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9月の空 この世での役割

今週は大叔母や事故で亡くなった幼なじみの命日が続いてる。
そんなとき、周りの方にもいろいろなことが起こっていて、正直今とても心が揺れている。

9月は好きな季節でもあるけど、なぜこんなに生と死との境界が近いんだろう。同じことは8月にも言える。

なぜか周りでは、いい人ややさしい人、人に愛される人や心の純粋な人ほど私よりも先に亡くなってる。
なんでこんな人が…と、ずっと思っていた。思ったのは私だけではないと思う。

そして私のようなのは、学校に来た母親が嘆いたほど浮きまくってて同級生の友達は少なく、19の時に「40まで生きてたくない」と罰当たりなことを言ってて、生きていたのが奇跡というような大事故に遭ったのに一命をとりとめ、警察を驚かせた。
それどころか事故の手術中、大叔母の死因になった同じ病気の初期段階が肺に見つかって結果的に生かされ、40とっくに過ぎてもなぜか今ここにいる。

自分ではない人の生と死に向き合うとき、だから私は胸が苦しく、訳のわからない涙が出てくる。
何人かの友人が亡くなったときも、なんで私みたいな罰当たりなのが生きててこんないい子が…と、いつも思ってた。苦しい。

だけど、本当はそんなことは思っちゃいけないんだ。

私みたいな横着なダメ人間はまだ、人としてやらないといけないのに出来てないことが多すぎるし、学びもまだまだ全然足りない。
だから19の時に「ちょっと待った!資格なし!全然ダメ。あんた早いよ。はい、やり直し!」と、天から突っ返されたんだと思う。

なにが起こってても、心が動揺することがあっても、私はこの世での自分の役割を考え、それを学び、全うしなくてはいけない。

それが私自身が自分に課してる、亡くなった人達への供養であり、恩返し。

「アンクル・トムの小屋」に出てきた黒人奴隷の悪童トプシーが、自分に初めて無償の愛を教えてくれたエヴァンジェリンが亡くなった後、故国アフリカに渡って伝道師になったのも、これと近い心境だったのだろうか。

9月の空を私が見るとき、そんな複雑な想いも混じっている。

そんな先週、バイリンガル保育園の子供達と大きな公園を散歩したとき、気持ちよく澄んだ青空を、上空の風で雲が流れているのが見えた。
「 Look!  Clouds are moving !  」
と、私は近くにいた3歳クラスの女の子達に叫んだ。

雲が動くわけないと最初信じなかった彼女達は、実際流れて動いている雲に気づいてびっくりし、目を輝かせて喜んでいた。
私は彼女達に雲が動く理由を話した。 生前の父がやってくれたように。

そのとき、その青空と雲の間を白く光りながら飛んでいる飛行機が見えた。

私にいつもブロックで作った国際宇宙ステーションやロケットを嬉しそうに見せてくれる3歳クラスの男の子が、興奮して私の腕を引っ張って空を指さし、ピョンピョンしている。
彼とはよく宇宙や海洋生物のネタで盛り上がり、私がピアノで「くじらのとけい」を弾いたり折り紙でくじらを作ると、すごく喜ぶ。

私の抱えた過去を知らない未来の子供達と、同じ9月の空を見て、かつて誰かが幼い私にしてくれたように、彼らの心に残るなにかを教えようとしている不思議。

自分のこの世での役割、私は果たせているんだろうか?



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