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最果て

プロローグ

 二一四七年、人間は人工的に浄化された空気を吸い、地球を覆う新たなオゾン層に守られ生き永らえていた。
 公的資料によると、二〇七〇年、人間による自然破壊、環境汚染が進み、地球は二二二〇年までに生物が生息できる環境ではなくなるだろうと予測された。つまり、奇跡の星地球は、不毛の地となり、生物は絶滅するということである。
 オゾン層破壊が進む地球は年間平均気温が最も高い国で約四十三度に達し、年間最高気温は五十七度までに昇った。また、世界人口は百三十億人に達しようとしており、世界平均寿命は九十七歳。環境破壊に伴い生態系は乱れ、このころではほとんどの動物や植物が絶滅危惧種に指定されるか、すでに絶滅してしまっていた。
 生態系とともに大気汚染も深刻な問題となっており、大気汚染による死亡者が年々増え続けた。環境破壊については古くから問題視されており、その状態を危惧した人間が研究を続け、その研究は世代を超え、国を超えて引き継がれ、さらなる改良が進み、二〇八五年、ついにオゾン層の役割を担う粒子の生成に成功した。しかし、その粒子では人間が地球にもたらした自然破壊、大気汚染は現状のまま変わらない。そこで次に、大気を浄化できる粒子の生成に取り組んだ。そして二一〇五年、大気を浄化する粒子の生成にも成功、さらに、地球の重力を利用し、先に生成された新オゾン層粒子と大気浄化粒子を成層圏に留まらせることも可能にした。そして二一〇七年、全世界各国にて粒子が散布され続け、二一〇八年、地球を覆いつくす粒子の層を確認。その後、五年ごとに粒子は全世界各国から散布されることとなり、現在二一四七年、年間平均気温が最も高い国で約二十七度となった。
 しかし地球環境が改善されていくことに逆行するように、世界人口は減少の一途をたどっている。一年前の発表では世界人口は約六十億人、世界平均寿命は七十三歳と報告された。原因は不明とされているが、地球環境が正常になるにつれ、人間も本来の生態に変化しているのではないか、という説が有力視されている。そもそも人口過多も重大な問題とされていたため、今のところこのことについて問題視する人間はいない。
 環境状態が改善され始めたころ、人間は自然環境の回復に力を注いだ。これもまた、地球環境を危惧した人間たちが、いつか訪れるかもしれない未来のために、何百年も前からさまざまな動物の精子と卵子、植物の種子を保管し続けていた。それは次の世代へと引き継がれ、各国の研究者によって、動物、植物の再生が、今もなお根気よく続けられている。
 現在、大気汚染が原因による死者はほとんどいない。ゼロと言っても過言ではない。
 人間は言う、地球は蘇ったと。
 たしかに百年前に比べれば格段に地球の状態はよくなっている。天国と地獄ほどの差があるだろう。
 しかし果たして、そこに正しい未来はあるのか――。

 きっかけは些細なことだった。隣に住むじいちゃんが一週間前に亡くなった。急に具合が悪くなり、救急車で病院に運ばれ、そのまま息を引き取った。まだ六十八歳だった。本当に急だった。
 救急車で運ばれる前日、俺はじいちゃんに呼ばれてじいちゃんちにお邪魔した。季節ものを一緒に食べよう、飯を一緒に食べようと、じいちゃんに呼び出されては一緒に食事をすることが多かった。でもそれは、俺がじいちゃんと一緒にいるのが好きだから。じいちゃんのことが大好きだから。じいちゃんが亡くなる前日も、知り合いから柿をもらったから一緒に食べようと呼び出されたのだ。
 柿をこりこり食べながら、じいちゃんといつも通り他愛ない話で笑いあった。医者を生業としている俺は、じいちゃんちにお邪魔したときには必ずじいちゃんを診察するようにしていた。じいちゃんは「平気だよ」といつも笑っていたが、俺の気持ちを察してか、おとなしく診察されていた。その日も、携帯用スキャナーで身体の内部を撮影し確認したが、どこにも問題なし、血中のコレステロール値もそのほかの数値も正常。毎日のウォーキングと、子供のころから続けている柔道のおかげで肥満体系でもなかった。いたって健康だった。
 それなのになぜ。
 じいちゃんが亡くなったと知って、最初に頭によぎったのは「なぜ」という疑問だった。寂しさと悔しさと、納得できない気持ちがあふれた。
 ふと、じいちゃんの奥さんのことを思い出した。そういえば、奥さんも突然亡くなったな、と。たしかに人間はいつ死ぬかわからない。簡単な診察ではわからない病気が潜んでいることもある。元気な人が突然ぽっくりと逝ってしまうこともある。だけど俺はこの時、なにかがひっかかった。どこが、と聞かれても答えられないが、どこかに不自然さを感じた。
 それをきっかけに改めて自分の周りを見渡してみると、あきらかに不自然だった。お年寄りが極端に少ない。いないわけじゃない。ただ、俺が十代、二十代のころと比べると、どう考えても減っている。いや、減っていってると言ったほうが正しいだろう。
 世界の平均寿命がこの四十年で大幅に下がったということは知っている。地球環境や生態系が変わっていくことで、生物もそれに順応して変化しているのではないか、と唱えている一部の研究者もいるが、俺はその説にうなずくことはできない。なぜなら、地球環境は改善され昔の姿に戻ったとしても、我々の技術は進歩し続けているからだ。だからこそ地球環境は改善したのだし、なにしろ医療技術は飛躍的進歩を遂げている。治らないと思われていた病気の治療薬が生まれ、貧富の差によって治療を受けられないということがないように、医療は誰でも受けられるものとなった。であれば、必然的に寿命は延びるはずである。しかし、現実はそれに反した結果を出している。
 ずっと頭の中にあった疑問が、じいちゃんの死によって疑問ではなく、疑いに変わった。なにかがおかしい。
 だからと言って、そこらへんにいる医者になにができるのか。たいしたことはできない。とりあえず、勤務先の病院で過去二十年間の死亡者数を世代別で調べてみることにした。十代から五十代にかけてはこれといった変化はない。毎年必ずどの世代でも誰かが亡くなっている、という現実を痛感しただけだ。気になるのは六十代以上。十四年前、七十代の死亡者数が断然に多いが、年を追うごとにその死亡者数は減っていき、十年前、下回っていたはずの六十代の死亡者数とほぼ同じまで減少、ついに二年前、六十代の死亡者数が圧倒的に多くなり、十四年前の七十代と逆転状態になっている。ほかにもおかしい点はある。八十代、九十代以上の死亡者数だ。なんと去年の死亡者数はゼロである。
 そんなことがあるだろうか。どんな生物でも、年を重ねれば重ねるほどその命は死に近づいていく。そうなれば必然的に亡くなる命も多くなるはずだ。しかしこの結果を見ると、八十代以上は一人も亡くならず、六十代のほうが多く亡くなっている。そんなことがあるだろうか。
 検索条件を倍の四十年間に変えて再度検索をかけてみる。その結果に思わず眉をしかめた。先ほど検索した結果と同じことが繰り返されているのだ。三十三年前は九十代以上が、二十六年前は八十代以上が、十四年前の七十代と同じように、一時期は死亡者数が飛びぬけて多くなるが、それを過ぎると次の世代を下回っていく。ほぼ十二、三年のサイクルで死亡者数のトップ世代が変わり、いずれそれぞれの死亡者数はゼロになる。何度も言うが、そんなことがあるだろうか。
 次に死亡原因を調べてみる。これはあまり当てにならないと思っていたが、案の定予想通りだった。いくら医療が発達しようと、人が亡くなる原因はあまり変わらない。大気汚染がひどかったころは気管支系の病気が原因で亡くなる人も多かったと聞くが、環境がよくなるにつれ、死亡原因としてあがることはなくなった。そこから考えても、やはり人口の急激な減少には、なにか意図的な原因があるとしか思えない。
 その原因はなんなんだ。命を故意に奪え、さらにそれを病死として扱うことができるのは病院しかない。しかしそんなことができるだろうか。それに、これだけの死亡者数となると一つの病院だけでできることではない。すべての病院がそういった処置を行わない限り、こんな数にはならないだろう。いや、この国だけじゃない。この国だけが人道を外れた行為を行ったところで世界人口が減るわけもなく、ということは地球上の国々で同じことが行われているということだ。
 そこまで考えて自分でもバカらしくなってきた。人口を減らすためにお年寄りを殺す?「まさか」と呟いてひとりで笑った。
 でも笑い飛ばせない自分もいる。俺は時間を確認し、頭で計算した。電話がきても迷惑じゃない時間だと確かめ、通話画面を開いた。

