いくつになっても「昨日より若く」
noteの皆さま、お疲れさまです。いきなり、こんなことを聞くのもアレですけど……。年齢、気になります? わたしは、けっこう気にしてました。でも、「そういうの、やめようかな」と、思わされるできごとが、ありました。
パラリンピック陸上・1500メートルです。
沖縄出身のパラリンピアン、上与那原(うえよなばる)寛和選手が、若い選手と一緒に、決勝のレースに出たのです。
そのまえに、わたしの話を、すこし。
わたしは、来年で40になります。
結婚、出産を経験するうちに、
「もう若くない」と
卑屈になっていきました。
若いひとを前にすると
なぜだか
「こんなにキレイでいいなぁ。わたしなんか」
そう、縮こまってしまったり
産婦人科で健診を受けているときや、妊婦講習を受けているときも、
まわりの、20代の妊婦さんたちを見て
「第1子で、わたしくらいの年のひと、いないよね……」
と、すこしだけシュンとして、産後
おなじことを、助産師さんに尋ねたことも😅
肌つやも、スタイルもよく、
話しかたもイキイキしていて、
あたらしいことも、たくさん知っている。
夜どおし遊ぶ体力も、気力もあって
あたまも冴えている。
そんな、若いひとのそばにいると
なんだか
「わたし、なんのオーラもないや、若くないし」
と、意味なくヘコんでしまっていました。
それが、すっかり「習慣化」されて久しい、
8月29日
パラリンピックの車いす陸上
1500メートル決勝の日。
上与那原選手の勇姿を
生放送で、観ることができました。
上与那原選手は、沖縄市出身。
28歳のときに、交通事故で四肢まひに。
31歳のとき、車いすマラソンに出会います。
リハビリとして、車いす競技に誘われたそうです。(公式サイトより、引用)
2008年の北京パラ五輪、
車いすマラソンで銀メダル。
このニュースを聞いた瞬間、小躍りして、すぐにm○xiの日記に書いたのを、覚えています。
ほんとうに、嬉しかったんです。
県出身の選手が、パラリンピックに出て、メダルを持って帰ってくるなんて。
おなじ沖縄県で生まれた選手が、海外のスポーツの祭典に出るために頑張ってきて、その努力が「メダル」というかたちで、評価された。
そのことが、なぜだか、「わたし」が褒められたようなきもちになって、誇らしかったのだと思います。
13年後の、いま。
上与那原選手は、50歳になっています。
ロマンスグレーの、よく似合う
ステキな、おじさまに変身していました。
東京パラリンピック・日本代表になっている、と知ったとき、「おぉ! まだ頑張っている!」と、驚きつつ、北京のときに感じた、あの誇らしさが戻ってきました。
もう、マラソン種目はなくなったようで、トラック競技である「中・短距離種目」に転向していたとか。
まさか、今回「メダル」は
ないだろう。
失礼ながら、そう思っていました。
「50」という「数字」が、
チラッと、頭をよぎったのです。
さきのオリンピックも
若いひとの活躍が、目立ちましたから
パラリンピックも、そういうもんだろう。
さて、
この「思いこみ」
みごとに、秒で、はずされました。
1500メートル、決勝のレース。
上与那原選手は、
安定した走りで、3位独走。
そのまま、銅メダルを獲得しました。
やったー!!
なんと、最初に出場した400メートルでも、3位。
銅メダル🥉だったとか。
えっ、これで2つ目?
まさか!!
