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やり場のない思いをここにすみません。自殺という虚しさ。

自殺という事象が存在するこの社会に、ものすごく憤りを感じます。

私が学生時代、本当にお世話になった方が自殺で亡くなりました。お通夜、告別式を経て、やり場のない思いが溜まっており、ここに書かせていただきます。

心が弱っている方は読まない方がいいと思いますので、引き返していただけますと幸いです…!

※少しずつ書いていたら更新まで時間かかってしまいました…





私は学生時代、コンビニでアルバイトをしていました。勤務していたのは1年半くらい。短いようですが、私にとってはとても長い時間でした。なぜなら、大学時代だけで6~7箇所アルバイトを転々とした私が、一番長く勤めた、唯一やむを得ない理由で辞めたアルバイト先でした。(海外渡航のために泣く泣く辞めましたが、その予定がなければ卒業まで働いたと思います。)

店長兼二児の父だったその方は、”お父さん”と呼ぶには若すぎるけど、頼り甲斐があるとはまた少し違って、”慕っている”と表現するのが近いような存在でした。表面上ではいつも適当そうな素ぶりをしているけど、本当は周りをよく見ていて、気遣いのできる優しく思いやりのある人でした。そして、責任感が強く、真面目で、一人で抱え込みすぎる人でした。

私は、授業が終わってバイトに行っていたので、いわゆる”夕勤”という時間帯で、17時〜22時で勤務をしていることが多かったです。アルバイトで溢れている店でもなかったので、人員がいない時はいつも店長が入っていました。決まって店長と一緒にシフトに入る曜日もありましたが、私はそれが密かに楽しみでした。

タバコを吸う店長だったので、タバコ休憩、通称”タバ休”を勤務中の隙をみて数分取る店長。(もちろんレジが混んでたら秒で出てきてくれる)その代わりに、私にもよく同じだけの時間の小休憩をくれました。その度ごとと言っても過言ではないくらい、カフェラテを奢ってもらって飲んでいたのも懐かしいです。

駅前でもなく、住宅街と大通りに位置する店舗だったため、常連さんも多かったです。よく来店してくださる常連さんとは、立ち話をする仲になります。もちろん、店長を慕っている常連さんも沢山いました。

私はわりと真面目に勤務するタイプだし、テキパキ動いて仕事していた方だと思います。それでもミスることは何度かあって、一番の失敗経験は、”おでんぶちまけ事件”。冬にレジ前に置くおでんですが、定期的にだしを入れ替え、商品を補充します。ある日、だしを綺麗に入れ替えて、商品をぎゅうぎゅうに補充したおでんケースを….思いっきり床に落としてしまいました。おでんケースって、いっぱい入れると結構重いんですよね。今思えば、一緒に働いている店長にお願いしたらよかったんですけど、まあいけるでしょと思っていたところ….でした。幸い忙しい時間帯ではなかったのが救いでしたが、商品をいくら廃棄したか分かりません。それでも一ミリも怒られませんでした。たぶん私、そこで怒られていたら相当凹んでいたと思います。

そして何より、店は私にとっての大切な居場所のひとつでした。シフトが入っていない時も、シフトを確認し、店長がいる時には遊びに行くくらいでした。ある日、当時付き合っていた彼氏が家に泊まりにきた日のこと。なんの理由だか今となってはすっかり忘れてしまったけど、喧嘩したんですよね。家に居づらくなって、私の家なのに私が家出しました。深夜1時くらいだったと思います。行き先はもちろん店。店長の夜勤中を狙って突撃し、愚痴を聞いてもらったりしていました。それ以外にも、よく勤務のたびに近況を聞いてもらっていました。いい具合に適当に話を聞き流してくれるし、本当に聴いて欲しい時は真剣に聴いてくれる、そんなバランスも良いところが話しやすかったんです。

一番思い出に残っていることがあります。冒頭にも記載しましたが、私がコンビニバイトを辞めた理由は、海外渡航でした。当時、そこまで多くはなかったけど、他の人員に比べればそれなりにシフトに入っていた頃(週3〜4くらいだったかな)、「海外に行きたくて、アルバイトを辞めたいです。」と打ち明けました。心苦しくて、もちろん自分も辞めたくはなかったけど、勇気を振り絞った告白でした。「○○(私の名前)がそうしたいんやったら、いいやん」と。正確に何と言ってもらったか思い出せないけど、否定せず応援してくれた記憶です。

