見出し画像

慰霊碑のある風景。窓の生活。

「死亡事故発生現場」

今のマンションに住み始めて3年になる。
絶好の立地とそこそこの間取りが手頃な家賃で手に入るということで決めた。
しかし引っ越し後すぐに気付く。キッチンの窓を開けると目の前は高速道路。その脇に赤と黄色の警告看板が建てられている。

「死亡事故発生現場」

警告看板あるいは慰霊碑。
日々を人の死について意識させられ続けながらすごしている。
つい最近は窓下の道路で自動車と自転車の死亡事故が起きた。衝突音がして見ると自転車が吹きとばされていた。

素敵な景観のお部屋だ。


最近、急速に認知症が進んでいた近所の独居老人の部屋がすべて引き払われていた。
彼女が亡くなったかどうかは知らないが、死を意識させられる物件である。


【追記】
どうやら彼女は亡くなっていたらしい。
彼女の終の棲家だった部屋は賃貸情報サイトに事故物件として掲載されていた。

私は霊に関心がない。その存在も不在も私は興味がない。
仮に霊が存在したとしても、人の死がこのようなありふれたものだから、霊もありふれたものだろう。
私も誰しもみな死ぬし、仮に霊が存在するならみな霊になる。
仮に霊が存在しないならそのまま終わり。
あまり違いはない。

しかし彼女を始め他人の死を間近にしてなにも感じないわけでもない。
「寂しい」や「喪失感」ではないが妙な感覚がある。
言い表せる言葉がないが、なにかがズレた違和。言葉で形容できないからこそ違和は強まる。
肉親の死であればこの違和は「悲しみ」などの一部になるからあまり気にならないのだろう。
しかし、この違和こそが死というものだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?