競技後のインタビューで、上与那原選手は、こうおっしゃっていました。
「いつになるかわからないけど、3人で表彰台に上がれるように、準備したい」
3人、というのは、上与那原選手・本人と
✔️同種目・2冠の「佐藤友祈」選手31歳
✔️上与那原選手の、良きライバルであり、先輩
「伊藤智也」選手
です。
伊藤選手は、三重県出身。
上与那原選手より8歳年上で、
車いす陸上・トラック競技の第一人者です。
写真は、こちらからお借りしました。
北京パラリンピックでは、400メートルと800メートルで金メダル。いずれのレースでも、世界新記録をたたき出しました。
ロンドンパラ五輪を最後に、いちど引退しますが、2016年に、選手活動を再開しています。
2019年の世界選手権では、銅メダル。
(以上、伊藤選手の公式サイトより引用)
今度の東京大会でも、メダル候補だったに違いありませんでした。
ところが
大会直前になって、とつぜんの、クラス変更。
障がいの軽いクラスで、競技に臨む羽目になったのです。
パラリンピックの競技における「クラス分け」については、こちらのページ「陸上」のカテゴリーを、ご参考にお願いします。
わたしも、よく知らなかったのですが、陸上のトラック競技が、アルファベット「T」で表され、数字「51〜54」が、車いす競技になるそうです。
伊藤選手の本来のクラスは、上与那原選手たちと同じ「T 52」
両脚は、まったく動かないけれど、両腕が少しは動く選手たちが出場するクラスです。
しかし、大会直前になって「T 53」クラスに変更。両脚は動かないけど、両腕が元気に動く選手たちと、走ることになったのです。
伊藤選手本人は、「ハイレベルなショックだった」と落胆を隠さず、選手村で同部屋の上与那原選手も、ショックで、
彼と「一緒に泣いた」とか。
結局、伊藤選手はクラス変更がひびき、T53・400メートルで予選敗退。
それでも、自己ベストを更新しました!
その走りを見ていた上与那原選手は、
「次は、オレの番だぜ……!」
と思ったかどうか、定かではありませんが、
「伊藤選手の思いも、ともに」走り、銅メダル。
そして、レース後のインタビューで、
「(トラックに)日の丸を3つ上げる。その日を待っている」
と、力強く宣言しました。
まるで、伊藤選手に語りかけるように。
と、思っていたら、1500メートルのレースは、
ほんとうに、伊藤選手に「中継」が送られていたようです。(琉球新報8月30日付 12・13面より)
……お!!?
ってことは、上与那原選手
3年後のパリ・パラリンピックも、
もちろん、現役ですね!?
伊藤選手も、まだ競技、
続けるってことなんですね!?
そして、変更されたクラスが、
元にもどる可能性も、あるということですね?
そうすると、3年後……
上与那原選手は、53歳
伊藤選手は、61歳に、なってます!
いいじゃないですか!
彼らが、そろって表彰台に上がるなんて
考えるだけで、わくわくしてきます!
彼らが、若いひとたちにまじって
頑張っているだけじゃなく
「まだまだ、若いひとたちには負けないぞ!」
と、奮起している
チャレンジしつづける、姿を見て
楽しくなってきました!
わたしだって、まだまだ行けるぞ! と。
どうして、
「オリンピック・パラリンピックは、
若いひとたちのものだ」
いや、
「若くないと、負けだ」
と、無意識のうちに
決めつけていたんだろう。
だから、上与那原選手が
若くなくても
こうして、大舞台で
若いひとたちにまじって競技して
メダルを、ふたつも、もらって。
その姿に、
「年齢のせいにして、
いろんなことを諦めちゃダメだ!」
と、こちらも奮起させられました。
年齢なんて、ただの数字
美輪明宏さんのお言葉を、
上与那原選手たちが
体現しているかのようです✨
いくつになっても、
チャレンジし続ける「勇気」と、
好きなことを生活に取り入れて
日々、たのしく生きる「希望」を
いただけました!
そして、昨日
8月31日
パラリンピック史上、最年長の
「金メダリスト」が、誕生しました。
自転車女子・個人「ロードタイムトライアル」で、「歴史に残る」走りを見せた
杉浦佳子(けいこ)選手です!
年齢は、上与那原選手と同い年の、50歳。
レース後のインタビューで、
「今日はちょっと、年齢を忘れていました」
と、頬をゆるめたあと、
「具体的な年齢数を含めた質問」に
杉浦選手は、こう答えました。
「あっ、また50歳って言いましたね。でも、
最年少記録は二度と作れないけど、最年長記録はまた作れますよね……(略)」
以上、Yahooニュースより引用
最年少記録は二度と作れないけど、
最年長記録はまた作れる……
最年長記録は、また作れる!!
よーし、わたしも頑張ろう!
最年長記録、つくるぞー!!(なんの?)
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さいごまで読んでくれた、あなたに
しーぶん(おまけ)です。
わたしの大好きなミュージシャン
「ワタナベイビー」さんが、
こんなステキな歌を、歌っています。
サビだけ、歌詞を載せますね。
昨日より若く
昨日より 力いっぱいに
昨日より若く
昨日より きれいになれるさ
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