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アルコール依存症の脱却体験記(n=1)

はーい✋いくらちゃんです。
今回は、前回「アルコール依存症との共存」の内容に引き続きます。
前回の内容をまだご覧いただいていない方は、よければこちらをご覧くださってから、今回の内容を見てもらえるとより深まるかも!


健康の専門家と言われる保健師でも、いくらちゃんのようにアルコール依存症になることがあるのは、Twitterの皆さんにもちょっと新鮮だったようで、保健師や医師にも反響を頂きました。


今日は、前回の反響に味をしめて笑、特に、断酒に至るプロセスのところを特に丁寧にお伝えしようと思います。
断酒失敗談と共に、お届けしますので、支援者の参考にもなるだろうし、これから断酒を試みようとしているアルコール依存症(その他の物質依存症の方)にも参考になるかもしれません。

支援者の方には、お願いがあります。
本日の体験談は、あくまで、いくらちゃんの体験・経験に基づくものですから、万人に当てはまることではありません。
先入観で対応するのは支援の失敗、信頼関係の破綻をきたしますから、是非ともご注意ください。


それでは今日も、いってみよー!


アルコール依存症専門外来で何するの?


これ、通院前のいくらちゃんは、全然知らなかったです。
保健所の精神担当として、何度も初診にお連れしたことがあっても、診察室には同席していなかったから、全然知らない。
そう、保健所の保健師でさえ、ここはブラックボックスなんですよ。

いくらちゃんの場合は、最初は、2週間に1回のペースで通院していました。
診察時間は、毎回15分から20分くらい。
前回の診察から今日までにお酒飲んだか?
どんな時に飲みたくなった?
どのくらいの量を飲んだか?
飲酒して何か困ったことはあったか?
逆によかったことはあったか?
どんなきっかけがあればやめられそうか?
そのきっかけは自分で作ることができそうか?

まぁこんな感じかな。
失敗したり、飲酒に罪悪感があったりすると、そこを直面化させる面談でした(つらいw)。
でも、人の脳は都合よくできているらしいので、記憶は美化されがち。
だから、適切に振り返ることができるように精神科医がわざと言語化させてくれていたように思います。
よかったことも平等に聞いてくれるんですけど、ほとんど見当たらない。。。
そして、わざわざ、飲酒して困ったことと良かったことを比べられるように同時に振り返り。。。
シラフの受診の際に、現実に直面するんですよね。
決して責められるわけではないです、自分で話していることが、頭の中で繰り返されるだけなので。
そして、アルコール依存症の方々って、いくらちゃんがいうのも変ですが、みんな、シラフの時は本当に真面目で良い人が多いんですよ。
だから、ちゃんと自分のことを振り返って反省できる。
だからこそ、生きづらさを隠すために、生きづらさを解決するためにお酒の力を頼るんですよね。なんとかしたいと思っているから。
これが不真面目だったら、なんとかしようとせずに諦めて放置しちゃうはず。
仕事でも人間関係でも、困った状況から、生きづらい環境から脱するために飲酒するのです。

どんなきっかけがあればやめられそうか?
そのきっかけは自分で作ることができそうか?

この質問は、診察の最後の方によく聞かれるものです。
毎回聞かれるから、答えを準備できそうなものですが、これがまた難しい。
真面目だから笑、その時の一生懸命で答えようとするのですが、なかなか自分で思いつかない。
答えが見つからないと、じゃ、また次回思いついたことがあったら教えてね。で終わり。
主治医からあーしたら?こうしたら??っていうのは、こちらから尋ねない限り、一切なかったです。
こういった、安全・安心が担保されている診察でしたから、特段嫌になることもなく通い続けることができました。責められたりしたら2度といかんかったと思います。
現実はこうです、で、あなたはどう考える?どうするの?みたいな感じで、いつもいくらちゃんを尊重してくれていました。
(多分、この人は、自分で考えて、決断して、回復できる人だと信じてくれていたのだと思います)←依存症患者への有効な関わりとして動機付け面接法に書いてある(笑)。
↓依存症対応する支援職は必読の書です。↓


別れ酒の儀式


妻からの感動的な手紙をもらい、初回の断酒を決意。
(妻からの手紙の内容は、前回のnoteを参照してください)


別れ酒の儀式も済ませ、断酒を開始しました。

別れ酒の儀式(いくらちゃん命名)
これが人生の最後の飲酒だとその時は決意し、最後の一杯を楽しむ儀式。
最後の一杯は、やがて、いーーーーっぱいになっちゃう笑。
それでも決意を強固にし、酔っ払いながらも、家に残ったお酒は全部廃棄し、シェイカー、マドラー、ワインオープナー、アイスボックスなど、飲酒に関連する家庭用品の一切を捨てること。

