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書き換えられた記憶たち 和歌山毒物カレー混入事件(11)
誤りは、藁のように表面に浮かび流される。真実という真珠を探すには、深く潜らなければならない。
主婦たちの証言については、調べれば調べるほど訝しげな深い霧のようなものが深く立ち込める。記憶の曖昧な者が沢山いたためか、個人に調書を取るだけでなく、関係者を集めてその日の流れを確認している。
事件が起こったのが1998年(平成10年)7月25日、警察学校に主婦らを集めたのが平成10年9月上旬だ。その後さらに証言から警察官調書を作成したのが10月、11月で、何故か内容が9月のものより詳しくなったそうだ。
さらに、平成11年2月、3月に作成された検察官調書では、警察官調書と比べその内容が変化していたそうだ。
弁護側もこれについては物言いがあったようで、裁判の中でも争われているが、幾つかは林死刑囚の砒素混入の疑惑を高める結果となった。
その証言たちを見てみると、即時抗告の棄却文にあった「上記夏祭り当日、請求人のみが上記カレーの入った鍋に亜砒酸をひそかに混入する機会を有しており、その際、請求人が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されていることなどを総合することによって、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる」について何も説得力がないことに気づき、一体どこに「合理的な疑いを差し挟む余地がない」のかさっぱり理解できない。
本件では、カレー調理に携わった関係住民や被告人周辺の人物が証人として証言をしているが、そのような証言の中には、捜査段階の供述から変遷しているものも少なくない。
さらに主婦らが証言台に立つのは実に長い時間が経過したあとだ。
事件発生から証言まで1年2ヶ月ないし1年6ヶ月程度経っており〜
人権無視の報道合戦や、週刊誌の根も葉もない噂レベルのゴシップを散々耳にした後の証言だ。詳細が本当かどうかすら怪しいし、人間のバイアスに従い認知の内容がかなり変性してしまった後だろう。
ここで「誤導情報効果」について考えたい。例えばこの写真を見て、
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「ぶつかった車はフロントガラスが割れていた?」
もしくは、
「激突した車はフロントガラスが割れていた?」
と聞くと、「ぶつかっていた」と聞いた場合の「割れていた」は10%ほどであったのに対し、「激突した」と聞いた場合の「割れていた」と答えた回答は30%ほどであった。
聞き方によっては事実ではないにも関わらず、想像が記憶に置き変わってしまったのだ。フロントガラスが実際には割れていなかったことを伝えないと、おそらくこの3割の人たちの記憶はフロントガラスは割れていた、となるのだろう。
これはある出来事を目撃したあとに、その出来事に関連した情報を与えられると、その出来事の記憶は、関連した情報の方向に変容してしまう。事後情報によって記憶が変容する現象のことだ。事後情報によって変容した記憶は、脳内でそのオリジナルの記憶と混在することがあり、それが目撃証言などに影響する。過去の恋愛を美化してエピソードのディティールがずいぶん変わってしまう現象などもそれにあたるだろう。人間の記憶は本人に都合の良いように書き変わってしまう上に、それを本人が自覚していないため余計にタチが悪い。人間はさもビデオ撮影していたかのように覚えていると思い込んでいるのだ。
と、いうことは事件後警察学校に集まり、それぞれに自分の記憶を言わせ、それを統合させたところで、それが事実かどうかはかなり怪しいということだ。前述したが、発言力や影響力の強い人間に書き換えられてしまうこともあっただろう。この危険性については弁護側も散々に警鐘を鳴らしていた。
平成10年9月上旬に、事件当日の午前中から正午ころにガレージの様子を再現する実況見分を行い、主婦らの記憶を喚起しようとしたが、その実況見分を行い、主婦らの記憶を換気しようとしたが、その実況見分は、参加者が口々に言い合って混乱した雰囲気であって、参加者によっては、自分の発言に他人が口出ししてきたり、他人の話におかしいなと思っても言い出せなかった参加者もいれば、他人の話に「そうだったのか」と思うことが多い参加者もいた状態であり、結局、記憶にない部分も他人の説明が刷り込まれてしまうような実況見分であった。
当然のことだ。
もっと言うと、心理学においては人間は想像を膨らませることで、嘘の記憶を生み出せることも明らかになっている。これを「イマジネーション膨張」と呼ぶのだが、園部の住人たちが互いに疑心暗鬼になり、さらに加熱したメディア報道などの内容により大いに想像が加速したことだろう。
これらの効果が散々に働いた結末は下記のようになった。
主婦らの供述は、時が経つに連れ、供述内容が変遷し、かつ詳細になっている。すなわち、平成10年9月、10月に作成警察官調書の方が、内容が格段に詳しくなるとともに従前の供述から変遷しており、平成11年2月、3月に作成された検察官調書では、上記警察官調書と検察官調書の内容が変遷し矛盾していることに関し〜
