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女が求めた自由恋愛が女を不幸にした

「25歳から30歳まで5年間付き合った彼氏に結婚してもらえないまま別れを切り出され、彼氏は自分より10歳近く若い女に乗り換え、アラサーで婚活を始めるもまともな男がみつからず男性不信に陥り、40手前まで独身のまま卵子凍結手術を行い、親が亡くなる50代後半にある日お風呂に入ってる途中で眠りこけて溺死し、数ヶ月後液状化した死体として発見され遺品にバイブを残して死ぬ」--現代女性がこうした地獄のような死に方をするようになったのは自由恋愛を求めたフェミニズムに原因がある。

まず最初に本稿の結論を言ってしまうとこんな感じだが、いきなりそんなこと言われてもナンノコッチャだと思うので、まずは本稿を書こうと思ったきっかけについてご説明させていただきたい。

孤独なオッサンと化す現代女性たち

色々と前段の説明はすっとばすが、最近彼女ができて同棲を始めた。
在宅勤務である自分が平日はほぼ毎日スーパーに買い物へ行って家で夕食を作っている。そして、レジに並んでいると様々な客の姿を目にするが、カゴの中の商品から彼らの生活を垣間見ることができる。スーパーの買い物かごには、装飾されていないナマの人生が反映されるからだ。
例えば隣の列を見ると、定年過ぎと思しき老夫婦が仲良く寄り添ってカゴに2人分の食材と、食後に食べるであろうデザートの果物を入れて列に並んでいる。そんな姿を見て、「数十年後、自分たちもああいう風になれていればいいな」と感じ、人生の軌道がそのコースに近づいてきたことへの安堵も覚えた。

一方で、ふと別の列に目を移せば、スーツ姿の仕事帰りらしき女性が、カゴに缶ビールや缶チューハイといった酒類、つまみ、カロリーメイトを詰め込んで列に並んで疲れた顔で順番を待っているのが目に入る。おそらく一人暮らしのアパートに帰って晩酌を一人で行い、朝起きればカロリーメイトを朝食に二日酔いを抱えて出社していくのだろう。
他人の幸不幸を一方的に決めつけるのは良くないことだとわかりつつも、素朴にこう思ってしまう。「女もこうなってしまったらオシマイだなあ」と。

これは何も女性蔑視的な視点からの感想ではない。40代のオッサンが同じような買い物をしていても、やはり「オシマイだ」と思ってしまっていただろう。というか、大抵こういったオシマイ状態になるのはおっさん特有の事象だったはずだ。
だが現代では、40代女性の4分の1近くが未婚状態にあり、この傾向は年々加速している。かつては男性のみのライフモデルあった孤独なおっさん像が女性にもあてはまるようになってしまったのだ。

年齢階級別未婚率の推移(厚生労働省ホームページより)

国の統計では未婚率が数値化され問題視されているが、この中には「離婚した結果独身となってバツイチのまま」といったケースがカウントされていない。2000年以降、離婚率が30%を超えていることを加味すると、更に孤独な女性の数は多くなると予想される。

自由恋愛で不幸になってるの男だけじゃなくね?

SNSでは「男性の恋愛弱者化」「男性の非モテ格差の増大」といった男性不幸論が日に日に強くなっている。
これらの主張は大まかに言えば「現代のような自由恋愛社会において半数の男性は配偶者を得られず、デートや交際の経験もなく、孤独死を強制的に選ばされる一方で、女性はただ女性というだけで恋人や交際の機会に恵まれ、孤独死のリスクも男性に比べて少ない」といった論旨だ。

だが冷静に考えてみれば、結婚とは(現行の日本の法律においては)男女が1対1で行う契約関係であり、100人中50人の男性が独身であれば、同数の50人の女性もまた独身になり得る。
更に正確に言えば、人口統計を見る限り男女の人口はわずかながら女性の方が多いため、全ての男女が結婚したとしても5%程度の女性は(外国人夫を捕まえない限り)あぶれることになる。孤独死の可能性が高いのはむしろ女性の方だ。

もちろん「結婚が女にとっての幸せだ」という保守的で画一的な視点だけで女性の幸福を語るのは良くないが、「結婚したいと思ってたのにできなかった」「結婚したいと思っていた男にフラれた」「彼氏に浮気された」とかはまあ、ざっくり幸福ではないってことにしといていいだろう。
それに少なくとも結婚の選択肢がある上でそれを選ばないことは自由だが、結婚するという選択肢そのものが無い状態に陥るのは、選べる自由が減っているという点において男も女も比較的幸福度が低いものとする。

