気の利かないひとがいても
note皆さま、こんばんは。Sazanamiです。
わたしが普通のひとの皮をかぶった自閉スペクトラム症(ASD)者であることは、何回か記事に書いています。
その視点から、これは危ないと思ったことを、
とことん書きます。
(5,000字超え! ひきかえすなら今ですよ)
もやもやのもとになったマンガです。
これを最後まで読んだら、
わたしのようなひとたちが、
ますます生きづらくなるんじゃないか。
シングルマザーの再婚を描いた漫画です。
ひとつの出来事が妻、夫、姑の視点で
描かれています。全4話です。
小学生の娘さんを連れて再婚した、あるシングルマザー。義両親にも温かく迎えられ、その年のお正月、夫に連れられるまま義実家へ。
嫁ぎ先は、親戚の多い賑やかな家で、そのママはわが子と一緒に、誰が誰やらさっぱりわからず、居間に座り続けるだけ。
帰ってから、「居場所がなくて辛かったわ!」と夫に不満をぶつけても、「自分から挨拶した?」と、咎められてしまいます。
義理の母も、「子連れ再婚では、親戚の目も厳しくなる。でもそれ以上に、お嫁さんが自分から積極的に動かなかったのが残念だった」と。
……おや?
なんだか変ですね。
「自分から積極的に」動けない、
この奥さまだけが、本当に悪いのでしょうか。
奥さまの御主人はじめ、
お姑さんや親族の不満を検証して、
考えてみたいと思います。
①お茶出しを手伝ってくれない
たとえば、マンガに出てくるような
「お茶出しを手伝う」
これなんか、ほんとうに難しいです。
だって、お茶出しって、急須に入れられてお盆に置かれてあるお茶入りの湯呑みを、居間にいる親戚たちに運ぶだけではないですよね。
1.勝手のわからない義実家の台所に
入っていく
2.お茶っ葉もしくはティーパックを探しだす
3.急須かティーポットを用意する
4.お湯を沸かす
5. 急須かティーポットに、お茶っ葉もしくは
ティーパックをセット。
6.お湯が沸いたら急須かティーポットに移す
7.お茶を湯呑みに注ぐ
8.お盆にセット
9.そして運ぶ
10.親戚の席に湯呑みを置く
11.台所に戻って、お盆を置く
思いつくだけで、ザッとこれだけ
工程が出てきました。
自分から積極的に動けるひとなら、この11工程あるうちの、どの作業が今おこなわれているのかを、見ただけで理解して、
「手伝いましょうか」
「これ、運びますね」
などと、作業中の親戚たちに声をかけて、
パッパと動くことができるはずです。
なかには、急須やティーポット、湯呑みなど足りないものや、行われていない工程をサッと見極めて、補うような動きを見せられるツワモノも、いるでしょう。
そういう、「かゆいところに手が届く」動きを、お嫁さんが、初めからしてくれたら、それはそれはもう、お姑さんは大喜び!
「お嫁さん、気がきくわねぇ。いい子に来てもらって羨ましいわぁ」
などと、親戚たちから厚く褒められて、鼻を高くしているお姑さんの姿が、目に浮かびます。
はじめから、つまづいて、こころ折れる
ところが、自閉症者にみえない「かくれ自閉症者(ASD)」のわたしには、このお茶だし、工程①から、もうすでに難しく、どうしていいかわかりません。
そもそも、勝手知らない台所に、
ずかずか入っていっていいの?
そこから始まるわけです。
わからないことは聞きなさい、と言われても、バタバタと忙しそうに動きまわる親戚たちのどこに、「お台所に入ってもいいですか?」と尋ねる隙があるのか。
聞かなくちゃ、聞かなくちゃと、大縄跳びの大きな輪に入りあぐねているときのように、じりじりと、時間だけが過ぎていきます。
で、そのうち、
声の大きな酔っ払ったおじさんが、
「なにボーッと座ってる。おばさんたちの手伝いせぇ!」
と絡んできて、あっそうだったと、我にかえるわけです。
こうして、どうにか台所に入れても、いま親戚たちが、どの工程をやっつけているのか、見極めるのに時間がかかります。
お湯は沸かしちゅう、急須はある、
……ん? お茶っ葉……。
ここで、また、せわしなく台所仕事をする親戚たちに、「お茶っ葉はどこにありますか」と尋ねる隙を探す「大縄跳び」が始まります。
いつ聞く、いつ聞くいつ入る……。
そしたら、親戚のおばさんに勢いよくぶつかられてしまうのです。
「ちょっと! こんなとこにボーッと突っ立ってないでよ、邪魔!」
肩を落として退散、居間の隅に逆戻り……。
二度と、そこから動くことはなかった……。
こんな調子で、知らないひとたちとコミュニケーションを取りながら作業をするというのが、わたしには、非常に骨の、いや、
こころの折れることなのです。
なんなら、すでに出来上がっている
知らないひとだらけの集団に入っていくのも、
精神的に参ります。
②お客さま気取りが過ぎる
でも、このお姑さん、お嫁さんの連れ子を、
「孫だと思って無条件に可愛がれない、
だって他人でしかないし」
と、こぼしていました。
それなのに、お嫁さんには、
「家族になったのだからお客さま気取りはダメ」
んんーーー??
