【ネタバレあり】読書感想文「君のクイズ」(小川 哲著)
本作を読み終えて第一の感想は、「どこか微妙だったな」というものである。
にも関わらず本記事を投稿しようと思ったのは、読後に色々考えて、本作への評価が変わったからだ。
そして、同様の感想を持っている人はどうやら少数のようなので、記事にして個人的見解を残しておきたくなった。
自分が微妙だと感じた理由は3つある。
※以下、ネタバレ込みで話が進むので注意
リードとなっている謎「対戦相手の本庄は、なぜ0文字解答ができたのか?」の解答は、「これまでの出題傾向、番組の特性とディレクターの性格から、次の問題を読み当てたから」というもの。
……普通じゃないか?
また本作の構成は、「クイズの流れを一から追うことで、主人公・三島がクイズに関連する自身の経験を追想しながら、0文字解答の謎に迫る」というもの。
例えば第一問。三島の正解したクイズの解答は『深夜の馬鹿力』というラジオ番組タイトルであるが、三島には兄と共にこのラジオを聞いたという思い出があった。
こんな調子で、出題されたクイズに対して、三島が自分の経験を絡めながら考察を進めるという流れが敷かれ、読者としては三島の人生を追いながら彼と共に謎を解いていくことになる。
途中で疑問に思ったのが、「こんなに都合よくクイズと自身の経験が重なるものか?」ということ。
実際は物語の終盤で、「今大会のクイズは、出題者の過去の作問や回答に基づいて出題されていた(『君のクイズ』)」ということが分かり、それに気付けなかった三島は気付いた本庄に負けた、ということだった。
自分としては、先の疑問があったため、本作の真相にそこまでの意外性を感じることができなかった。これが1点目。
2点目、これは特に本筋には関係ない。
ネット上の本作感想によく見られる要素の一つに、「クイズプレーヤーの思想やテクニックが面白い」というものがある。
自分としては、その辺の知識は既に知っていたので、そういう楽しみ方はできなかった。
(自分が物知りとかそういう話ではなく、単にナナマルサンバツという偉大な先達を読んでいたおかげである)
以上が、読了直後に「微妙」と感じた理由×2だ。
では、これがどう変わったのか。それには、「微妙」の第三の理由が関わってくる。
第三の理由、それは結末にある。
真相に辿り着いた三島はついに、本庄と対面し、「答え合わせ」をする。
その中で三島は、本庄がクイズを「ビジネス道具」としてしか見ていないことを知り、最終的に本庄のことを「忘れ去る」ことにした。
三島にとってクイズとは「知識をもとにして、相手より早く、そして正確に、論理的思考を使って正解に辿り着く競技」であり、外側から攻めてきた本庄という存在は、彼の美学と相反するものだったからだ。
そして三島は、今まで以上の確信をもって、クイズに人生を捧げていくだろう。
結構あっさりした終わりだし、ある種神格化されていた本庄という人間も、蓋を開ければ俗人だった。
このやや肩透かしな結末も、自分がもやっとした一因である。
自分が思うに、小説とは概ね、主人公の変化を楽しむものである。(変化=成長であることが多いが、そうでない場合もある)
ところが本作では、主人公はほとんど変化していない。
読後のもやっと感はそこが大きいのだが、発想を変えてみた。
本作は、「変わることができない主人公」を描いているのでは?
本作で最も違和感が大きかったのが、元カノである桐崎さんとのエピソードだ。
クイズがきっかけで知り合った桐崎さんと、三島は同棲まで至るが、彼女から同棲解消を申し出される。
桐崎さんの言う同棲解消の理由は「自分が同棲に向いておらず、睡眠不足になっていた」というもの。彼女は、三島は悪くない、と言う。
三島は結局そのまま彼女と別れてしまい、心の穴が空いた状態になる。しかし、あるクイズに彼女との思い出のおかげで答えることができたことから、別れも「正解」だったと思うことができ、立ち直ることができた。
……いや、正解ではないだろう、三島よ。
第三者たる読者から見れば、桐崎さんが言う「睡眠不足」という理由はおそらく嘘だ。その理由だけなら、同棲解消後も交際は続くだろう。その後も桐崎さんが交際に積極的でなく、半年後には結局別れてしまった流れを見ても、十中八九、三島が原因なのだ。
つまり彼にとっての「正解」とは、「桐崎さんの不満の原因が自分にあることに気付いて、謝罪し、改善すること」だ。
しかし三島はそれをしようとしないし、クイズでの正解という偶然に勝手に光明を見出して、自己完結してしまう。
この小説は三島の一人称で描かれており、また他の登場人物と会話も非常に少ないので、「実際に三島とはどんな人間なのか」を判断するのが難しい。
しかし、再三描かれている要素が一つある。
それは、各クイズ回答後のインタビュー。
気の利いた返しをする本庄に対し、自分はそんなことはできない、と言及する場面が繰り返し出てくるのだ。
この描写、それから桐崎さんとの別れのエピソードから察するに、三島という男、コミュニケーション能力がかなり低いのではないだろうか。
一方ライバル役の本庄は、東大理Ⅲのハイスペック、人心掌握力に長け、最終的には芸能界を見限って、収入の場をyoutubeとオンラインサロンに移行するという。
三島と本庄は対照的に描かれており、本庄と真逆の人間が三島と仮定すると、クイズには長けているがその他の能力は決して高くなく、特に対人関係では人の気持ちが分からない、分かろうとしない、そんな人間像が浮かび上がってくる。
本庄のしたことは、「これまでの出題傾向、番組の特性とディレクターの性格から、次の問題を読み当てる」。
本記事の冒頭で「普通」と述べたこの手法は、三島にとっては思いもよらない意外なアプローチだったようだ。
それは三島にとって、クイズそのもの以外はノイズだからである。
同棲までした彼女を失ってもクイズに摺り替えしまい、そのことに自分で気付けない。
そんな彼の前に現れた本庄絆と、今回のクイズ番組ーー本来であれば、三島は学ぶべきだったのではなかろうか。「クイズ以外にも目を向ける」ことを。
しかし三島は、「自分はクイズの内側にいる」と述べる。つまり彼からすれば、今回の出来事は「クイズの外側」なのだろう。そして、
三島は変わろうとしない。
このことに気づいた時、本作への評価は自分の中で反転した。
そしてラスト。
この一節も、全く異なって見えてくる。
三島に寄り添う見方をすれば、クイズという素晴らしいものに今後も邁進していくという彼の決意、そんな美しい場面だろう。
しかし、三島のことを「クイズしかない人間」として見るのならば。
彼は今後もクイズしか見る気がないし、自分のことを省みようともしない。
そんなエンディングであるように思えてならないのだ。
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