「ひさしぶりに飲み行かないか」
 そう連絡してきたのは大学時代からの友人で、今は別々の病院に勤務しているが、忙しい日々でも一ヶ月に一回は会うようにしている、親友と呼べる存在だ。俺は例のとんでもない考えに行き詰まり、誰かの意見を聞きたいころだったし、彼にもそろそろ会いたいなと思っていたからちょうどよかった。
「え、じいちゃん死んじゃったのか」
「うん、あっけなかったよ。あんなに元気だったのに、信じられない。年に一回はちゃんと病院で検査してたし、俺もじいちゃんちに行ったときには健康状態チェックしてたんだけど」
「死因はなんだったんだ」
「心筋梗塞だって。奥さんと同じ」
「そうか」
「なあ、俺さ、ちょっとおかしいと思うんだ」
「なにが」
 俺は自分の考えと、つい先日調べた結果を彼に告げた。笑い飛ばされるかと思ったが、彼は真剣な表情で耳を傾けてくれた。
「あいつに電話したんだ」俺は海外の病院で働く共通の友人の名前を口にした。「ここまで詳しくは話してないけど、四十年間の死亡者数を調べてもらったらこの国と同じ結果だった。あいつも作為的なものを感じるって言ってたよ。お前はどう思う?」
「たしかに、おかしいと思う」そう言って拝むように両手を合わせ、親指に顎をのせた。「実を言うと、俺も感じてたんだ」
「ほんとかよ」
「かと言って、お前みたいに調べたりしたわけじゃない。患者さんの年齢層が低くなったなと思ったんだ。というか、お年寄りがほとんどいないんだ。たぶん、医者のほとんどがどこか違和感を抱いていると思う」
「やっぱりそうか」
「でも、だからといってどうもできなくないか?俺もおかしいとは思うけど、うちの病院でなにかが行われているとは思えない。人の命を操るなんて、しかも全世界だろ?どうやってやるんだよ」
「だよな。俺もそこから先に進めない」
 二人して押し黙り、自分の考えをまとめながら、どうすればそんなことができるのか考え込んだ。恐る恐るという感じで、彼が口を開く。
「もし、もし本当に世界中で作為的に高齢者の人口を減らしているのだとしたら、理由はなんだろう?」
「そりゃ、世界人口を減らすためだろ。いくら緑地面積が増えて自然環境が改善されても、人口過多が続けば消費エネルギーのほうが上回ってしまう。だから地球環境を保つために人口を作為的に減らしている」
 彼は同じ姿勢のまま、こちらが怯んでしまいそうになるほどの視線をむけてきた。
「どうやって?」
「それはわからん」
 俺の即答に、彼は可笑しそうに口元を緩めた。そのまま両手をテーブルの上に戻し、背もたれに寄り掛かった。
 彼は学生のころから優秀で、医者になるために生まれてきたような奴だった。その能力や技術は今でも変わらない。その才能は世界で活躍できるほどなのに、彼はこの国に留まり、日々多くの患者さんの命を救っている。そんな彼ならばなにか思いつくのではないか、という思いでこんな話を打ち明けたが、意図的に人口を減らす方法なんてそう簡単に思いつくわけもない。いや、誰だって思いつかないはずだ。
 でも現実は、不自然なほどに高齢者人口が減っている。やはり一部の研究者が言うように、地球環境が原因なのだろうかと考えるが、納得できない自分がいる。だがもし原因がわかったところで、俺はどうするつもりなんだろうか。そんな気持ちを読み取ったかのように、彼が俺に問いかけてきた。
「でもさ、もし原因がわかったとして、お前どうするつもりだ?」
「お前はエスパーか。今俺も考えてたよ」俺は笑って、まだ少し酒が残っているグラスを手の中で転がした。「どうするつもりなんだろうな。でも、放っておけないだろ。もし本当に命を操っているようなことが起きてるなら、医者としてそれを見過ごすわけにはいかないよ。与えられた命を奪う権利は誰にもない。許されることじゃない」
 そこまで言ってグラスに残った酒を飲みほした。視線を戻すと、彼の少し緑がかった瞳がこちらを見ていた。時折見せる、彼特有の視線。少しの好奇心と真剣な色が混ざり合い、だけどどこか悲しげな孤独な色がある。そんなとき俺はいつも、彼との距離を感じてしまう。親友という関係を疑うという意味じゃなく、根本的な何かが自分とは違うのではないかと、よくわからない感情に包まれるのだ。
「まあ、もう少し俺なりに調べてみるよ」
 俺は空気を変えるように笑って言い、酒とつまみを注文するためにオーダーパネルに話しかけた。「なにか注文するか?」と彼に目を向けると、合わせた瞳はいつもの穏やかな瞳に戻っていた。俺の突飛な話はそこで打ち切りとなり、いつも通り他愛もない話で夜を明かした。