長い前置きにはなってしまったが、ようやくここに来て前述の問題定義に至る。
最近SNSで知り合った女性と様々な恋愛相談や、結婚観について話を聞く機会が増えているが、決まってよく聞かれるのは「一刻も早く結婚したい」「浮気しない誠実な男性と出会いたい」「孤独死予備軍になりたくない」といった話題が多い。

過去の日本が志向してきた「すべての男女は誠実に一人の結婚相手とのみ男女関係を築くべきである」という皆婚社会の価値観は、女性にとっても有益な部分はあったのではないだろうか? 自由恋愛は本当に女性の幸福を叶える素晴らしい文化なのだろうか?
こうした疑問に対する個人的な私見を述べさせていただきたいと思う。

恋愛とは結婚の反対語

世の中では恋愛結婚という存在がまるで実在するかのようにまかり通っているが、おそらくこの表現は適切ではない。
自由恋愛とは衣服を着替えるように異性をかわるがわる消費する行為のことであり、一人の人間と人生を共に歩むという結婚の主旨とは決して交わることがないからだ。

例えばかつて文字がなかった時代では、労働という行為は雇用主と労働者が「働けば金を払う」という口約束だけの契約をしていた。当然、労働者は契約違反をして仕事の手を抜いたり、雇用側も給料の未払いをするのは当たり前であり、こうした不作法は私刑で罰することしかできなかった。
しかし長い歴史の中で人類は文字を発明し、契約や法律という社会文化を作り上げ、その中でようやく労働法のような明文化された法律のもと、労使間で信頼関係を持って働けるようになった。

結婚という制度もまた、口約束にすぎない男女関係を、契約や法律という文明によって信頼関係を構築するために生み出されたものだ。
自由恋愛というのは先進的な価値観でなく、むしろ文章や法律の存在しない非文化的で野蛮な時代に逆行させただけに過ぎない。

自由恋愛は女を非モテ化させる

婚活界隈では、「恋愛経験が少ない野暮ったい女性ほど、結婚相談所ですぐに成婚して退会していく」という噂がまことしやかに囁かれている。
また一方で、「女は恋愛を重ねれば重ねるほど魅力的になり、より良い配偶者を得ることができる」という迷信がある。

自由恋愛の経験を重ねれば重ねるほど結婚に対してプラスかマイナスか、あくまで男性側の見解としてだがどう考えても後者の方がぶっちぎりでオカルトである。
しかもパワーストーンやパワースポットを信じてる方がまだマシだ。石は売ればいいし旅行は思い出になるが、自由恋愛に汚染された脳みそは決して元の形には復元しない。

もちろん自由恋愛を重ねて10人20人の男性と付き合えば、様々な男性と交際する機会自体は増えるだろう。だが恋愛は恋愛であって結婚ではない。
20人の中からもっとも優れた魅力的な男性を選んだとして、その男性が自分を選んでくれる保証などどこにも無い。むしろ多くの男性にとって元カレ20人もいる奔放な女は托卵や不貞行為を犯すリスクが高いとしか見えず、奇跡的確率で選ばれる可能性すらない。

一方で恋愛経験が少ない女性というのは、男性から見れば「明らかに不貞行為を働くリスクが圧倒的に少ない」。事実としてそうかはともかく、元カレ20人に比べれば低く見えるし、男性にとって結婚相手に選ぶ基準としては十分な条件なのだ。

10人の元カレがいて独身の女と、初めて付き合った1人目の男性と結婚した女。
どちらがモテているかと言えば、一見前者の独身の方に見えるかもしれない。だが女はそもそもマンコがついてるだけで勝手にモテるので、彼氏の数を稼ぐこと自体に大した価値はない。
むしろ「10人も付き合って一度も選ばれなかった」と考えれば、モテているのは後者の女性の方ではないだろうか?

軽い関係を求めて軽く扱われる

自由恋愛社会においては男も女も複数の異性と同時並列で関係を結ぶのが当然であり、一人の異性に対して誠実に付き合おうとするのはむしろ〝非モテコミット〟として冷笑される。
都会の若者が非正規雇用のダブルワークで働くのが当たり前になるように、男女間の関係もまた薄弱な関係を分散して維持することが最適解となってしまっている。

もちろん「結婚のような重い関係より軽い恋愛関係の方がいい」という意図で自由恋愛を選択することもまた自由主義が認める自由だが、結果的に彼女らは「軽くて捨てても替えが効く消耗品」として扱われる結果を招いてしまっている。

前段に述べたような女性の未婚化や捨てられ易さは自由恋愛によってもたらされた被害と言ってもいいだろうが、一体誰がこのように女性を苦しめる社会を求めたのだろうか?