それは、どういうことなのかなぁ……。
「血のつながりのないお孫さん」を家族として見れないのなら、お嫁さんだって「お客さま」でいい気がしますが……。
結婚したら、会ったことのないひとたちと、いきなり「家族」「親族」として、くくられるわけですね。これ、なんでもないことのように見えて、結構、無理ありませんか。
「御主人が好きで一緒になった」をはずして、
ちょっと考えてみましょうよ。
会ったことのないひとたちと、
いきなり「家族」「親族」やれるのか。
2〜3度きたか来ないかの家の台所に、当たり前のように入っていって、見たこともないひとたちと、いきなり台所仕事できるのか。
家族になるために努力しなければいけないのは、奥さまひとりだけなのか。
お姑さん、息子夫婦(お子さん込みで)と
仲のいい家族になりたい、と言ってましたが……
うーーーーーーーーーーーーーんっ、
今のままでは、どうでしょう?
(ミスター長嶋風に)
御主人に聞きたい
「お客さま気取りの過ぎる妻」が、
じつは、かくれ自閉スペクトラム症者だったら?
障がいって、見てわかるものだけとは限りません。難聴の方だって、声をかけられるまでは、聴こえないと気づいてもらえないことが多いといいます。
あなたの奥さまに、見えない障がいがあって、
それを、あなたにも、お子さんにも、
誰にも言えてないとしたら。
前の御主人との離婚理由も、そこからくる
「コミュニケーションの齟齬」
だったとしたら……。
お正月の義実家でのふるまいを、チクチク言われて、そして、ひと知れず自分を責めて、悩んでいるとしたら……。
③ 親戚に話しかけない
お姑さんは、本音を言えば「息子には初婚のひとと結婚してほしかった」ようですね。
奥さまは、お正月の集まりで「わたしが子連れ再婚だから、誰も声かけてくれないの?」とうろたえていましたから、
「わたしに話しかけられても、不愉快なんじゃないか」と、肩身を狭くしていたことは想像にかたくありません。
いくら御主人まで、「気にしないで溶けこむ努力をしてほしい」といったところで、「よくお正月に来るわよね」と陰口をたたく親戚に「そうね」と同調する義母。
そういう「本音」って、なんだか微妙な空気になって、あたりに醸し出されていたりしません?
奥さまもお子さんも、敏感に察知してたんじゃないでしょうか。そんな「針のむしろ」の空気を。
奥さまがお手洗いなどで席を外すこともままならないほど、お子さんのほうが、そういった空気を感じとって不安になっていたりして。
わたしなら、「溶けこむ努力」どころか、その場にいるのがいたたまれない状況です。
こんな親族とは、この先も仲良くできない。
血のつながった子が生まれたら、御主人や義家族、親族たちが、その子ばかり可愛がりそうだから、2人目はいらない。
奥さまが帰省を終えてすぐ、
御主人にぶつけた、上記のような不満。
これ、案外、当たってるんじゃないかと
思ってしまいます。
④あいさつをしない
挨拶ができないのは、社会人としてはアウトなのかもしれませんが、知らない場所にいる「警戒心」から挨拶ができない場合もあります。
子供さんなんかに、多いようですね。
たとえ義実家だろうと、訪れる回数が少なければ「知らない場所」には違いないし、会ったことないひとだらけだと、なおさら警戒心が深まるひともいるかと思います。
わたしも、目上の人たちに、
「挨拶もできないし気もきかない」と
よく怒られます。
集まりのなかに放り込まれると、それが、知らない場所であればあるほど、知らないひとが大勢いればいるほど、いっきに緊張が高まり、フリーズしてしまうのです。
もっと言うと、かくれ自閉スペクトラム症者(ASD)であるわたしには、挨拶など、ほかの人が簡単にできることこそ、ハードルが高いのです。
御主人に、できることは?
