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経緯

芥川も太宰も三島も、
一体どんな勇気を持って自決にいたるのか。

絶望でもあるし或いは希望?
もしくは、戦略的なものなのか。

他人と見える世界が違う非凡というのは、
残酷なリアリティをその人に押し付けるのだろうか。

実態的に話すと、まぁわたしの場合は極めて小さなお話でありまして。

コロナ禍においての飲食業というものは、
実に何というか、くだらない。

文字通り「実態がない」

ですから辞めてる。ってのはまぁかっこつけのセリフで実のところ、
2020年の年末、決算書をみて驚くわけでありまして、

まぁこれまで商売していて、これは見た事もない赤字。
当然と言えば当然で、本戦のレストランは全部閉めて、
売れない催事にばかりものと人を送り込むもんだから、
そりゃあ利益はでない。

コロナ禍で、ある程度「情状酌量」のごとく、
銀行は金を貸してくれるから、
血が流れている事も気づかない。

まぁそれで、私なりに決断するわけです。

個人はここに無くなった。
全体で上げる。

ここ数年、基準のラインを
『自分が面白いこと、熱くなれる事』に完全にコミットメントしてきた僕が。

成果を最大限の主義に置き換えること、
を決めたわけで。
これは、言い換えれば『おもんなくてもする』ってことなのです。

うまくいったと思います。

2021年は生涯においても、かなり結果が出た年であったと思います。

皮肉です。

『自分が面白い』と思うことをやめたことが、
成果的な結果をもたらしたとしたならば、

自分はなんなのか。

少なくとも、今までの自分の価値をどう捉えるべきなのか。


アイデンティティなんて、
カタカナじゃあ、カッコつかない。

納得いかないんだよ。と。

上手く行ってます。
 
じゃあ価値はなんなのか。

今日はここまでにします。

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