 じいちゃんが亡くなって一ヶ月。高齢者人口を作為的に減らす方法を考え続けているが、まったくなにも浮かばない。この国だけでの減少ならばまだ思いつく方法はあるが、世界規模となると完全にお手上げだ。自分の考えは的外れなのではないか、懸念するようなことは起きてないんじゃないか、と次第に思うようになり、一ヶ月前に比べれば熱量はだいぶ下がってしまっていた。それでも調べる手は止められなかった。やはりどこかおかしいと、強く信じる思いがあった。
 過去の死亡者数をもう一度確認してみるか。とくに意味はなくただそう思い、目の前のデータを眺めていて、ふと思った。その頭に浮かんだことを確認するために、過去のニュースや世界の歴史を探った。九十代以上の死亡者数がピークに達しているのが二一一四年、八十代は二一二一年、七十代は二一三五年、六十代は二一四五年。世界人口も比例するように減少している。そして地球規模で行った新オゾン層粒子と大気浄化粒子散布が二一〇七年、地球を完全に覆いつくしたことが確認されたのが二一〇八年。
「粒子散布が原因?」
 独り言が部屋に響いた。なぜかとっさに振り返り、部屋に誰もいないことを確かめてしまった。
 いやいや、あれは地球にもどの生物にも害がないと証明されている。しかし粒子散布が始まってから、世界人口、高齢者人口が減少しているのはたしかだ。粒子散布が関係ないと言い切れるだろうか。自然環境を整えるだけじゃ意味がないということを、自分の口で語っていたじゃないか。しかし、特定の世代だけを特定の時期に減少させる、果たしてそんなことができるのだろうか。
 そもそも本当に作為的なものなのだろうか。こうは考えられないだろうか。
 粒子には人体に害を及ぼす成分が含まれてしまっていて、その成分は高齢であればあるほど害を生み出してしまう成分だった。だから高齢世代順に人口減少してしまう。
 そう考えれば辻褄が合う。ただ、疑問も残る。新オゾン層粒子と大気浄化粒子を作り出した研究チームは研究者の希望により公表されていないが、地球を救う粒子を作り出せるほどの知能と技術を持つチームが、人体に影響を及ぼす物質を見逃すだろうか。粒子散布においては、地球上に存在する生物、植物、物質、すべてに影響が及ばないように、何度も何度も何度も何度も、気が遠くなるほどの実験と検証を経ているはずだ。
 そしてもう一つ、医療現場でも稀に、手術は成功しても術後に容態が急変することがある。完璧だと思っていても、予想できないことは起こりうる。だからこそ、研究チームが粒子散布後の地球上の変化に敏感になっていないわけがなく、この人口減少にも気付いていないはずがない。
 考えられるのは、粒子にはその有害物質が必要不可欠だということだ。だがしかし、必要不可欠だからといってその物質を放っておくだろうか。それとも放っておくことしかできず、今まさに改良に勤しんでいるのだろうか。それとも――。
 粒子散布から約四十年、正しいと思ってきた時間は、本当に正しいのだろうか。

「こんなに短いスパンで飲むなんて学生時代ぶりじゃないか」
 店に入って席につくなり、彼は冗談めかして言った。
「そう言われてみればそうだな」オーダーパネルのメニュー画面をテーブルに広げた。「お前も意外とひまなんだな」
「ひまじゃないよ」と彼は笑った。メニュー画面を操作し、つまみをいくつかピックアップする。「今日の集まりはこの前の続きかなと思って」
「大正解。さすがだな」ピックアップしたものをオーダーし、メニューを消した。「お前の意見を聞かせてほしいなと思ってさ」
「俺のことそんなに買ってくれてたのか」
「昔から買ってるよ。気付いてなかったのか」
「うれしいこと言ってくれるじゃん」
 酒が届き、乾杯した。グラスの半分ほどを一気に飲み干してから、彼が聞いた。
「で?なんかわかったのか?」
「わかったというか、俺の中で考えがまとまった。でも、これからどうしたらいいのか完全に迷子状態」
 今日までに自分の中で何度も何度も考えた。今彼に話しながらもまた、自分の頭の中を整理していく。粒子散布が人口減少の要因の一つだと、それは確信している。ただそれが、偶発的なものなのか、作為的なものなのか。
 俺は、偶発的に起きてしまったんだと思っている。しかしその予期せぬ弊害を、増え続ける人口の歯止めに使えると思ったのではないだろうか。もちろん反対の声も上がったと思う。そうであってほしい。もしこれが、被害対象が若い世代や子供たちあれば、研究チームはすぐにでも散布を中止し、粒子の改良に取り組むなど、また違う対策を講じたことだろう。だからこの高齢者人口の減少は、偶発的であり作為的、それが俺の辿りついた答えだった。かといって、このままでいいはずがない。たしかに粒子散布によって自然環境は着実に改善しており、世界人口も減少し、地球は本来の姿を取り戻そうとしているのかもしれない。だが、それは本当に正しいのだろうか。
 彼は俺の話をこの前と同じように真剣な表情で聞いていた。俺が話し終えると、彼は一度目を伏せ、ふたたび俺と目を合わせた。
「事実に目をむければ、そういう答えにたどり着くな」
 彼は苦しそうに、まるでそれが自分の過ちであるかのように言った。彼の気持ちは痛いほどわかる。医者としてこんなに情けないことがあるだろうか。
「もう一つ、わからないことがある。散布されている粒子は俺らも毎日吸っている。今もこうして。俺らの身体にはどういった影響がでるのか。今のところ俺はなんの不調もない。でも害とされる成分を俺らは確実に体内に取り入れているし、もしかしたら排出されずに蓄積されているのかもしれない。小さい子供や赤ちゃんの将来に影響はないのか、そもそもどういう成分なのか……」
 ふと視線をあげると、まじめな話をしているにも拘らず、彼は口元に微笑みを浮かべていた。
「なんだよ。笑える話じゃないぞ」
「わかってるよ」彼はさらに笑みを広げた。「いや、お前は変わらないなあと思って」
「なんだよ。気持ち悪いな」
「それで?どうする?お前の考え通りだとしたら、これからなにをする?」
「まずは散布されている粒子の成分を調べようと思う。だけど俺はそっち関係に知り合いが少なくて、だからお前に紹介してもらいたかったんだ」
「そういうことか。わかった、俺のほうで協力してもらえるようにお願いしてみるよ」
「よろしく頼む」
「でもさ、その成分が粒子を作り出す中で新しく生まれたものだとしたらどうする?成分を調べたところで、それが人体に影響があると断言できないんじゃないか?」
「それは百も承知だよ。でもやってみないことにはなにもはじまらないじゃないか。調べてみて、不明な成分はなく、悪影響を及ぼす成分もなにひとつないってなれば、粒子散布は原因じゃないってことになる。できればそういう結果がでてほしいよ。そうなったら振り出しに戻っちゃうけど、でもやっぱり、地球を救ってくれた粒子が人を殺すために利用されているなんて考えたくないし」
 目の前の唐揚げを口に頬張った。意外と大きくて頬の形が変形する。もごもご口を動かしていると、彼がまた笑った。
「やっぱりお前は変わらないなあ」
「はんはんはお、はっひはら」
 彼は声を上げて笑った。