マンガの中には、御主人が、
「主体的に、妻と子を親戚に紹介すべきだった」
と反省している様子が描写されますが、
だからといって、奥さまへ謝罪したのかどうか、
そこは、描かれていません。
御主人が、しなきゃいけないことは、親戚という集団のなかになじむように、奥さまを作り替えることじゃありません。
奥さまの、引っ込み思案(に、ならざるを得ない事情が隠れているかもしれないことも含めて)な気質を、まるっと受けとめて、批判的な義両親や親族から、奥さまを守ることです。
「声をかけてもらえなかったってことは、家族として認められたってこと」
などと、狐と狸の化かし合いみたいなこと
言ってんじゃないよって思います。
義父母と親族が、お嫁さんを家族だとみなしているのなら、チラチラ見るだけじゃなく、
「お嫁さーん、ちょっと手伝ってー」
とか言わないですか?
御主人が、奥さまの家族や親族に
こんな態度を取られたら、
「あぁ、家族って認めてもらえたんだぁ」
って、ほんとうに思えるのでしょうか。
奥さま「だけ」が悪くない!
「自分から積極的に動けない」
「気が利かない」
それだけを、「悪い」と決めつけるのは、
危険すぎます。
そんなひとを目にして、違和感を持ったとしても、とりあえず、なにか声をかけてみてほしいです。「どなたですか」でも、全然いいんです。
マンガに出てくるお姑さんや親戚たちのように、チラチラ見るだけで何も言わず、見えないところでコソコソ文句を言うくらいなら、してほしいことを、できるだけ細かく伝えてほしい。
一見「普通のひと」でも、普通に理解できることが、理解できない種類のひとかもしれない。
そうであれば、すべきことを細かく教えてくれれば、そのひとは動けるはずです。
時間はかかっても、ちゃんと動けるようになります。わたしだって、そうです。
義家族、親戚たちと、時間をかけて
「家族」「親族」になって、いまでは、
結婚当初よりも、だいぶ状況を読んで動ける
ようになりました。
「これぐらい、すぐできるでしょ」と、飲み込みが遅いのをなじられるのがいちばんキツいです。
これが自己否定につながり、うつなどの二次症状が出たりして、生きることが、ますます辛くなったりするのです。
自閉スペクトラム症など、発達に偏りのあるひとたちは、ほかのひとたちよりも「できないこと、わからないこと」が多いぶん、自己肯定感がとても低く、壊れやすいのですから。
表面だけを見ることから起こる「無理解」に、
どれほど苦しめられてきたんだろうと、わが人生を振り返ってみても、しみじみ思います。
まとめ
障がいの有無にかかわらず、
「ひとは見かけによらぬもの」
気の利くひとが「いいひと」で、
気の利かないひとが「悪いひと」
そんな簡単なことでは、ないはずです。
そういう考えが、ひとを生命にかかわる事態まで追いこんでしまうことも、間々ある。
と、こっそりつけ加えておきます。
できないことを責めたり、陰口を言って絶望させたりするのではなく、できないひとたちに、そっと手を差し伸べてもらえると嬉しくなります。
長くなってしまいました。
わたしみたいな「かくれ自閉スペクトラム症者」に限らず、もともと引っ込み思案なタイプで、その気質を変えようと思っていてもなかなか変えられないひとや、体や心のどこかに見えない疾患があって苦しんでいるひとが、このマンガを結末まで読んでしまったら、
「自分がおかしいんだ」
と追い込まれ、集団のなかで
ますます萎縮するんじゃないかと、
危機感を覚えました。
それで、5,000字超えです。
ここまで読んでいただいて、
感謝も喜びも、ひとしおです。
世間で良しとされている常識に、ひとをあてはめて、そこからはみ出すひとたちを無意識に排除するだけでなく、かれらの生きる力までも搾取する人々が、
すこしでも減るように祈ります。
そして、この奥さまが、
無理なく幸せに暮らせますよう……。
でも、そんなわたしにも
できることは、ある。
なんでもかんでも
「察して」だけじゃ良くない。
そのことは、重々承知のうえで、
これを、書いています。
気をつけなきゃ、気をつけなきゃ。
集団のなかで、気を利かせて動けるように
知らないひととでも、楽しく話せるように。
気をつけなきゃ……。
と、思えば思うほど
苦しくなっていくのは、
若いころとなにも変わっておらず
中年になっても
成長がなにもないなー、とは思いますが、
これは、もう
わたしは、こういう人間になっちゃったの。
しかたないでしょ! という
よくも悪くも「居直り」の記事ですね。
壮大な「お目汚し」
申し訳ない限りであります。
いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。