やればやるほど詳細が変わり、そして詳しくなる。これには刑事や検察官の誘導も大いに働いていそうだ。このようなレベルでよく捜査機関は「タイムテーブルを分刻みで作成した」など自信を持って言えたものだ。
記憶の書き換えが生じる以上は、可能な限り記憶が新鮮なうちに聞き出す必要があり、その間はメディアや誘導に曝されるべきでないと私は考える。各々で証言されたものを統合させ、同じことを言っていた場合は信憑性の高いエピソードと言ってよいだろうが、内容を全員で検討すべきでない。
なかには、事件当日のことはほとんど忘れていたが、証人テストの際に供述を読ませてもらって、当日の流れを頭にたたき込んだ証人もいたほどだ。
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幾人かの重要な証言はその判決文に記載されている。群馬さん(婦人部部長:カレーの調理から参加。自身、夫、息子がカレーを食べ中毒となる)の証言はこう言っている。
11月の検証後に検察庁で供述調書を作る際に、現場の状況について他の人と違う点について「静岡さんや目黒さんはこう言ってるけど、あなたの記憶違いではないですか」と聞かれて、はっきり思い出したことは1回くらいあった。
推測あるいは刑事の意見が調書になったこともある。
私の中には調書取られるのも初めてだし、こんなに言うたら申し訳ないが、もうこれでいいか、もうここでいいて言うたらもう終わるからというところも多々あった。
群馬さんは自身もカレーを食べ中毒症状を起こしており、疲れながらも調書の作成に応じているのが見て取れる。さらに刑事や検事の推測や意見がそのまま反映された内容も随所にあったことがわかる。
また、静岡さんや目黒さんの影響力や発言力が強いことを示唆するような記述もあった。この2人は最も最初に流れを説明した人物で、その内容は全てのシナリオのベースとなったのであろうか。そう言えば静岡さんは事件の記憶が定かでなかったはずだが。
さらに読み進めていくと、どうやら警察官や検察官の作成したシナリオにどうにか乗せるための誘導行為は、まるで必殺技のように頻回に使われていた節がある。
群馬証言に関し弁護人が供述の変遷を指摘している部分は、上記の点の他、後記において検討する服装や時間の関係に関する2、3点であって〜
例えば上記の群馬証言の変遷に対し指摘した弁護側に対し、検察側はまるでどこかのギャルのように「だって変わったのは服装や時間2、3点ぐらしかないし〜」と言っている。林死刑囚の服装も時間についても、状況証拠しかないこの事件においては最も重要なことだったはずなのだが、せいぜい1人間違ってたぐらいでは問題ないのだろう。どうやら御SPring-8閣下御威光のお陰で少しぐらい変なこと言っても大丈夫だったようだ。
高知さん(3班班長:カレーの調理から参加、自身、娘、息子、孫がカレーを食べヒ素中毒となる)の証言についてもこのような記載がある。
刑事の事情聴取と検察官の事情聴取とでは、お昼の12時から1時までの間の聞き方の詳しさが違ったと思う。刑事の時は、自分の体調もあまり回復してなかったし、はっきりしてないことや違ったことを言ったりした。
刑事の事情聴取のときに、刑事から次々にパッパッといろんなことを聞いてくるので、よくわからないまま想像を交えて言ってしまったかもしれない。
群馬さんと同じように高知さんも刑事や検察の吐く神経性の麻痺毒霧により自由に動けなくなっていたようだ。これでは調書による内容は事実ではない部分が幾つでもありそうだ。
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目黒さん(会計:カレーの調理から参加。カレーは食べていない)の証言にもこのようなことが書かれていた。
警察学校では、カレーとおでんの調理を手伝った奥さんが10人ぐらい集まる機会があり、その時、西カレー鍋の蓋をした様子を再現してみせたが、そこで奈良が西のカレー鍋にアルミホイルを被せたと知って、最初は「エーッ、奈良さんがいて、蓋をしたんだったの」と驚いたぐらいだった。
検察側はカレー鍋にアルミホイルと段ボールで蓋をした場面にただならぬこだわりがあったようだ。時間と前後の人の動きに詳しい証言を求めていたのであるが、そんな細かい日常動作をそうそう人間は覚えていない。人間の記憶は断片的なもので、曖昧な部分は脳が適当に辻褄を合わせて作っているだけだ。
そして、奈良さん(カレーが煮込むだけの状態になってから参加。自身、夫、娘がカレーを食べヒ素中毒に)はこう言っている。
被告人がガレージに鍋の登板にやって来た場面に居合わせた数人の奥さんたちが、私の記憶と違うことを言っていることがわかった。それは、被告人がガレージに来た時点では西カレー鍋にはである蓋がされてなくて、被告人が来てから「蓋しようか」と言い出して、西カレー鍋にアルミホイルを被せて段ボールを載せたという点であった。私は、その話を聞いて、「私が被告人が歩いてくるのを見た時点で、もうカレーのお鍋には蓋がしてあったのにおかしいなあ」と思った。それどころか、西カレー鍋に蓋をしたのは私自身であり、私は、被告人が歩いてくるのを見た後は、私自身は何もしないで帰宅しただけという記憶だったので、なおさら、他の人が言ってることはおかしいと思った。
この奈良さん、主婦たちの中で唯一証言内容が時を経ても変化しなかったタフな人なのだが、奈良さんの言ったことに裁判官は証言内容と内容の真実性は話が違うとバッサリと切り捨てている。