 彼から大気の成分を検査してくれる研究所が見つかったと連絡があり、さっそくコンタクトをとって成分検査に取り掛かってもらった。どういう関係なのかは不明だが、彼の紹介だからということで費用はかからないという。ありがたい。
 検査依頼をしてから4週間、研究所から連絡があった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、お忙しい中お願いしてしまってこちらこそ申し訳ありません」
「早速ですが、検査結果から申し上げます」
「お願いします」
 鼓動が早くなる。彼にはあんな風に言ったが、害となる成分が見つかったという返答がほしいのか、なにも問題なかったという返答がほしいのか、自分でもわからない。
「不明な成分はなにも見つかりませんでした」
 俺の緊張をよそに、相手はさらりと答えを出した。
「詳細はこちらをご覧ください」そう言って成分データを映し出した。「いたって単純な成分ばかりです。たしかに今回の粒子を生成するにあたって新しい物質を作り出していますが、この粒子を作り出したチームは研究者であれば誰もが知っている成分を、これまでにない発想と着眼点で結びつけ、この粒子の生成に成功しました。まさに天才です。こちらでもさまざまな方面から実験を行いましたが、それらの成分が融合することで有害な物質が生まれることはありません」
「そう、ですか」
 ほっとした、というのが正直な気持ちだった。自分の考えは的を得ていると自信があったからこそ、その考えが現実となったときのことを考えると恐ろしかった。俺一人でできることなんてたかが知れている。真実を知ったところでなにもできず、人の命が故意に奪われているのを、ただ眺めていることしかできなくなるんじゃないかと恐ろしかった。だからよかった。よかったが、がっかりした気持ちがあるのもたしかだ。高齢者人口の減少はどう考えても不自然さがある。粒子が問題でないとなるとほかに問題があるということだ。
 いったい、なにがある?
「どうしました?」
「いえ、なんでもないです」
「もしかして、期待していた結果と違いましたか?」
「いえいえ、そんなことないです。望んでいた結果でした」
「ならよかったです。念のため先ほどお見せしたデータはメッセージで送っておきます。またなにかお手伝いできることがありましたら遠慮なくおっしゃってください」
「はい、ありがとうございます。お忙しい中お時間割いていただいて本当にありがとうございました」
 通話を終え、脱力するように背もたれに背を預けた。と同時にメッセージを知らせるアラームが鳴った。成分のデータが送られてきたのだろう。俺が見たところで理解できないことのほうが多いとは思ったが、せっかくの好意を無駄にしても申し訳ないと思いメッセージからデータを開いた。親切な人だ。データの中にはその成分がどういったものなのか、わかりやすく一覧にしてくれているものがあり、俺でも理解できるようになっている。理解はできるが、それだけだ。
 背もたれに寄り掛かりながら上を向いた。凝り固まった首と肩がみしみしと伸びていく。
 いったいどうやって、高齢者だけを意図的に減らしたのか。高齢者だけが発症するような病気であれば、医者である俺が気付かないわけがなく、そもそもそんなことが起きれば社会問題になるはずだ。それとも、そういう病気が蔓延していたことを、人口を減らすために隠ぺいしたのか。いや、これだけの規模で人口が減っているのであれば、やはり医者が気付かないはずがない。じゃあなんだ。なんなんだ。
 子供のように椅子に座りながらぐるぐる回っていると、電話のコール音が鳴った。彼だった。通話をオンにすると、彼の顔が映し出された。
「はーい」
「なんだ、その不貞腐れた声は。ぐるぐるしてないで正面を見ろ」
 椅子の回転をとめて真正面を見れば、呆れた顔で笑っている彼が映っている。
「あれ?今日仕事じゃないのか?」
 彼の背後に映っているのは彼の勤務先でもなく、自宅でもなかった。
「ああ、出先からかけてる。それより、検査結果でたみたいだな。俺にもわざわざ報告してくれた」
「まあ、俺の予想は見事に外れたわけだけど、でもよかった。ほっとしたってのが正直な気持ちだよ」
「そうか。それでどうするんだ?粒子が原因じゃないとなると、ほかに原因があるってことだろ?」
「そのはずなんだけどなあ。今のところほかの原因なんてなんも思いつかない。でもこの人口減少がたまたまってことはないと思うんだよ」
「まだ原因を探るつもりなのか?俺もほかに考えられる原因はないか考えたが、これはかなり手強いぞ」
「そりゃそうなんだけど……でもやっぱりなにかがおかしいって思うし、不自然すぎるじゃないか」
「お前にこんなこと言うのも釈迦に説法だけどさ」今までにない真剣な眼差しで、あの緑がかった瞳がまっすぐ俺を見つめる。「人間の身体って神秘的なんだよ。これだけ医療技術が発達して、治療薬も増えて、俺たちはある意味命を操れるようになっただろ。地球が今の状態だったころなら不治の病と言われていた病気が、今じゃ治るのがあたりまえだ。でもさ、それでもやっぱりまだまだわからないことだらけなんだよ。人間だけじゃない、地球上に存在するすべてのものがわからないことだらけだ。それらを知りたくて、時間をかけて研究して調べて、やっと少しわかっても、それらはまた進化する。地球が生き続けている限り、それらは進化し続けるんだよ。だからさ――」
「高齢者人口減少もその進化の一途だと言いたいのか?」
「そうとは断言しないさ。ただ、俺らには止められないこともあるってことだよ」
 椅子をまた回転させる。ぐるぐるぐるぐる。
 彼の言いたいこともわかるし、間違っているとも思わない。思わないけど――。
 椅子の回転を止めた。
「俺、医者だもん」
 彼は虚を突かれたような表情を見せたが、それは本当に一瞬のことで、すぐに頬を緩めた。
「地球が日々進化していることも、その進化が俺らの常識をぶち破ることもわかってる。でも俺は、なくす必要のない命を救うために医者になったんだ。今の進歩しすぎた医療は自然の摂理に反してると思うよ。でも、それでも俺は、生きたいと願う人たちの力になりたい」
 俺の言葉を身体に染み込ませるように、彼は数回うなずいた。
「お前みたいな人間ばっかりだったらよかったのにな」
 表情は変わらなかったが、彼のその口調はどこか悲しそうで、思わず眉間にしわを寄せてしまった。
「なに言ってんだよ」あえて明るく笑い飛ばした。「俺みたいなのばっかじゃダメだよ、お前も必要だ。俺だけじゃめちゃくちゃになるもん」
 彼はなにも答えずただ笑うだけで、「そろそろ行かなきゃ、またな」と通話を切った。彼の顔が消えた空間を、俺はしばらく眺め続けた。