実はその犯人こそフェミニストなのである。

動物園を弱肉強食のサバンナにした女性解放運動

自分は以前、「現代の女性はなぜパパ活や水商売に進んで手を出すような、貞操観念を失った女たちで溢れているのか」という疑問から、下記のような記事をnoteに書いた。

この記事を書く過程で日本の貞操観念の変遷について調べていたのだが、その中である興味深い記述を見つけた。

大正期に女性解放の声が高まると貞操観念への批判が高まり、貞操観念を許容する女性活動家の間でも、夫の貞操義務を求める意見が出された。
(中略)
第二次世界大戦後の民法改正で貞操義務が夫婦ともに平等にあることが確認され(民法第770条第1項)、刑法改正で姦通罪が廃止された。

純潔 - Wikipedia

日本が保守的な「男女は結婚する相手以外とはみだりに性行為を行うべきではない」という貞操観念を失ったのは様々な要因があるが、その中でもひときわ大きな影響を与えたのが女性解放運動--今でいうフェミニズムの先達によるものだ。

確かに戦前の女性たちが、「自分が結婚して性的関係になる相手は、自分の価値観と判断で選んで自分の意思で決めるべきだ」という思想のもと、自由恋愛を志向したのは頷ける。

現代でも、著名なフェミニストとして有名な上野千鶴子氏が下記のような発言をしている。

【上野千鶴子氏】逆に聞きたいですよ。人はなぜ不倫をしないんでしょうか、と(笑)。何度も言うように、結婚したら最後、自分の性的身体の自由を手放さなければいけないなんて恐ろしいことを、私はする気になれません。

上野千鶴子「人はなぜ不倫をしないのか。私には信じられない」 性的自由を手放すなんて恐ろしい (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

だが、女性解放運動を興した戦後フェミニストたちは、自由恋愛がもたらす功罪の功績にばかり着目し、それによってもたらされる罪過を想定できていなかったのだ。
一つ目は男性が貞操観念を失ったこと。
二つ目は女に男を見る目がなかったこと。

「有益な男らしさ」から解放された男たち

自由恋愛に対して批判的に論じてきたが、もちろん自由恋愛社会にもちゃんとしたメリットはある。ただし、男性にのみ

なぜなら自由恋愛社会において、男性は女性にたいして一切の責任を負うことなく不貞を働くことができてしまうからだ。
もちろん多くのヤリ捨てられる女性にとって、これがメリットとは考え難い。

話を整理してみよう。そもそも「浮気や不倫をすべきではない」という倫理観とは、一体どこから生じていたものだろうか?

まず法的な契約関係として婚姻関係を結んだ男女に限れば、不貞行為は有責として認められ、離婚した場合には慰謝料を請求することが可能となる。

第770条
夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。

民法第770条 - Wikibooks

そしてこの不貞な行為というのはナンジャラホイという疑問が湧くが、wikipediaの記述によれば以下の通りである。

判例では、不貞行為の意義を「配偶者ある者が、自由な意思にもとづいて、配偶者以外の者と性的関係を結ぶこと」とし、

不貞行為 - Wikipedia

要するに、「配偶者以外の不特定多数とセックスすると違法」というわけだ。だが、そもそも「不特定多数とセックスする」という行為自体は自由恋愛社会において誰もが当たり前に行なっている行為であり、全く反倫理的でも反社会的な行為でもない。
なぜなら、そもそも交際関係という関係を定めるは法律は存在しなく、あくまで恋人関係というのは口約束の関係でしかない
モテる男が30人セフレを作って毎日かわるがわる別の女とセックスしたとしても、刺される可能性があるぐらいで法的には何の問題もない。むしろ刺した女の方が法律上では罪に問われる。
異常なのは浮気や不倫といった不貞行為そのものではなく、結婚した途端にそれまで合法だった行為が違法な行為にすり替わってしまうという現代社会のギャップそのものの方だ。

モテる男性にとって、自由恋愛社会とは様々な女と浮気し放題な社会でしかなく、結婚によって得られるメリットよりデメリットの方がむしろ多い。結婚前に酒やタバコが好きな男性が結婚を機に酒やタバコをやめないように、自由恋愛をしてきた男が結婚後いきなり自由恋愛を捨てられるはずがない。自由恋愛とは麻薬のように、一度手を出した時点で脱することができない退廃的な娯楽だと言える。
そしてその娯楽は、結婚という選択を回避しさえすれば死ぬまで続けることができる。
「フェミニズムや自由恋愛化によって女性は結婚の義務から解放された」というのが世間の一般的な見立てだが、むしろ「結婚の義務から解放されてより自由になったのは男性の方」なのだ。

フェミニズムは「有害な男らしさを排除しよう」というテーマで男らしさの解体が進めてきたが、「男たるもの結婚して一人の女性を養い一生をかけて幸せにすべき」という「有益な男らしさ」まで解体されてしまったのだ。

