他人(ひと)の出産に、心から祝福を贈れたときに


これまでの30数年の人生の中で、家族や友人や同僚、自分の周囲の人たちの出産報告を、一体どれだけ受けてきたでしょう。

ここ最近は、「おめでとう」と祝福をしながら、心の奥底でいろいろな感情が波のように押し寄せ、何とも言えない気持ちで過ごすことが多くなっていました。

もちろん、最初からそうだったわけではありません。

20代前半の若いころは、心から祝福していたし、生まれたての赤ちゃんは素直にとてもかわいく思え、自分にはまだ想像できない世界の話をとても興味深く聞いたりしていました。

20代後半から30代に差し掛かかってくると、徐々に自分の身にもそのうちおこる現実として、リアルな子育ての苦労、子育てを巡る夫婦の葛藤、周囲の親族との関係など、決してポジティブな面だけではないという事に気づかされ、それでも愛する子供のために奮闘する友人たちを、とても頼もしく、そして羨ましく思うことが増えていきました。


その後、自身の不妊が発覚し、治療からの流産などを繰り返すうちに、言葉にすることができない、誰かに打ち明けても満足に理解してもらうこともできない、そして自分自身でもコントロールすることのできない、複雑な感情が泥のようになって、心の中をどんどん埋めていっていました。


そして先日、古くからの友人が無事に出産をし、久しぶりに二人きりで話す時間がありました。(生まれたての赤ちゃんも一緒にですが)


彼女からの妊娠報告があった時、正直なところ、おめでとうという気持ちより、また自分と同じ所にいた友人が、別の世界の住人になっていってしまう、という寂しさや、置いて行かれるような焦りの感情のほうが勝っていました。


もちろん、そんな気持ちを伝えることはありませんでしたが、出産まで会うこともほとんどなくなり、このまま疎遠になってしまうのかもしれない、とさえ思っていたのが事実です。


出産を終えたばかりの友人は、妊娠中の心の葛藤を、ポツポツと話してくれました。


自分と同じ年の友人であり、30数年一人の人間として自由に生きていたところから、子を持つことで訪れる変化を、すんなり受け入れることはできなかったとこと。。

妊娠初期のひどいツワリ、思うように体を動かせないストレス、日々変わりゆく自身の体型への不安、出産後の夫婦関係、などなど、赤ちゃんを楽しみにしているのと同じくらい、思い悩む時間があったと打ち明けてくれました。


私は、何もわかっていなかったんだということに気づきました。


自分が不妊であること、将来子供を持つことができない可能性があること、子を持たない人生とはどういうものなのか、言いようのない不安に駆られていたこと、そのほかにも先の人生を考えれば考えるほど、不安や悲しい気持ちが新たに作り出され、ひとり涙を流す日もありました。


私一人だけが苦しくて、私が誰よりも一番悩んでいて、私にだけ苦しい試練がたくさんやってくるのだと。


本当に自分の狭い世界しか見えていませんでした。

みんな言わないだけで、幸せな瞬間だけの人間なんていないってことを、忘れていました。


心の中の葛藤は人それぞれ、心の内側で大泣きしていても、ほとんどの大人はそれを他人には見せないように、みんな歯を食いしばって生きているということ。


私自身が、たくさん思い悩んだり苦しんだり、もがいたり、でも時にうれしいことがあったり、楽しい体験をしたり、、それと同じで、


他人(ひと)には見せられない、自分だけの気持ちというものを、誰もが抱えて生きているんだということを、私は彼女に気づかせてもらうことができました。


もちろん、彼女の中の葛藤や苦労も、愛おしい我が子の存在が癒してくれている事実もあると思います。


ほかの誰よりも、子供を持たずに生きていくことが、どこか不幸なことなのではないかと思っていたのは自分でした。

自分自身が一番、そういう色眼鏡で世間を、世の中を見ていたのだと思います。


これからも、また同じことに悩み、苦しむ夜が訪れることもあるでしょう。


それでも、本当に久しぶりに、心の底から、友人の出産に「おめでとう」が言えたこと。

それが素直にうれしかったのです。そんな気持ちになれたことが。


また、時間がたてば、この気持ちを忘れてしまうかもしれないし、そもそも他人の出産に心からの祝福を贈る必要もないと思います。そんな気分になれないときは、そいういうタイミングだったってこと。


でも、やっぱり、優しい気持ちでいるときの自分は、いつもより少しだけ気分が軽くて、余裕があって、ほんの少し、楽になれた気がしたので、久しぶりにnoteを更新してみました。



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