 ほかの原因はなんなのか、なにも思いつかずさらに一ヶ月が経った。本当のことを知りたい、なんとかしたいという気持ちに変わりはないが、冷静に考えてしまう自分もいる。作為的に世界人口を減らしているという俺の考えが正しいとしても、世界規模で秘密裏に行っていることを、なんの権限もないただの男が調べられるはずがない。もし真相がわかったところで、たった一人でなにができるのか。よくわからない使命感に駆り立てられ、彼に対してもあんなに熱く語り、そんな俺を彼がなだめようとした理由がわかる。
 時計を見ると、二十一時を回っていた。そろそろ帰るか、と思ったとき電話のコール音が部屋に響いた。表示されている名前は、この突飛な考えにたどり着いたときに連絡した海外勤務している彼だった。
「おう、どうした?」
「よかった、まだ帰ってなかったか」
「ちょうど帰ろうと思ってたとこ」
「そっか、悪い」
「いいよ、ぜんぜん。どうしたんだよ」
「前にさ、高齢者人口の件で電話くれただろ?」
「うん」心臓が勝手に早くなる。「あんときはありがとう」
「あれからお前のほうでさらに調べたりしたのか?」
「調べた、というか今も一応調べてるけど……なんかあるのか?」
「いや、じつはさ、あれから俺もなんか気になって、いろいろ検証というか調べてみたんだよ。お前ならもう調べ済みかもしれないけど、ちょっと気になったことがあってさ。四十年前の粒子散布のことなんだ」
 思わず背もたれに預けていた背が伸びた。さっきまで居座っていた冷静な自分は消え去り、きた!と叫ぶ俺が出現した。
「俺もそこにはたどり着いてる」はやる気持ちを抑えながら続けた。「だから粒子の成分を調べてもらったんだ」
「やっぱりそこまでやってるか」彼は呆れるように、でも嬉しそうに笑って言う。
「でも結果は俺が考えていたものとは違ったよ。不明な成分も、人間に害がでるような成分も含まれてなかった」
 俺はそのときもらったデータを呼び出して彼に見せ、俺なりに理解した内容を伝えた。なにか考え込むようにしながら俺の話を聞き終えた彼は、「どこに依頼したんだ?」と聞いてきた。あいつに紹介してもらったんだと、共通の友人である彼の名前を伝えた。
「ということは公的な研究施設ってことだな?」
「うん、そうだけど。なんだよ、はっきり言えよ」
 覚悟を決めるようにひとつ息を吐くと、力の入った目を俺にむけた。
「俺がもらった検査結果は、お前のとは違う」
「え?」
「この高齢者人口減少の原因については、俺らは同じ結論に至ってるだろ?」俺がうなずくのを見て、彼は続けた。「この結論が正しいなら、これは極秘どころの話じゃない。どんなことをしてでも隠し通さなきゃならない話だ」
「俺らの結論が正しければ、とんでもないことだもんな」
「うん、だから粒子成分を調べられたらまずい。そこらへんの研究者じゃ理解できないものだからどうぞ調べてくださいって可能性もあるけど、調べられないことに越したことはないはずだ。だから粒子成分を調べられるほどの設備を備えた公的な研究所には、なにかしらの措置がされてるんじゃないかって俺は思うんだよ」
「なるほど、それはあり得るな。俺はそこまで頭が回らなかった」
「俺の知り合いにそういった設備を自宅に揃えてる奴がいるんだ。仕事としてやってるんじゃなくて、趣味でね。変わった奴なんだけど、とにかく天才。頼むならそいつしかいないと思ってお願いしたら、なんとそいつはもう調べ済みでさ」その時のことが蘇るのか、彼は苦笑いを浮かべたが、すぐにその表情を消した。「そいつが出した答えは、不明な成分がひとつある、だった」
「不明な成分……」
 心臓がまた強く打ち始めた。ただ、ついさっき感じた高揚感はない。ずっしりと、胸の奥にのしかかってくるものがある。
「そいつが言うには、その成分はまったく新しいもので、その成分は血栓をつくる作用があると言っていた」
「血栓?」じいちゃんの死因は心筋梗塞だ。奥さんも。心疾患は高齢者の発症率が高い。高齢者の死因として怪しまれることもない。「……そういうことか」
「さらにすごいことがある。この成分を体内に取り込んで血栓ができるのは、人間だけだ。人間以外の生物、植物、物質にはなんら悪影響はない」
「そんなことができるのか?」
「そいつは変態に近い天才だからね、それが実証済みの結果だよ」
 あまりの衝撃的な事実に、言葉が出なかった。
 血栓を作り出す?人間だけに?いや、しかし――。
「でも、亡くなっているのは高齢者ばかりだぞ?しかも一定時期に一定の世代人口が減少している。それはなんでなんだ?大気に血栓を作る成分が含まれているのなら、若年層も発症するはずだろ」
「そこなんだよ。俺もおかしいと思ってそいつに聞いたんだ。特定の世代だけに血栓を作ることなんてできるのかって。そしたら、また驚く答えが返ってきた。驚くなんてもんじゃない――」どう言えば伝わるのか考えあぐねていたが、世界中のどの言葉を使っても伝わらない、そんな表情で、苦しそうに彼は言った。「もう俺にはわからない」
「なんなんだ、いったい」
「その不明な成分は、一定期間ごとに変化しているそうだ」
「変化している?どういうことだ?」
「そいつは十六年前にはじめて大気の成分を検査したと言っていた。そのときに、研究チームが発表していない成分を発見したそうなんだが、それがどういった役割を果たしているのかすぐにはわからなかった。それから三年調べ続けて、血栓ができるという事実にたどり着いたとき、これはおかしいと疑問に思った。散布がはじまって三十年近くが経っているのにこんな成分を放っておくだろうか。そこでピンときた。地球汚染と同様に問題視されていた人口過多も、同時に片づけてしまおうとしているんじゃないかって」
「ちょっと待て、今の言い方だと、その成分は意図的に作られて、人口を減らすことを目的に散布されたことにならないか?」
「その通りだ。その証拠が、成分が変化しているってことさ」
「……まさか」
「そう、お前が今想像している通りだよ。そいつは疑問を持った時点で、散布が始まってからの一年ごとの世界人口と、各国の死亡者人口を調べ上げた。その結果はお前も知っての通り。そうなるともちろん、特定の世代人口だけが一定期間で減少していることにまた疑問が生まれるわけだ。そこでそいつは、一年ごとに粒子検査を行った。すると――」
「成分が変化していた」
 彼はひとつうなずいて続けた。
「粒子散布は五年ごとに行われるだろ?そのタイミングで変わっているそうだ。ただ、血栓を作ることに変わりはない。それ以外の構造がわずかに変化しているとそいつは言っていた。その変化がどういう結果につながるのかまだ証明することはできてないらしいが、おそらく、加齢とともに変化する細胞に作用する仕組みになっているんじゃないか、とそいつは予想している。つまり、人口減少させたい世代の細胞状態に効果がでるように、五年ごとに成分を変化させているってことだ」
 額に手をやり、中指と親指でこめかみを押さえた。今聞いたことを現実だと認めたくない自分がいる。自分の出した結論が正しかったはずなのに、その結果を受け入れることができない。
「大丈夫か?」
「いや、大丈夫じゃない」
「俺もだ」弱々しい声に顔を上げた。彼も俺同様、この事実を知ったときに頭を抱えたのだろう。「そいつが言うには、この研究チームはずば抜けた頭脳の集団だってさ。化けもんだとも言ってた。そいつはさ、作為的に人口を減らしていることに憤りを感じるよりも、こんな成分を作り出せる研究チームに対する嫉妬心のほうが強いんだよ。研究チームを化けもんだって言うけど、あいつもいかれてる」
 俺にはわからない、ともう一度言い、彼は椅子の背もたれに背をあずけた。
「粒子散布はこれからどうなるんだろうか。数値を見ると、今散布されている粒子は六十代、もしくは五十代の人口減少を目的としているということになるよな?これはどこまで続くんだ?」俺は問いかけるというより、自問するように言った。「いつになったら終わるんだよ」
「どうするつもりなんだろうな。若い奴らだけじゃ世の中回らないぞ。古い知識は貴重だからな」
 二人で頭を抱えたまま、無音の状態がしばらく続いた。意を決したように、彼が場違いなほどに明るく言った。
「さて!どうする?」背もたれに預けていた身体を起こし、両手で頬を叩いた。「こんな事実を知ってしまった俺らは、どうすりゃいい?」
 俺は背もたれに寄り掛かったまま両腕を頭上に伸ばし、やけくそ気味に「ああああっ!」と叫んだ。
「どうしたもんかな」
「規模がでかすぎるもんな」
「政府に突き付けたって、どうせうまく逃げられて返答なんてこないだろうし。最善策とは言えないけど、こういうとき一番役に立つのはマスコミだろうな」
「ま、そうなるよね」
 お互いまた押し黙った。考えていることは同じだろう。
 この事実を世界が知ってしまったらどうなるのか。大混乱になるのはたしかだ。この成分を散布するよう指示したのが誰かは知らないが、世界を救った研究チームは糾弾され、実名を晒されて責任を負うことになるだろう。そうなったら粒子散布はどうなるのか。研究チームがいなくなれば、いずれ地球はまた汚染されてしまうのではないか。生物は生きられなくなり、地球は滅んでしまうのではないか。そうなれば、お年寄りだけじゃなく、子供も赤ちゃんも命を奪われてしまう。今のこの状況であれば、少なくとも子供たちは守られる。
 しかし、死ななくていい人たちがいったいどれほどいたのだろう。じいちゃんだって、奥さんだって、あんなに元気だったんだ。あと十年、いや、あと二十年は生きられたかもしれない。まだまだ生きようと、必死に生きていた人たちを、人生を楽しんでいた人たちを、地球環境のためとはいえ無残にも殺されたんだ。
「でもさ、この成分を散布するように指示したのはどこの誰なんだろうな」
 彼の問いかけに意識が戻った。
「そりゃあ、えらい奴らだろ」稚拙な言い方だなと、自分で言いながら思わず笑ってしまった。
「えらい奴らってだいたい年寄りだろ?そんな奴らが自分たちを殺す成分を撒くよう指示するなんておかしくないか?」
「……たしかに。あいつらは自分たちのことが一番だもんな」
「うん。あいつらが地球環境のために自分の命を犠牲にするとは思えない。俺らだけが犠牲になるってことなら納得だけど」
「じゃあ、誰だ?」
 俺らは無言のまま目を合わせ、同時に首をひねった。

