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道で自転車を練習する父子を見て、生前の父が私に自転車を買ってくれなかった理由に気づく。

お彼岸前後ナゾの体調不良に悩まされたので24日に郊外の露天風呂に行く途中、自転車の練習をしている6歳ぐらいの男の子とお父さんを見かけた。
私達は、たまたま同じタイミングで田舎道の信号待ちをしていた。

会話の感じから、どうやらお父さんは今週男の子に自転車の乗り方を教え始めたばかりで、今日初めて実際に路面に出て道を走っているみたい。
安全ヘルメットの下の男の子の顔は一生懸命そのもので緊張し、先発のお父さんがしょっちゅう振り返って息子を見ては、言葉をかけてる。

親に自転車を教わったことがない私は「へぇ!今の子達はああやってお父さんに教わって練習してるのかぁ」と思いながら、信号待ちで暇なのでお二人をほほえましく見ていた。

信号が青に変わり、私達は一車線しかない短い横断歩道を渡った。
ところが、背後で男の子の悲痛な叫び声がして、道を渡った全員が振り返る。

なんと、男の子は自転車の後ろの補助輪が道の段差にはまって動けなくなっていた。
お父さんは先に渡ってしまっていて男の子は一人残され、信号が点滅し初めてどうにもできずに泣きそうになっている。

危ない!戻って助けなきゃ…と思いながら点滅を見てタイミングで迷っていたら、お父さんが戻って段差にはまった補助輪を戻し、自転車が動くようになった男の子と一緒に無事に横断歩道を渡った。

信号はとっくに赤に変わっていたけど、ドライバーさん達は誰一人クラクションや怒鳴り声もなく、車を止めたまま父と子が無事に横断歩道を渡りきるまで見守っている。
冷や冷やしたけど、みんないい人ばかりで事なきを得て、男の子とお父さんの自転車は彼らの目的地に向かって走っていった。

男の子、初めて自転車で町に出て大冒険だったな。グッジョブ!
危険を脱した男の子もお父さんも、沢山の事を今日の初めての大冒険で学ぶんだな…と思う。

一連の出来事を見ていて、私は生前の自分の父を思い出した。
その辺りの景色が九州の私の田舎に似ていたこともある。

父は私がいくら欲しがって懇願しても、小学校高学年になるまでは絶対に自転車を買ってくれなかった。
「危ない。事故に遭うぞ」
が、その理由。 なぜかずっと頑としてその一点張り。

私がおとなしく言うことを聞くはずもなく、自転車を持ってる友達に頼み込んで自転車を貸してもらいながら乗り方を教えてもらって練習し、小学校3年の時には道で友達の自転車をこっそり乗り回してたから意味はなかったのだけど…

さっきの男の子とお父さんを見て、ふと思った。
もしかしたら、父の言ったことは本当で、あのとき父が自転車を買ってくれなかったおかげで私は今生きてるのかもしれない。

さっきの男の子は事故に遭いかけたけど、ものすごく注意力があってお父さんの言葉もよく聞いていた。それが男の子の表情や動きからわかった。
だからお父さんも彼に自転車を買って教え、信用して路面に出しているんだと思う。

ところが、幼い頃の私は赤毛のアンというあだ名がつくぐらい空想癖があってなんでもすぐに感動し、きれいな空とか花とか蝶とか鳥とか景色とか、要するに何かに気をとられると注意がそこ一点に集中し、他を一切まったく見なくなる癖があった。

父や母には言ってなかったけど、実はそれで何度も死ぬか大怪我しててもおかしくない事故に遭いかけている。9歳の夏にも実は。

父は、そうした私の特性を見抜き、危惧していたのだと初めて気がついた。

本当に事故に遭って重症患者として救急車で集中治療室に運ばれたのは19の時の一度だけで、あとは全部事故未満だったのは奇跡でしかない。

その事故の時も、私が生きてたのを見た現場検証をしてた警察の人がびっくりしてたし、さっき人が亡くなったばかりの集中治療室のベッドに運ばれたにもかかわらず、私は夜中に1回呼吸困難におちいっただけで持ち直した。

事故の時の顔の傷は、皮膚が恐るべき再生力でむけだして生え変わって数日で消えたと後で聞くまでは、そんなものがあったことも知らなかった。
レントゲンを撮られたことで、将来死因になりうる呼吸器の病気まで見つかって治療できた。
あとは母や病院の人いわくバケモノみたいな回復力で、通常あり得ないくらいいろいろ奇跡的に直ったと聞いている。

今思えば、これらは本当に全部、生前の父にも母にも生きてる身内や見えない親族にも、いろんな形で守られていたとしか思えない。

身体の回復に関しては、母や祖母たちの日頃の食生活の教育に感謝しないといけないし、その身体をくれた両親やご先祖にも感謝しないといけない。

呼吸器の病気に関しては、奇しくもお彼岸の日にその病気で婚約者に看取られながら亡くなった俳人の大叔母がいたことを、忘れてはいけない。
ピアノの弾き語りもしていたという大叔母の遺稿を、なぜか生前の祖母は葬儀の席で6歳の私に託した。
未来の私は奇しくも、大叔母の思いを引き継いだかのように同じことをするようになり、体質の弱点の対策も学ぶことになった。

そうしたことを全部、道の父子を見たことで一度に思い出した。

今年はお彼岸が近づいた頃から、父や亡くなった身内や家族や友人や、生きてる家族のことが頭をよぎることが多かった。
体調が悪くなって、なんにも出来なかったけど気にかかっていたので、露天風呂に出かける前に自宅の自分のデスクに父の好物だった落雁を供え、

「こんな散らかったとこに置いてごめんなさい。皆さんで分けて食べてね」

と、手を合わせてから家を出た矢先の出来事。


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