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どこに話すべき話?

30代にもなると関わるコミュニティの数は多く、複雑になってくる。

家族、実家、地元の友達、高校の友達、大学の友達、趣味の友達、職場、Xのフォロワー、Instagramのフォロワー、そしてnoteのコミュニティ。

おそらくこれでは抜け漏れがあるほどに、関わるコミュニティは多いし、今後も増えていく。(noteを始めたのもつい2週間前)

そして話す内容も振る舞いも気分も、それぞれで異なる。すべてが違うわけではないが、なんとなく、細かいニュアンスで自分を分けている。

その場で言えること、言えないことも自ずと決まる。

たとえば、家族に家族の愚痴はなかなか言えないし、職場で職場の愚痴はなかなか言えないように。

だから僕らは話したいことがあると、それを話せる場所を探そうとする。

話せる場所が見つからないと、はじめは少し苦しくて、どんどんつらくなってきて、そのうち諦めがついて話さなくていいやって気になる。

でも、それを繰り返すと本格的に何も話せなくなる。

話したい気持ちを諦めてしまえば、それはそれで生きてはいけるから。
だいたい自分の話なんて誰にとっても意味がないってことに気づくから。

でも、それでいいんだろうか?

話すべき話を話すべき場所で、堂々と話すことを諦めるのは、とても悲しいことなんじゃないか。

話をして、話を聞いた誰かが何かを話して、話す前となにか違う未来が訪れるんじゃないか。

だから僕はそのとき話したいことを話せる場を、なるべく、少し挑戦的でも見つけようと思う。

意外と難しいんだよね。
でも、やってみよう。

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