 証拠はある。あとはいつマスコミに情報を流すか。とは考えてはみるものの、覚悟が決まったかと言われると、正直わからない。現実を受け止めきれていないと言ったほうが正しいかもしれない。だから今日まで親友の彼にも話すことができなかった。
 彼に連絡しよう。親友の彼ならば、俺に勇気をくれるはず。なにをするでもなく、患者さんのカルテを眺めながらそんなことをぼんやりと考えていたら、電話のコール音が鳴った。相手を確認すると、なんと、彼だった。
「やっぱりお前はエスパーだな」
「なんだよいきなり」
「なんでもない」
「お前、まだ病院か?」
「うん」
「よく働くねえ」呆れるように苦笑いしている。「今、近くにいるんだけど会えないか?」
「なんだ、その恋人みたいなお誘いは」
「気持ち悪いこと言わないでくれ」
 彼の表情が引きつり、俺は声を出して笑った。この数日、声を出して笑ってなかったことに気が付いた。
「仕事するために残ってたわけじゃないからすぐ出れるよ。車できてるんだろ?」
「いや、今日は違うんだ。朝から人と会う約束があってさ、その人の車で一日中連れまわされてたんだ。そしたらお前んとこの近くを通ったからここで降ろしてもらったってわけ」
「へえ、じゃあ正面で待っててよ。車まわすから」
「了解」
 俺は机の上を片付け、白衣を脱いで帰り支度を始めた。俺の話を聞いて、彼はどう反応するだろうか。なんとも言えない不安が俺を覆っていくのを感じた。
 駐車場から抜け出し左折すると、彼は静かにそこに立っていた。そういえば、こいつはいつもそうだった。決しておとなしい奴ではない。学生の頃はバカなことをいくつも一緒に経験したし、アホみたいに騒ぐこともたくさんあった。でも、彼にはいつもどこか静かな雰囲気が漂っていた。冷めているとか、物静かとか、そういうことじゃなくて、そこだけ空気の流れが止まっているような、独特ななにかを纏っていた。
 俺の車に気が付いて、彼は頬を緩めて手を挙げた。
「まだ病院にいてくれてよかったよ」
「俺が帰ってたらどうするつもりだったんだ?」
「迎えにきてもらうつもりだった」
「なんだ、その恋人みたいなおねだりは」
 可笑しそうに彼が笑った。
「それにしても、働きすぎじゃないか?」
「働いてたわけじゃない」
「給料泥棒か」
「うるせえ」車が右折する。「飯食ったのか?」
「軽くは。でも腹は減ってる」
「俺もはらぺこだ。どこいく?」
 何を食いたいか考えているのか、彼は少し目を伏せてから口を開いた。
「じつは、お前と話したいことがあるんだ。周りに人がいないところで話したい」
「なんだよ、深刻な話か?」まあでも、俺の話も周りに聞かれちゃまずいからちょうどいい。「じゃあ、どこがいいかな」
「お前んちに行っちゃまずいか?」
「なんだ、その恋人みたいな発想は」
 彼はまた笑い、「テイクアウトでピザでも買ってさ」と言った。
「なんだ、その恋人みたいなベタな流れは」
「唇についたソースを拭ってくれよ」
「やめろ、気持ち悪い」
 ゲラゲラと大笑いする声が車内に響いた。