そして最終勤務日を終えたある日。当時、大学近くの家を引き払い、実家に帰って渡航準備をしていた時期、深夜に突然、「今、家の近くにおるんやけど。」とLINEがきました。何の予告もなかったですw
「え、なに!?」と思って家の外に出ると、なんと車で家まで来ていました。(店から私の実家までは車で片道2時間〜2時間半くらいかと思います。)

そして、これは多分私がいつの日か欲しいと呟いていたのかもしれませんが、私が欲しいと思っていたiphoneケースをプレゼントしてくれました。このケースは、海外渡航中、帰ってきてからも次のiphoneに変えたため使えなくなるまで、大切に使っていました。
お礼のLINEを送ったその返信(だったと思う)。長文で、私への感謝の気持ちを綴ってくれていました。照れ屋なところがある人だったので、普段そんな風にかしこまって伝えてくれることなんてありませんでした。本当に嬉しくて、涙を流しながらその文章を読んだことを覚えています。

帰国してからは、大学近くから離れ、実家に住んでいたため、コンビニバイトに戻ることはありませんでした。それでも、たまに訪れては店長に会いに行っていました。卒業して社会人になってからは上京してしまっていたので、頻繁に会いに行くことは難しかったですが、ほんのたまに顔を見せに行っていました。


そんな感じで、思い出がいっぱいで、すごく慕っていた方でした。何よりも、こんなに仕事が続かない私が、1年半も楽しく働けていたのは間違いなく店長の人柄のおかげでした。あの時のコンビニバイトは、適応障害になったり休職をしたりなど自己肯定感が下がった今でも、私の自信を取り戻させてくれる貴重な経験です。
私は自己アピールをするのも苦手なので、本当に、細々と真面目に働いていただけでした。特に目立つ訳でもなかったのに、こんなにも私を信頼してくれたのは、店長が人をしっかり見ているからに他なりません。

コンビニバイトを辞めてから、もう6年ほどが経ちます。それでも今回の出来事は、本当に本当に悲しくて、訃報を聞いてから数日間は毎日涙が止まりませんでした。今でも鮮明に、店長の笑顔、私を呼ぶ姿、冗談を言って笑う顔、仕事している時の姿などが記憶に蘇ります。

そして時間が経つにつれて、もちろん私自身の悲しみは絶えませんが、それよりも、直近私よりも身近にいた方々の感じる悲しみへの思いが募っています。長期で勤務をしている方、直近働いている方、そして何よりも、ご家族ご親族。残された奥様と子供たち。
私がその奥様の立場で、自分の夫が突然いなくなってしまったら…ということを…考えたくもありません。
そんな感じだからこそ、奥様のお気持ちを想像しただけでつらくてつらくてたまらないです。

追々知ることになるかもしれませんが、今のところは明確な原因を私は知りません。遺書があったみたいですが、「幸せな人生だった」と書かれていたことくらいしか、私は知りません。

ただ想像するのは、とてつもない孤独があったのだろうということです。真面目で責任感が強く、不器用で人を頼ることができない方でした。その上、夜勤も回し日中も仕事をしなければならないコンビニ店長は、労働時間の意味でも孤独の意味でもキツく、頭も心も物理的にも余裕がなかったのかもしれません。

人への思いやりがあり真面目な方こそ、どうしてこのような結果になってしまうのか。そんな状況に、知識も何もない私ですが、虚しさと憤りを感じます。社会が救うことはできなかったのか?状況を未然防止する方法はなかったのか?もっと早く気づけなかったのか?

これまでに感じたことのないくらい、この世の中がきちんと向き合わないといけない社会課題だと強く感じています。
なぜこうなってしまうのか?今、社会が取り組んでいる対策はあるのか?その効果はあるのか?など、これから勉強していきたいです。

私は今、前職を退職し、就職活動をしています。人材業界を辞め、精神疾患や障がいを抱えた方の就労移行支援を展開する福祉業界への転職を試みています。
この仕事に携わることが、今回感じた社会課題の解決にどれくらい効果があるかは分かりませんが、できることは沢山ある気がしています。
※なぜこの業界、この仕事に携わりたいと思ったのかは、また記事に書きます。(今回の出来事が直接のきっかけではないです。)

店長の死を絶対無駄にしないよう、社会に還元していきたいです。
これまで本当にありがとうございました。とってもお世話になりました。ゆっくり休んでくださいね。出会えて本当に良かったです。


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