実は奈良さんは他の主婦と比べて歳も若く、輪には積極的に入ることをせず少し距離を置いて遠巻きに見ていたそうだ。この証言が最も信用できるのなら、蓋について認定された事実の内容はかなり怪しい。
静岡さん(4班班長:カレーの調理から参加、夫と息子がカレーを食べ中毒に)の証言はこのような内容だった。
捜査段階で調書を作成した際は、一生懸命自分の知っている限りは思い出そうとして調書は取ってもらった。でも、睡眠不足とか、警察も私の状態がわかっていたので、ほんとに最小限しか調書を取る時間をかけてなかったと思う。だから、ほんとに、私が断片的に知っていることしか、調書には取ってもらってないと思う。
平成10年9月24日 この調書の内容については全然と言っていいほど覚えていない。
平成10年11月 現場検証に立ち会った際にどういう説明をしたかは、今覚えてないが、その時は精一杯、自分の覚えている範囲で証言したつもりである。ただ今振り返ってみて、当時の検証時の指示説明内容が正確かどうか分からない。全部が正確だったとは言い切れない。
具体的にどういう部分が違っているのかというと、お昼の部分。お昼の部分はあまり調書に取ってもらってない。
この方、夫と子供が中毒となり自身もひどいショック状態だったようで、当日の内容がほとんど記憶になかったようだ。証言内容を読み返して裁判に望んだのもこの人だ。
何にしてもこのようないい加減な内容で林死刑囚が「カレーに砒素を混入した蓋然性が最も高い」などと吐き捨てることがよくできたものだ。
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最後に、自宅から林死刑囚を見たとされ、裁判でも有力な目撃証言となったとされる女子高生の証言についてだ。この子は最初は1階のリビングから目撃したと証言している。
午前11時半過ぎごろ、ご飯を食べ終わって片付けてから、1階リビングのソファーに座った。食事をしている間や食べ終わって間なしのころは、ガレージからはおばさんたちの声が聞こえていた。そのときは、がやがやとうるさかった。
ソファーの南側にある掃き出し窓からガレージを見た。掃き出し窓は床まであって、上半分は透明ガラスで、下半分はすりガラスである。
そして最初は1階からガレージを見たはずであったのに、現場での検証をしていくうちにその内容は変化した。いざ現場で同じようにしてみるとどうもしっくりこなかったらしい、記憶と「見え方が違った」からだそうだ。
しかしながら、m子の捜査段階の供述を検討すると、帽子の女性がいつガレージから帰ったのか、帰ったところを見ているのかについては供述が変遷しており、捜査段階から、帽子の女性がいつ帰ったについて記憶があいまいであったことがうかがわれ〜
m子は、当初、ガレージに一人でいた被告人が鍋をのぞき込んで湯気を被ったとする場面を見たのは、1階リビングのソファからであるとしたが、捜査段階の途中で、その場面を見たのは2階の両親の寝室の母親のベッドであるとその供述を変遷させている。
「私が、自宅で警察官らに具体的に指示して目撃状況を説明したのは、平成10年11月7日が最初である。その11月の最初の検証の際には、1階から全部見たと説明をしているが『見え方が違うな、何か記憶と違うなあ』とは思っていた」警察官に被告人役をしてもらったときに、記憶してたのと見え方が違ったから、変やなと思った。
「警察から、娘に話を聞きたいという話は8月のお盆過ぎごろにあり、その後宮交番でm子が話をするようになり、毎回送って行った。8月31日の宮交番での最初の事情聴取には私も同席し、m子がガレージを見たのは1階のリビングからであるということを初めて知った」
11月7日、8日にガレージを使って現場検証があったが、娘は、再現した目撃状況に納得がいかないのか、何回かやり直してもらっていた。
彼女の納得のいく「見え方」は2階の母親のベッドの上だった。これは、「場所の記憶」より「場面の記憶」を優先した上に、「見え方が違う」ということでその場所を探すために、女子高生に対し捜査機関はさまざまな工夫をしてあげていた。つまり視界の勝手な補填をしていたのだ。なんだかもう滅茶苦茶だ。
このような杜撰な内容では、林死刑囚はせいぜい「1人になる時間が最も長かったもの」であり、「砒素混入の蓋然性が最も高かった者」ではない。この疑いはそもそも林死刑囚のアクセス可能な範囲に砒素があったから、という事実を前提としている。やはり気にかかるのは、本当に地域住民の家のどこにも亜砒酸がなかったかどうかだ。
かなりいい加減な内容に従ってカレーが給仕されるまでのタイムテーブルは作成されており、事実がどうだったかではなく、「まあこんな感じだった」ことを全員で擦り合わせたため、異論が生じないだけだ。
主婦たちの感覚としては、自身や家族も中毒で苦しい中での聞き取りである上に、下手なことを言って疑われるのもかなり面倒くさい。明確に覚えている人がわかれば曖昧な部分はその内容で問題はないと考えて当然だ。
しかしこれでは少なくとも「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明」できたとは言えないことは誰の目にも明白だ。その間はスカスカで何でも差し挟めそうだ。
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