いくらちゃん


再飲酒のきっかけ


こうやって儀式をすること3回から4回。(多すぎだろ!)
もう、同じことの繰り返しで、どんだけ決意しても、全然だめ。
儀式を何度もする羽目になります。
自尊心ボロボロです。
何度も飲んじゃうんですよね。

ある時は、些細な夫婦喧嘩がきっかけに。
またある時は、飲まないと決めた友人との飲み会でつい一口から。
さらにまたある時は、仕事で疲れてふらっと寄ったコンビニでつい。
何度も、診察で、状況を振り返りながら、もう本当に2度と断酒できないんじゃないかなって思ったりしていました。

いくらちゃんが保健所で受診支援したアルコール依存症の人たち、全員、専門医の外来に通院した後、断酒していたんですよ。
外来に通院しさえすれば断酒できるって、マジで確信していたんす。
専門家のくせに、自分の人生人任せ、回復を専門家に全面的に委ねて、自分で努力しようとしていない、甘えてる。。。
通院さえすればやめられるなんて、そんなわけないじゃんって、今ならわかります。
患者さん、本当にみんなすごい頑張っていると思います。
断酒できない人の気持ち、痛いほどわかります。
結果だけ見ないでいただきたい。
頑張ってもダメな時は、ダメなんだよ。
きっかけさえ掴むことができれば、自分で回復できる方たちばかりです。
支援者としても、いち人間としても、通院するという決意ができただけでも、ぜひサポーティブに関わっていただきたいと切に願うところです。

最後の飲酒から断酒へ


9年間以上断酒を続けている今でも、明日にも再飲酒するかもしれませんから、完全断酒といっていいはずはありません。
でも、最後に飲んだのは、2012年12月29日です。
これは、はっきりと覚えています。

断酒を決断する少し前に、AAビッグブックを読んでいたんですね。
※詳細は前回のnote参照

その頃には、唯一自分が信じるものは、自分自身の信仰です。
つまり、酒を飲まないという信仰。
これを仮に神と言うなら、その断酒の神様です。その神様に、自分の意志と生きかたを、全てゆだねる決心をしました。(ステップ3)

そして、短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に祈りました(ステップ7)。
さらに、祈りと黙想を通して、いくらちゃんの信仰する断酒の神との意識的な語り合い、神の意志を知ろうと努力しました。そして、その意志の導きを理解し、それを実践する力を求めました。(ステップ11)

めちゃめちゃスピっぽいと思われるかもしれませんが、全ての自分なりの断酒のチャレンジは失敗に終わっていましたから、完全に騙されたと思って、素直に書籍を受け入れることを決断していましたので、もうこれはその通りやろうと決意していたんです。
疑いの気持ちとかあったらうまくいかなかったかもしれません。

この話も信じてもらえないかもしれませんが。。。。
2012年12月の初旬のある休日の夕方でした。
その日も日が暮れてくるので、断酒頑張ろうと思う気持ちと飲みたい気持ちで揺れていました。
自室の書斎の床に横になり(ちゃんと座禅でもせんかい!)、ステップ3、7、11を繰り返し頭の中で考えていました。飲酒渇望が大きくなると、なんなら、口に出して言っていました。

飲みたい、やめよう、やっぱ飲もう、いやダメだ。
ステップ3、ステップ7、ステップ11。。。。。
延々と1時間くらい悶え苦しんでいたんです。
で、今日も断酒がんばろう!って決断して、すこし頭がスッキリしてきたときに、

少し年配の女性の凛とした声ではっきりと

「あなたの人生は一度もう終わったのだから、あとは人のために生きなさい」

そう言われたのでした。
後にも先にも、このような声を聞いたのは初めてでした。
寝ぼけていたということはありません、意識ははっきりしていたので、間違いないと思います。

いくらちゃんの信仰する断酒の神様は、なんと、「女神様」だったのです。
実際のお姿を拝見することできませんでしたが(キョロキョロしちゃったよ)、苦悶する私を見るに見かねて、いくらちゃんの生きる道標を、直接声で届けていただきました。
超不思議体験でしたが、この日をきっかけに、最後の断酒が決意されました。


最後の別れ酒の儀


断酒の女神様の声を聞いて2週間ちょい後、2012年12月29日運命の日です。
この日は、大学時代の水泳部の仲間と夜通し(宿泊付き)の忘年会でした。
大学を卒業したのが、2004年だったのですが、卒業してもまだまだ年に3回くらいは、飲み会していたんですよね。
それぞれが結婚したり、子どもを授かったりしていても、学生時代の仲間と集うとついお酒を飲みすぎる。よくある話ですね。