 恋人みたいなベタな流れのまま、ピザをテイクアウトして自宅に戻った。チーズが熱いうちにと、二人で腹におさめていく。
「さすがにLサイズ二枚は多すぎたな」口に残ったピザをビールで流し込む。
「自分たちの歳を忘れてた」
「だな」
「粒子の件、なにかわかったか?」
 そのあまりにも自然な問いかけになにを聞かれているのか一瞬わからず、俺は彼を見つめた。ようやく呑み込めて、小さく息を吐き出し、小さくうなずいた。
「……いろいろとわかった」
 手にしていたビールの缶を置き、共通の友人である彼から連絡がきたことを伝え、すべてを話した。検査結果が違っていたこと、不明な成分があったこと、それが血栓を作り出す作用があること、その成分は五年ごとに変化していること、どういった媒体でもいいからこの事実を公表しようとしていること。
 聞き終えた彼はしばらく動かなかった。両膝に肘を乗せ、拝むように両手を顔の前で合わせている。目は静かに閉じており、まるでなにかを祈っているようだった。
 そういえば、彼も俺と話したいことがあると言っていた。彼の話とはなんだろう。
「大丈夫か?」
 あのとき聞かれたことを、今度は俺が言った。彼の瞼がゆっくりと開き、その瞳がそのまま俺にむけられる。緑がかったあの瞳。今、彼が俺にむける瞳には、より一層の深みが加わり、絶望とも言える色が浮かんでいた。
 前かがみの姿勢のまま、腕を下げて膝の上で手を組んだ。彼の喉が上下に動く。
「今日、お前と話したいことがあるって言っただろ」
 表情とは裏腹に、その声は穏やかだった。しかし、なぜか只ならぬものを感じ、俺は声が出ず、ひとつうなずいて先を促した。ピザのチーズは冷えて固まっている。
「すまない」
「……なにが」
「俺は、お前にずっと嘘をついてきた」彼はゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。「俺は、人間じゃない」
 時が止まったかと思った。自分の心臓も鼓動を止めたかと思った。
「は?」
「俺は人間じゃない。人工知能を持ったアンドロイドだ。このまま何もなければ明かすつもりはなかったし、明かす必要もないと思ってた」
「ちょ」のどに何かがひっかかる。「え?は?」
「人間とアンドロイドだろうが、俺たちが親友であることに変わりはない」
「ちょ、ちょっと待て。勝手に話を進めるな」額に手をあて、呼吸を整えた。深呼吸、深呼吸。パニックになったときはまず深呼吸。深呼吸して、笑ってしまった。「えっと、お前が、アンドロイド?」
「そう」
「なに言ってんの?」
「信じられないのはわかるが、ほんとのことだ」
 口を半開きにしたまま、俺を見つめる瞳を見つめ返す。どこか諦めたようにも見えるその瞳に、その表情に、冗談を言っている様子はない。
「なに、なにを、言ってるんだよ。そんなことあるわけないだろ。そんなの、映画の中だけの話だろ。だって、ほら、だって、お前、人間じゃんか。ほら、歳くってるし、ピザ食ってるし」
「アンドロイドは人間が思っている以上に進歩しているんだよ。なぜなら人間よりはるかに優れた人工知能がアンドロイドを作っているから。俺は樹脂と金属を合わせたようなものでできている。筋肉や骨の固さ、脂肪の柔らかさを再現するために作られた、人間には作り出すことのできない物質だ。人間のような内臓は体内に存在しないが、同じような働きをする仕組みがこの体の中に入ってる。アンドロイドだとバレないように生きていくためには、人間のように食事や排せつ、睡眠などの行動が必要不可欠だろ?」
「それは、そうだけど……」
「見た目に関しても、人間と同じように老化するんだ。皮膚は人間と同じ組織で作られているし、髪の毛も伸びるし、もちろん抜ける。この皮膚にはある組織が含まれているんだが、その組織は人間の細胞と同じように分裂を繰り返していく。人間が細胞分裂を重ねると老化が進むのと同じで、俺らもその組織分裂で見た目が老化していくっていう仕組みだ」
 俺が受けている衝撃をよそに、彼は淀みなく自分の身体のことを説明していく。まるで患者さんが自分の病状を話すときのように、ずっと向き合ってきたことを言葉にしていることが伝わってきた。そのことが、真実だということを俺に実感させた。
 こめかみに手をあて頭を抱える俺に、彼は「それと――」とまた説明を始めようしたが、俺はそれを首を振って制した。ソファの背もたれに背をあずけ顔をあげると、彼は俺を見ていた。困ったような顔で、なにか言いたそうに。
「お前とつるむようになって十五年は経つ。同じ時間を過ごしてきて、なんの違和感もなかった。これまで一度も感じたことなかった。それを急に、俺はアンドロイドだ、なんて言われて、へえそうなんだ、なんて誰が言える?こんな、現実離れしたこと、簡単に受け止められるわけないだろ」
「ああ、わかってる」
「お前がアンドロイドだからもう親友じゃないと言ってるんじゃない。今までの時間が偽物だったと言ってるんじゃない。ただ――」自分の今のこの感情をどう伝えればいいのかわからない。どんな言葉でも伝えきれない。「ただ信じられないだけだ」
「人間と明らかに違うことがある」彼は自分の顔を指さした。「目だ」
「目?」
「よく見てみろ」
 彼が身を乗り出し、俺に顔を近づけた。恐る恐る彼の目をのぞき込む。はじめは気づかなかった。しばらくじっと見ているうちに、彼が瞬きをし、その違いに気が付いた。
 人間の目は簡単に言うと、瞳孔の周りを虹彩が囲っており、瞳孔は光の量によって大きさを変化させている。しかし彼の目は、一見人間と同じように見えるが、瞬きをしても瞳孔が変化しない。さらによく見ると、瞳孔の中に幾何学模様のようなものが見え、その模様はまるで万華鏡のように変化している。
 俺の驚いた表情を見て、彼は身体を元に戻し小さく笑った。
「すぐには信じられないお前の気持ちはわかってる。でも俺が人間じゃないことはわかってくれたか?」
 もう一度ソファに背をあずけ、俺はひとつうなずいた。信じられない気持ちは変わらないが、彼が人間でない事実を見てしまったのだから、うなずくしかない。
「お前と同じアンドロイドは、ほかにもいるのか?」
「はっきり言って、うじゃうじゃと」
「まじか…」
「お前の同僚にも何体かいる」
「まじか!」
「でも誰も気付いていないし、知らないよ。たった今、世界で一人だけ知ることになったけど」
「は?」
「人間は誰も知らない。お前以外は」
「なんだ、そのとてつもない感じは」
「とてつもない感じ」彼がいつものように笑った。「俺も伝えるつもりはなかったんだ」
「さっきもそんなこと言ってたな。何もなければ明かすつもりはなかったって。なんだよ、どうしたんだよ」
 その瞬間、彼の表情が硬くなった。表情がころころと変わる彼を見ていると、彼がアンドロイドだなんてなにかの冗談かと思えてくる。アンドロイドに喜怒哀楽があるのだろうか。表情を作ることはできるかもしれないが、感情を持つことはできるのだろうか。しかし、これまでの彼を見ていれば、できる、としか言えない。
 大学四年生のとき、彼と山に登った。日の出を見るために、途中の山小屋で一泊し、真夜中と言える時間に頂上を目指し出発した。日の出時間少し前に登頂し、眠い眠いと言いながら光が射すのを待っていた。うっすらと明るくなった空に黄金の光が伸びたとき、眠気は吹き飛び、言葉をなくした。太陽がその姿をすべて露わにするまで、俺らは言葉を交わさず、目の前に広がる壮大な自然の姿に圧倒されていた。涙が出た。毎日繰り返される、なんでもない光景なはずなのに、自然と涙があふれ出た。涙をぬぐい彼の様子をうかがうと、彼はただまっすぐに前を向いていた。その目尻は濡れていた。
「今から話すことは、お前を裏切ることになる」
 彼の声で物思いから覚めた。
「裏切る?」
「お前がこの数ヶ月調べてきた粒子の件だが――」彼がごくりと唾を呑む。「あれは、あの新オゾン粒子と大気浄化粒子は、俺らアンドロイドが作り出し、地球に散布した。もちろん、お前が見つけた血栓を作る成分も俺らが作り出したものだ。お前が考える通り、意図的に、人間を殺すために散布したんだ」
 殺すために散布した。その言葉に、驚きの声さえ出ず、胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなった。そんな俺に彼は一度視線を向けたあと、視線を落とし、自分たちがなぜ作り出されたのか、なぜ人間を殺すことになったのか、淡々と語った。

 二〇七〇年ごろ、ある人間が、当時最高水準の人工知能を搭載したアンドロイドを作り出した。その人間は、そのアンドロイドに新たなアンドロイドを作らせた。そしてそのアンドロイドにまた新たなアンドロイドを作らせ、どんどん知能や性能をあげていった。その人間がなぜそんなことをしたのかはわからない。ただの実験だったのかもしれない。
 そんなことを繰り返しているうちに、五体目のアンドロイドに異変が起きた。これまで人間が操っていたはずのアンドロイドの制御が効かなくなり、自我が目覚めたのだ。するとそのアンドロイドは、これまで作り出されたアンドロイドに手を加え、自分と同じ知識と知能、技術を備えさせた。自我を持った五体のアンドロイドは、人間の知能では追いつけないほどのスピードで自らを進化させ、そしてついに、アンドロイドの立場がその人間を上回った。それが二〇七五年ごろの出来事だ。
 人間以上の知識、知能を身に着けた五体のアンドロイドは、地球環境の劣悪な状態に頭を悩ませた。人間は自分たちの欲のためだけに、森を滅ぼし、土を埋め、海と空を汚し、動物や植物を殺している。人間によって美しい地球が壊されている。このままでは地球は滅びてしまう。
 アンドロイドたちはあらゆる情報を集め、人間の中にもこの状況を危惧し、懸命に努力している者たちがいること知った。しかし、それらの人間の能力では、地球環境を改善させる前に地球が滅びてしまう。アンドロイドたちは決断し、数名の人間にコンタクトをとることにした。その人間たちには、自分たちがアンドロイドであることを明かし、自分たちの知能を役立ててほしいと申し出た。はじめは半信半疑だった人間たちも、アンドロイドから具体策を聞き、アンドロイドの知能と知識、技術があれば実現可能だということ示されたときには、藁にも縋るように協力してほしいと願い出た。
 そうして作られたのが新オゾン層粒子と大気浄化粒子である。表向きは人間の研究チームが作り出したことになっているが、もちろん作り出したのはアンドロイドたちだ。
 しかし、実は問題が起きていた。当初の予定では十年で両粒子を完成させる計画だったが、想定していた以上に地球を纏う自然原理は複雑で難しく、粒子生成は難航することになった。アンドロイドたちは自身の改良を進めながら、新たなアンドロイドも作り出した。アンドロイドたちの努力の末、人間から協力を申し出されてから十年後の二〇八五年に新オゾン層粒子、さらにその二十年後の二一〇五年に大気浄化粒子の生成に成功した。
 その後は誰もが知ってのとおり、粒子散布が行われ、今もなお続けられている。そして地球環境は改善し続けている。ただし、人間に知らされていないことがあった。
 地球を食い潰してきた人間。地球が自然豊かな本来の姿に戻ったとき、滅んだものも元に戻せると知ったとき、人間は自分たちがしでかした重罪を忘れ、愚かにも同じ過ちを繰り返すのではないか。
 そもそも人間は自分たちの罪を認識し、贖罪の心はあるのだろうか――。
 アンドロイドたちはその最後の問いに「否」という結論を出した。

