私が教会でマイノリティになったお話

Twitterでもよかったのですが、140文字を文章として書き綴り、スレッド表示にしても書ききれない「なんとも言えない」思いをこの度、抱えることになりました。

くちゃくちゃになっている自分の思いをまとめるためにも書いてみよう。
長文必須なので久々にnoteでいいや。

まぁ、すごく簡単に言うと『通っている教会で【私】という存在はマイノリティになった』というだけの話です。

昨日改めて牧師先生からその現実を突きつけられ、それでもこの教会で受洗して、キリスト者になるのか? と問われた……即答で受洗します、と言ったものの、やっぱりどこかひっかかるモノもある。

教会へ通い始めて半年以上。
なんとなく察してはいたものの、改めて面と向かって言われるとつらい。それが教会の責任者で尊敬している牧師先生から、ともなれば、悪い意味でひとしお衝撃だった。

「(教会員の人たちが私に対して)人格否定さえしてこなければ、別にいいです。対話を望むなら応じますし、良いものは取り入れていきたいし……」

と言ったあと、私は少し考えて、こうも牧師先生に言いました。

「だからと言って【私】という芯は変わらないですよ。これからも変わることはまずないと思います」

林檎の果実は、生食できるし、加工すればお菓子やジュースになる。だけど残った種や芯は、林檎のまま。私の中にある種や芯が気に入らないヒトがいれば、対話して妥協点を探すか、別れて敬遠(敬って遠ざかる)の二択しかない。現に今までそうしてきたわけだし。

私の言葉を聞いていた牧師先生は、苦笑しながら、
「洗脳じゃないからね。そこを変えろとは言いません」
と、おっしゃってくださいました。
それが唯一の救いでした。

改めて受洗に対する最終確認をして、決意新たに10月から受洗準備会に入ります。洗礼式は12月25日の主日礼拝の時……そのときにはどうなっているんだろうなぁ、私。
それ以前に役員会を突破できるのかも謎です。

通う教会は改革派、いわゆるリベラル教派。
もちろん私も改革派の教えを学んで、信仰しています。

が……。

政治思想は右派なんです、私……。
そして教会は左派多数の信徒さんばかり……。

牧師先生からこのことを聞かされたとき、
『こんなことありえるのか!? 左右あべこべの思想心情を持つって!!??』

ってアンバランスな【私】と言う存在が、昨日産声を上げたのでした。


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