今回のいくちゃんは、一味違う気持ちで参加していました。
この日の飲酒を最後に、本当にお酒をやめると決意していましたから。
不思議とお酒が美味しく感じませんでした。
いつもなら最後まで居残り、夜通し長酒するタイプなのに、その日は、早々にホテルに戻ったことを記憶しています。

実は、断酒を決意できなかった理由のひとつが、この水泳部の仲間との別れが辛すぎるからという理由があります。ちょっと大袈裟かな。
お酒を飲むことで関係性を作っていたので、飲まずに友情を維持できるか、その辺りが自信がなかったんですよね。
飲まずに水泳部の同窓会に参加しようと何度か試みたのですが、つい飲んじゃう。断酒するには、水泳部の人間関係を一度断ち切る必要がありました。
お酒で作った人間関係は、断酒に伴い、一旦リセットが必要でした。

「断酒が継続できたあとは、まわりの水泳部の友人たちも理解してくれて、今ではお酒なしでの付き合いができています。」と報告したかったのですが、現実はそう甘くはありません。
この日を境に、青春時代一番大事にしていた水泳部員との関係は、なくなりました。
20歳代前半、毎日一緒にて、辛い時も楽しい時も、ずっと一緒にいた仲間たちを失いました。
結婚式など個別では時々会うことがありますが、皆で集まってということは、まったくなくなりました。

アルコール依存症は、淋しさ、孤独が悪化要因になると思っています。
このような形で、大学の水泳の全国大会(インカレ)に一緒に出場するくらい青春の全てを捧げ、キラキラした時代を過ごした友人を失うことは、大きな淋しさを伴います。
この淋しさは、まさにやけ酒を飲みたくなる最大要因。
この時に、その淋しさを紛らわす手立て、代替えがないとマジで辛い。
それこそ再飲酒になります。

いくらちゃんは、さすがにこの時ばかりは、その辛さを想定していました。
毎日、晩酌でお酒を飲むと、19時から24時くらいまで、ずーーーっと晩酌ですよ。断酒始めるとこの時間、シラフで全く暇になるんですよ。
手持ち無沙汰。淋しさ満開。
奥さんは家事や育児で、全然相手にしてくれないしね。
この時間を有意義に使えないと再飲酒まっしぐらになっちゃう。

ここは、いくらちゃん、主治医に聞いたんですよ。

「先生、晩酌しなくなったら、夜時間を持て余すけど、先生はどうしてたんですか?」

実は、主治医の先生も、アルコールの専門医なのに、昔は大酒飲みだったそう。飲酒が過ぎて、人にも迷惑かけていたとか。依存症ではなかったようですが、問題飲酒者であったことは間違いないと聞いていました。

「私の場合は、空いた時間で、英語の論文を毎日1本読むようにしたんだよ」

なにーーーーぃ!!さすが医者だな、おい。
英語の論文だと。
参考になんねぇなと一瞬思ったんですけど、
あ、そーか、仕事頑張るのもひとつか。と考えるようになりました。
ちょうど、4月から、大学教員になることが決まっていた時期だったんで、英語論文は読めないけど、日本語の論文読んだり、自分で論文書いたりしたらいいか。と考え直しました。(読まずに書くって、方向がおかしいw)

奥さんは、口には出しませんでしたが、腹が立ったと思います。
夕食後、いくらちゃん一人で、ガストに行ったり、サイゼリアに行ったり。
家にいると手持ち無沙汰で飲みたくなるので、家にいたくない。
ノートPCと文献のファイルとか書籍持って、外出です。

ファミレスとかでは、意外とちゃんと勉強していました。
4月から大学教員になるのだから、論文たくさん書いておいたらいいよねーって思って。
その当時は、まだ公務員だったので、仕事はいつも定時終わりでした。時間が余る余る。

笑っちゃうのは、その時書いた論文のタイトルが、なんと

「特定健診におけるアルコールに関する保健指導対象者の抽出の検討」

メタボに着目した特定健診で、問題飲酒者やアルコール依存症を発見できるのか?いやできない!と言う論文。
日本アルコール関連問題学会雑誌 (Journal of the Japanese Society of Alcohol-Related Problems)第16巻 (1)201-206 (2014年)

この論文は、実は、主治医(アルコール専門医)にも指導してもらったんす笑。
普段は、主治医と患者なんですけど、仕事の時は、嘱託医と保健所保健師。またある時は、論文指導者にもなってもらうという関係性。なんかウケる。

住民健診の受診者、2万人以上のデータの分析から検討したのです。
その後、この論文がひとつの契機になって、特定健診・特定保健指導のガイドラインに、アルコールのスクリーニングシートが追加されたんですよね、嬉しかったなー。

