★展覧会公式サイト★
3月31日まで
基本22時まで開館というのは、スゴイ。

概要、アーティスト&作品リスト、本展のポイント、構成、関連プログラム、関連情報、カタログほか。綺麗に情報整備・公開されている。◎。


3月27日、28日 学生無料(事前申込要)!
活用できる方はお見逃しなく。
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/eco/06/#FreeDay




▼入場まで


くるくる螺旋状の階段を昇る
そしてエレベーターで一挙に52階へ
高層階高速エレベーターあるあるで、一瞬耳鳴りみたいになったかも。
森美術館の「顔」


事前予約制(日時指定券)だが、今回は予約なし当日空き枠で観た。200円高くなってしまうが。前の用事が終わる時間が流動的だと、日時指定は非常にやりづらい。別にこの展覧会鑑賞がメインの一日という訳ではなく。



▼場内(作品、風景など)

インスタレーションや映像展示、体感型展示が多いので、スナップ写真では正直魅力を伝えきれないと思う。雰囲気だけ。

また写真を撮って良い作品はざっくり半分程度だった気がする。ということで、やはり触り程度の紹介。

以降「」内のテキストは全て展覧会公式サイトより。
作品等著作物を撮った写真は、CC-BY NC ND / クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際 ライセンス許諾下のもと掲載。

共通ノーティス


まずは、ここから。マナー&展覧会愛好家の嗜み
動画撮影についてこのように明言したケースは、初めて見た気がする
特別協賛が3社ともいわゆるゼネコン大手である点が、目を引く
作品リストは、紙はなく電子配布


第1章 全ては繋がっている


トップバッター。体感型展示。

ニナ・カネル
《マッスル・メモリー(7トン)》
2022年
床一面に敷き詰められた貝殻を
シャリシャリ踏む。
「貝殻という有機物がセメントなどの建材に変換されるプロセスを来場者自身に追体験させる」
「観客によって粉砕された貝殻は、展覧会終了後、セメントの原料としてさらに再利用される予定」


このパーティションの建材
美術展らしからぬ意図的にボードを剥き出し。
展覧会で通常(もっと言えば日常でもそうそう)
目にする光景ではなく、新鮮味がある。
色味もこの展覧会と合ってる。


通常のキャプションの他に、
「子ども向けキャプション」も。
右の黄色いJunior Guide.


映像作品
Emilija Škarnulytė
《時の矢》
2023年
ディストピア感満載の3DCG動画
長時間ずっとじっと見続けないと、何が、どのような状況なのか分からない作品
おそらく作家の意図の一つに「そのような分かりにくさ」の啓発警鐘もあるものと思われる。


「なるほど」と思わされる、この展覧会ならではの仕掛け
よって、展示外のゾーンはこのような光景・空間に。


この展覧会の会場構成
セクションは4つ
大体セクションの出口ごとにこのフロアガイドが掲示してある。


第2章 土に帰る
1950年代から1980年代の日本におけるアートとエコロジー

この2章はゲスト・キュレーターのバート・ウィンザー=タマキが企画・監修とのこと。

以降年表の作者。力作。
つい先日3月1日が「被爆70年目」だった
第五福竜丸事件
年表の最後
特に、夏の異様な暑さ


アーカイブシーン1:被爆した海
(展示品撮影NGのため解説パネルのみ)
→展示品を確認したいなら、ぜひ図録のご購入を。
アーカイブシーン2:風刺画が描いた公害
(展示品撮影NGのため解説パネルのみ)
アーカイブシーン3:回帰と再生
(展示品撮影NGのため解説パネルのみ)


アート・オブジェゾーン
素材にも注目


藤田昭子の作品と記録写真シリーズ。これが妙に刺さり、かなり惹かれた。

《出縄》のためのマケット
1976-1977年頃
の記録写真
《天竺》のためのマケット
1975年頃
と記録写真


殿敷 侃
《山口―日本海―二位ノ浜 お好み焼き》
のレプリカ?習作?
たしかこれもこの覧会のキービジュアルの一つ


第3章 大いなる加速


空間&サウンドインスタレーション
この台本の朗読音声を、浴びせられる。
モニラ・アルカディリ
《恨み言》
2023

この展覧会のキービジュアルにもなってる


生命の儚さ的なものが、電光の一瞬の点灯で表現されている
と、理解した作品。
「ゴミを高温で溶解させたスラグと大理石を並置」


Agnes Denes
《小麦畑―対決:バッテリー・パーク埋立地、 ダウンタウン・マンハッタン》
1982年
Jef Geys
《薬草のグリッド六本木》
2023
↑↑↑作家本人は2018年に亡くなったとあるが、
展示リストにある製作年は2023年

この六本木ヒルズで近年行われたアートプロジェクトの成果、一連の押し花
(写真撮影はNGのため、キャプションのみ)


第4章 未来は私たちの中にある

Kate Newby
《ファイヤー!!!!!!!》
2023
踏みつける床の作品
とにかく踏まないと、次のエリアに進めない。


何か生命的な造形・デザイン・メッセージの作品が配置された空間
ここまでくると、比較的一般的な現代アート的鑑賞フレームに引き戻される。
(勢いで書いたが、言わんとしていることはご理解いただけるかと)


