Twitterの延長線のようなもの

誰かに見せるための、見られるかもしれない文章を書くというのはやはり壮絶な自意識との闘いなのである。

表に出す以上はどこかで反応を欲しがってしまうし、Twitterはまだ気楽な位置づけだったけれど、前より少しだけ外の世界に出たので自意識ができていた。

そんな中、フリート機能ができた時は、結構使ってた。
何だよインスタぶるなよ!とか言ってたし。
インスタはお店の情報とか見る用専門で、陰キャはTwitter一択だぜ!まじで。とか言ってたけど、結局結構使ってた。

そして、そのフリート機能が廃止になったことで急にTwitterへのハードルも高くなった。あくまで当社比。

というか。
やっぱ憧れるんですよねぇ。センスある呟きできる人って
なんだセンスって。センスってなんだ。

私って奴は、インプットは左脳型だし論理型なもんで、
吸収する分には理屈っぽいものを好むんですよ。美しい伏線回収は国宝だと思う。

だけどもアウトプットがめちゃくちゃ右脳。まじ感覚。
ちゃんと出そうとすると鬼のように時間かかるし、苦労の割にあんまり結局自分で気に入らないし、自分自身脳みそ通さない表現してる時のが輝いている。気がする。

まぁなんだ。
自分の意見や考えを出すハードルが高くなってるんだなぁと思ったので書くのよ。
惰性でフォローしてる関係よりも、もっと一応何かしら私に感情を持ってる人が読むんでしょ?(あとまぁnote経由の人ははじめましてこんにちは。)

見切り発車上等、見られたいような見られたくないような痴態のような文章を書いていって、何か変化があるのかもしれない。
ということで戸棚の奥にしまい込んでたノートを引っ張りだしてきたよ


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