これで、仕事の成果があがったので、淋しさが少し減るよね。
仕事で有効な結果を残して、ピークだった中学生頃の栄光を、お酒以外で勝ち取るという。

そのあとは、大学教員になったので、仕事も忙しくなったし、酒飲んでる暇も、大学の水泳部の友人とかとも会ってる暇なくなってくるんですよね。

でも、後から気づくんですが、アルコール依存から、仕事依存になりました。
仕事に夢中になったといえば聞こえが良いかもしれません。
公務員の時と違って、頑張れば頑張るほど、論文が書ける。社会貢献ができる。もう本当に、毎日職場に7時から22時とか、好き好んで働いて、のめり込んでいきました。
ひどい日だと、大学に25時過ぎまでいたり。それなのに朝は、6時に家を出ていく。
主治医からも、体に障らなければ、依存のすり替えは、まぁ別にいいかな。って感じでした。
ワークホリックになって、仕事にすり替わっているので、お酒は大丈夫になりました。
仕事も楽しくて仕方ないし、ワークホリックで成果が上がりまくるので、周囲からの賞賛も得られて、エンドルフィン、アゲインですね。

しかし、人から賞賛されることで、人生の幸せを感じるタイプは、それだけだと、しんどいくなってくる場合もありますね。

その後の話。
上には上がいるわけで(当たり前の話)、他者基準で幸せが決まると、仕事だけだとそんなに幸せを感じられなくなる。
同じ刺激だと、エンドルフィン耐性もついてくるし。。。。

この辺りからは、自分自身が幸せって感じられることって何だっけ?
を考えまくるようになります。

元々自分がやりたかったことは?
寝食忘れて没頭するくらい好きなことは?
ありたい自分、なりたい自分はどこいった??

そんなことをめっちゃ考えていました。
で、結論。
家族と過ごす時間がプライスレス!
(コロナのおかげで気づけたとも言えるんですけどね)

多くの仕事は、替えがきくんですよね。
いくらちゃんがいないとだめだとか周りは言ってくれることもあるので、ついつい勘違いしちゃうんですけど、いなくなっても、意外と全然、大丈夫。
サラリーマンって、システムでその辺がちゃんとカバーされる仕組みになってますからね。

でも、家族。特に、夫としてのいくらちゃんや、父親としてのいくらちゃんは、誰にも替えがきかない。
(替えがきいたら、それはそれで困っちゃう)
仕事で落ち込んだ妻の話を親身に聴くことや、子どもの参観日、運動会、発表会。。。
どれもその時、その瞬間にしか、いくらちゃんにしか果たせない役割がある。
そして、家族のことを大事に思っているからこそ、その場に絶対立ち会いたい、役割を果たしたい。そんな思いです。
しかも、そーやって家族を大事にしている、自分が結構好きかも。
ってことに気づいたんですよね。
他者からの評価でしか幸せになれていなかった自分にバイバイして、自分のしたいこと=家族を大事にするこで、癒されて、生きづらさを解決しつつあります。


体験談のまとめ


アルコール依存症からの回復のために、まずは、依存をすり替えました。
アルコール依存を仕事依存に。

そして、他者評価で幸せになることをやめ、自分で自分を幸せにすることにしました。
仕事依存は、家族と関わることを大事にするライフスタイルにかえることで、生きづらさの解決を図っています。

アルコール依存症の回復過程では、その人の生きづらさの根本が解決しなくては回復は難しいと自分自身の体験から実感しました。
その人の生きづらさの根っこはどこにあるのか、その癒しのためにはどんなことが必要なのか。
いくらちゃんは、、回復という言葉よりも、生まれ変わったという言葉の方がしっくりくるような気がします。


「あなたの人生は一度もう終わったのだから、あとは人のために生きなさい」


この言葉の「人のため」は、現在は「家族のため」というふうにも言い換えることができるかもしれません。
また、最近は、大好きな開業保健師のお仕事でお出会する方もそうです。
保健師などの後任の育成という観点からすれば、このnoteを通して出会った方々もそうかもしれません。

私は、いくらちゃんと関わるすべての人のために、今の人生を、生き直していると言っても過言でありません。

私は、2012年12月29日に、今後一生お酒を飲まない人生を選択しました。
あなたは、これからの人生をどのように歩みますか。
私に何か手伝えることはあるでしょうか。

ほんの少しでもいいので、お酒や薬物などで苦しむ人やその家族のお役に立てれば幸いです。


ありがとうございます!ご支援いただけると、看護職の未来がちょっとだけドキドキ・ワクワクします!!