西條 茜
《果樹園》
2022
天井からの吊るし方に注目してみた。
こんな感じ
映像展示
フィリピンの海で起こっていること。


松澤 宥
《プサイの意味―ハイゼンベルクの宇宙方程式に寄せて》
1960


終盤の目玉は、これ。
この展覧会で初めて作品を見た作家。
名前だけは、かすかに、どこかで。
物凄い視覚的インパクトを受けた写真


最後の展示。
この空間は妙にガランとしていて、作品あるいは空間から何をどう受け取ればいいか、正直分からなかった。パフォーマンススペースだったのだろうか。

Asad Raza
《木漏れ日》
2023


おまけ 場内のショップほか

店員さんに尋ねたところ、撮ってもOKだった。ということでパシャっと。

軍手が買える展覧会。
なかなかないのでは。
図録以外にも関連書籍を沢山販売。
上から2段目がこの展覧会の図録。
展覧会のショップで、ビール。
展覧会グッズで、ビール。
なんとなくオロナミンCやリゲインを思わせるデザイン。
個人的に一番受けた一品。
ここに来て初めて知ったこと。
かなり草間彌生推しのラインナップ。


フロアガイドを見ると分かるが、このショップの周囲がコレクション展示エリアになっている。ここも鑑賞したが、今回は取り上げない。既に記事のボリュームが爆発しているので。。

補足


会場出口手前にある、開館から20年間の森美術館の統計。定量的成果ということだろう。ここで取り上げられた項目が、どの美術館でも計数され横並びで比較できるようだと、面白いなとも思う(現実は、そう簡単にいかないだろうが。。)。美術館の優劣を測りたいのではなく、どんな特徴の美術館なのかを相対化して把握したいだけである。

この統計データは、以下本の著者が担当されたものか、あるいはその派生成果物ではないか。そう推察した。


来場アンケート

個人的には、一々スマホで画面を呼び出しチマチマ入力するより、
会場その場でちゃっちゃと用紙に書いてお終いにしたい派。
電子入力だと運営側にとって集計作業が飛躍的に楽だというのは、分かるが。


エンドロール的に、どん。
今回アーティストの方々



▼関連話題(雑記)

この展覧会の展示風景は、flickrで公式に公開されている。全部ではなく主たるシーンのセレクトだが。さすが森美術館。このあたり、アメリカンスタンダード/アメリカンウェイか。

アサド・ラザ《木漏れ日》


ここ1,2年で目につくようになったこと。近年存在感を増しているように感じる展覧会テーマ。現代アートの文脈・表現・手法による「エコロジー」や「環境危機」の訴え。私が知るだけでも、同カテゴリの展覧会として、以下が思い浮かぶ。


2022年5月28日~6月26日
@東京藝術大学美術館
新しいエコロジーとアート | Art & New Ecology (geidai.ac.jp)

(※同タイトルで刊行された書籍)
新しいエコロジーとアート/長谷川祐子編 – 以文社 (ibunsha.co.jp)


2023年9月14日〜12月25日
コレクション展@福岡アジア美術館
アートと環境─人新世を生きる | 福岡アジア美術館 (fukuoka.lg.jp)


いま時点の日本では、一つの潮流/ムーブメントの段階だろうが、ファッションで終わらせてはいけないテーマだろう。同時代性とアーカイブ性を求められる難易度が高い(それらの観点で厳しい評価に晒される)領域だと思うが、これからの美術館/美術展のあり方の試金石の一つと、考える。

欧米だとこの手のテーマの展覧会はもっと頻繁だろうか。



▼全体的感想

色彩的には、とにかく「黄色」「茶色」が目につく展覧会である。埋蔵品・発掘品がメインの出し物になりがちな博物館なら珍しいことではないが(たとえばトーハクの土偶群とか)、美術館において、とくに都心の「シック」なそれにおいて、この色彩がメインなのは、「斬新」。この色調は、ポスターやグッズなど至るところに共通デザインとして反映されている。

そしてその色彩とも関係しているのが、本物の土(ごく一部だが)と「現代産業社会の不都合な真実」が、アートおよび記録の両面からぶちまけられた展覧会でもあることだ。「気候変動」「気候危機」という言葉そのものは何ら色を想起させないが、現実に起きていることは、地球=人間含む生物が生きる有限の環境が汚され(汚し)・汚染され(汚染し)ているということである。洪水・濁流・汚水や廃棄物が茶色いように、展覧会が茶色くなるのも宜なるかな。


実はこの手の「シリアス」なタイプの展覧会に、どれほど人が観に来るかやや懐疑的だった。しかし、実際訪れてみると、かなりの多くの人が、それも若者が、この展覧会に詰め寄せており、平日日中という時間帯を考えると(いい意味で)期待を裏切られた。むろん森美術館という「ハコ」がいいこと、同時開催の「キース・ヘリング」展から流れてきた人たち、期末試験や受験を終えた春休みシーズン中なことなども、来場人数底上げの要因としては大きいだろう。しかしきっかけは何であれ、来た者はみな、飽きることなく魅入り回遊していた。この立地にこのテーマで、よく成立させたものと思う。初めてこの森美術館を訪れた私が書いたところで説得力はないが、開館20周年記念に恥じない「名作」展覧会(名作の展覧会ではなく、展覧会そのものが名作あるいは力作)のように感じた。



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帰宅後、お土産で買ったビールを開ける前の一枚。

絵葉書を包装したショッパーも、何気にめちゃくちゃオシャレ。
背景右の白地に赤字。


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長い記事をお読みいただき、ありがとうございました。


以 上


誠にありがとうございます。またこんなトピックで書きますね。