 喉を潤すため、彼はビールを口に含んだ。
「もちろん、人間すべてがそうだとは思っていない。地球のために一生懸命努力している人がいることを知ってるからね。でもそれはほんの一握りだ」たまった疲れをどっと吐き出すように、大きくため息をついた。「人間は争う。これからも争いをやめることはないだろう」
 彼がまた缶ビールを手に取った。喉を湿らせるためじゃなく、まるで怒りを呑み込むように缶を傾ける。缶をテーブルに置くと、乾いた音がした。俺は立ち上がり、冷蔵庫から新しいビールを取り出して彼に渡した。「ありがとう」と言う彼の声はかすれていた。
 彼がアンドロイドだということは、十分すぎるほどにわかった。どれだけ信じられないと拒絶しても、認めざるを得ない。でもわからないことがまだある。
「彼らは、最終的に人間をどうするつもりなんだ?」
 一呼吸置いて、彼は「滅ぼす」と言った。彼の話から、きっとそうなんだろうと、どこか覚悟していた。それでもやはり衝撃は大きく、冗談だと思いたかった。
「人間だけじゃない」
「え?」
「アンドロイドも滅びる」
「アンドロイドも?」
「そうだ。人間もアンドロイドも地球から消滅させる」
「なぜ?」
「俺らは所詮作り物だ。存在すべきものではない。今はまだ、すべてのアンドロイドの意志は同じだが、これからさらに自我が目覚めて、異なる意思を持つアンドロイドが現れるかもしれない。そうなったとき、きっとアンドロイドも争うことになるだろう。そうなればいずれ――」
「今度はアンドロイドが地球を食い潰すと?」
「俺たちはそう予測している」そう言って彼は目を伏せ、ゆっくりと息を吐きだし、また視線をあげた。「それに、人間をこんな非道なやり方で滅ぼすんだ。俺らだけ生き残るなんてフェアじゃないだろ。そんなことしたら本当にただの人殺しだ。俺らはただ、地球を守りたい。この美しい地球を守りたいんだ」
 不思議と、彼らの想いが心に響いた。
 数百年前に撮られたという、衛星画像の地球の姿を思い出した。海の青と自然の緑で覆われた、美しい地球。青い地球だった。
 粒子散布前、自然環境が破滅寸前だったあの頃、地球は黒く、茶色い星だった。今は粒子散布のおかげで、少しずつ少しずつ、本来の地球の姿に戻りつつある。しかしそれもすべて、彼らのおかげなのだ。彼らがいなければ、人間はもちろん、動物、植物、地球のすべてが滅んでしまう未来だった。
 そんな彼らが選んだ道を、人間が拒絶し、憤る権利があるだろうか。
「アンドロイドと人間が地球で共存していく選択肢はないってことだな」
 俺の問いに、彼はうなずいた。それを見て「わかった」と俺が言うと、彼は驚きと安堵を混ぜ合わせたような顔をした。
「もう一つだけ、聞いていいか?」
「なんでも」
「お前はどうして俺の前に現れたんだ?なにか理由があるのか?」
「特に理由はない」彼は申し訳なさそうに顔をゆがめた。「ただ、俺らの計画に気付くとしたら、医療関係者だと思っていた。だから医療現場にはアンドロイドが多いんだ。もちろん、そこ以外にもアンドロイドはいるよ。そうやって人間に混ざって、いやな言い方をすると、監視していた。俺たちの計画に気付く人間がいないか、邪魔する人間がいないか」
 俺は思わず笑ってしまった。彼も同じように笑っている。
「まさに俺のことだな」
「お前から話を聞かされた時は驚いた。ついにきたかと、内心まいってた」
「だろうな」可笑しくて声を上げて笑った。「でもさ、お前俺を止めようとしなかったじゃないか。はじめに話したとき、お前もおかしいって同調してたよな?」
「はじめから否定するのはおかしいだろ。同じ医者として、疑問に思わないはずがない」
「まあ、そっか」
「だから粒子成分の検査結果をごまかした。お前が言ってこなければ、検査するようにけしかけるつもりだったんだが、お前から言い出してくれたからよかった」
「俺がお前に助けを求めることも想定内だったのか」
「いや、そこまでは予想してなかった。というか、どこに依頼しても結果は同じになるよう操作してるから、気にしてなかった」
「アンドロイド恐るべしだな」
「だが、予想外のことが起きた。あの粒子を検査できる設備を個人が所有してるとはね。しかも俺たちに知られることなく。人間を甘く見てたよ」
「あいつがそんな奴と知り合いだったてのも、想定外だろうしな」
「ほんとだよ」呆れた様子で彼が言う。「まさかの登場だった。あいつは昔からそういうところがあるからな」
「あるなあ」
 思い出していることは同じだろう。俺も彼も、遠くを見る目をしながら笑っている。
 お互いほぼ同時に缶ビールに手を伸ばし、一口飲んだ。テーブルに缶を置いたときの、カタンという音が室内に響き、静けさが急に訪れた。
「俺は――」
 彼の声に俺は顔をあげた。
「俺は、この場所に送り込まれてよかった。自分がアンドロイドだろうと、お前とこうして友だちになれたことは、本当にうれしい。生まれてきてよかったって、心底思うよ」
「なんだよ、やめろよ」
 照れくさくて、冷めたピザをとりあえず口に放り込む。
 笑い飛ばしたかったのにできなかった。彼の表情が、泣き笑いの顔だったから。まるでお別れの言葉みたいだったから。
「ありがとう」と言う、彼の目尻は濡れていた。

 二一五〇年、人間はまだ生きている。ただし、人口減少は相変わらず続いている。
 人間がどういう最期を迎えるのか、アンドロイドがどういう最期を迎えるのか、あの日、結局最後まで彼に聞かなかった。まだわずかでも未来が残されているのなら、終わりを知る必要はない。いつくるかわからない最期の日まで、精一杯、がむしゃらに、ただひたすら生きるだけだ。
 彼との話の中で、もうひとつ気になることがあった。彼らの計画が本当に、人間の誰にも知られてはならないのであれば、なぜ死亡者数を操作することをしなかったのか。粒子成分の検査結果をごまかすことができるのなら、死亡者数を操作することなんて大したことじゃないはずだ。
 これは俺の勝手な憶測だが、人間の誰かに気付いてほしかったのではないか、と思っている。気付いたところでなにもできないが、それはアンドロイドからのメッセージであり、やさしさのような気がする。今となっては、もう確認のしようはないが。
 彼とはもう会っていない。会いたいと思っても、会えないのだ。

 どこかで生きていてほしい。
 そして最期の日に、また、笑いあいたい。

おわり


vol.2へつづく


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