女は男を見る目があっても考える脳がない

自由恋愛が女性を不幸にしたもう一つの罪過は、「女にはまともな男を選ぶ能力がない」という問題点を見落としていたことだ。

  • 結婚を前提に付き合っていた彼氏に多股をかけられた。

  • マッチングアプリで出会った素敵な男性が既婚者だった。

  • 素敵な男性と結婚できたが子供が生まれた途端に浮気された。

こうした女性の恋愛関係の愚痴は、SNSでも身近な恋愛相談でも数限りなく毎回のように聞こえてくるが、全てにおいて言えることは「そんな男を選んだお前が悪い」の一言に尽きる。

現代の自由恋愛社会では、一部のモテる男性が複数の女性を独占しており、すべての女性が結婚詐欺の被害者になってしまったかのような惨状だ。
この「モテる男はみんな浮気してる!」という主張は非モテ特有の思い込みではなく、rei氏のnote内で総務省発表の調査データを元に詳しく解説されているので参考にしていただきたい。

恋人のいる未婚女性の28%は「本命外」、婚約者のいる未婚女性の45%は「無自覚の婚約詐欺被害者」ということだ。

未婚女性が婚活で「女性はみんな美人なのに、男性は冴えないオタクばかり」と思ってしまう理由はアルファオスにあり!?|rei|note

なぜ女性は競争率が高く、あぶれて独身に陥る可能性が高い男性にばかりコミットしてしまうのか?
例えばマッチングアプリで1000人以上の男性からイイねをもらっている女性が、よりにもよってその1000人の中からわざわざ遊び目的の既婚者を選び出してしまうのは、考えようによっては「見る目がある」と言える。
問題は、配偶者を得られるぐらいマトモで素敵な男性を選び出す目はあっても、「こんな素敵な男性が独身で非モテなはずがない」と冷静になって考える知性が無いことである

自由恋愛を求めた戦後フェミニストたちの、「女性は自分の目で素敵な男性を見つけることができる!」という主張は確かに事実と言えば事実だった。
だが、自由恋愛が男性の貞操観念をも喪失させ、浮気する可能性の高い無責任な男や不倫癖のある既婚者を野に放ち、多くの女性を食い散らかされるがままにしてしまったのもまた事実である。

思うに、保守主義とはライオンとシマウマを檻で囲んだ不自由で平和な動物園であるが、自由主義とは檻を取り払ったサバンナのようなものである。
弱者であるシマウマは強者であるライオンに捕食され、ライオンもまた生存のために常に狩りを続けなければならない。
「ライオンはライオンらしく、シマウマはシマウマらしく生きる」と言えば確かに自然で幸福な状態に思えるだろうが、果たして噛み殺されるシマウマは動物園の檻の中で生きるより幸せなのだろうか?

マトモな男を見極めるたった一つの方法

ここまで述べたように、現代の女性は自分たちを軽んじる男たちの中から、保守的で責任感があり貞操観念が比較的まともな男性を自らの目で探し出さなければならないという、大変ハードモードな過程を経なければ結婚できなくなっている。
だが、万人に通じるわけではないものの、マトモな男を見つける方法は一つ提示することができる。

それはずばり、付き合い始めてからできる限り早く両親に挨拶をさせることだ。
そしてもし可能であれば、付き合い始める前でも両親に会わせていい

「いきなり両親に会わせるなんて重く思われそう」と感じる女性も多いだろうが、むしろそれで逃げ出すような男は軽い関係を求めているという証左だ。早めに別れておくに越したことはない。

男性が浮気や不倫といった不貞を犯しやすくなった背景には、恋愛が男女の個人主義的な一対一の関係になってしまったことにも原因がある。
そもそも倫理とは共同体の価値観を統一するために存在するものであって、共同体がなければ倫理もまた存在し得ない。
結婚とはお互いの家族が親戚として一体となる保守的で全体主義的な儀式であり、「お前はこの共同体の一員になるんだぞ」とプレッシャーをかけることでやはり非倫理的な行為には歯止めがかかるものだ。

また、女性自身にまともな男性を見極める能力がなくとも、既婚者の先達である家族や親戚から客観的なセカンドオピニオンを得ることもできる。
もし家族の複数人が「あの男はやめておきなさい」と注意するような男であれば、実際それはやめておいた方がいいのだろう。

とはいえ、「事前に結婚に値する異性かどうかを親や家族に事前にジャッジしてもらい、信用に値する人間かどうかを見極める」というプロセスは結局のところ保守的なお見合い制度を再開発しているだけでもある。

自由恋愛の欠点を洗い出していく過程で、なぜお見合い結婚という制度が有用なものとして開発されたのかを窺い知ることができたのは思考実験として面白くもあるが、結局は一度叩き壊した車輪を愚かにもわざわざもう一度発明し直しているだけかもしれない。

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