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アルコール依存症との共存

私、いくらちゃんは、アルコール依存症の当事者です。
「私、アル中なんです」っていうネタみたいなことかと思われるかもしれませんが、ホンマにリアルガチのやつです。

今日のnoteの目的は、以下3点です。
①意外に「アルコール依存症」は身近なところにあることを知ってほしい。
②「アルコール依存症」の家族の方に、一縷の希望を。
③「アルコール依存症」の当事者の方の断酒のきっかけとなりたい。

たとえアルコール依存症があっても、等身大の夢だって持つことができます。
前回は、いくらちゃんの夢についてnoteを書きました。



まずは、あなたのお酒のチェックから。
普段まったく飲まない人は、読み飛ばしてOK。

あなたの飲酒順位を確認してみよう!

男性だと、月1回以上飲んで、飲むとき3合以上飲む人は、100人男性がいたら、なんと、上位5位〜9位です。
もしかして、日本人男性の真ん中ら辺だと勘違いしていませんか?

女性だと、月1回以上飲んで、飲むとき1合以上飲む人は、100人女性がいたら、なんと、上位7位〜15位です。
え?あなたも、日本人女性の酒飲み偏差値50だと勘違いしていた?

いやいやー疫学ってほんと面白いですね。
これ、事実です。
酒を嗜まれている方、あなたの周りには酒を飲む人が多いのですよ。
それ、マジでバイアスですよ。飲まない人は全く飲まないんですよ。

酒飲み順位&偏差値を把握したところで、では、依存症のチェックもしてみましょうか。
こちら。

自己診断チェックをしてみよう!

いくらちゃんは、全盛期の時は、
基礎チェック 3/4(アルコール依存症疑い)
精密チェック 5/6(アルコール依存症の強い疑い&専門医への受診必要)
でしたね。
はい。
精密検査の方は、ICD-10から作成されています。このICD−10ってのは、精神科の病名をつけるときの国際的な診断基準のなんですよね。
これに該当したら、間違いなく、診断されるやつです。
いくらちゃんは、やっぱりバリバリのアルコール依存症の診断です。
(今は、全く飲んでないので、ぜーーんぶ非該当です♪)

では、いくらちゃんの過去、生い立ちから振り返ってみませう。
今日は、長文の予感。

誉められる子ども 幼少期

現在から過去を振り返っての話なので、いろいろと美化されていることや記憶違いのことなどもあるかもしれません。
いくらちゃんの幼少期を知る方は、イメージと違うとなるかもしれませんが、ご容赦ください。

幼稚園と小学校1年生の夏くらいまでは、パッとしない子どもでした。
学校の運動も鈍臭い。
勉強ができるわけでもない。
むしろ、体の大きな同級生に殴られたり、近所の上級生に自転車を水路に投げ捨てられたり、どちらかというといじめられていることの方が多かったと思います。

特にきっかけは思い出せませんが、秋から冬休みにかけて、毎日朝、ジョギングを始めました。みるみる長距離走が早くなり、冬休み明けのマラソン大会でなんと学年1位となりました。
そのあとは、学校代表として市内駅伝大会の選手になります。
運動ができるようになると、学校の先生や親など、周りの大人が優しくなりました。
また、大きな期待をかけてくれるようになり、それに応えることができるとさらに誉められ、多大なるエンドルフィンのシャワーをもらえます。

小学4年生では、市内のトライアスロン大会で優勝し、その時の大会新記録は、今でも破られずに残っているようです(大会が無くなったのでもう誰も破れない笑)。
幼稚園から続けていた水泳も努力の甲斐あって、6年生で全国大会出場、そして、日本小学生ランク7位となりました。
中学では、勉強も頑張り、3年生の2学期には、学年で1番を取りました。
水泳も、中学2、3年生の2年連続で全国中学選手権に出場しました。この辺りが人生のピークです笑。

周りの大人や同級生がチヤホヤしてくれます。
自分の努力が全部、成果に結びつき、自信も深まるし、周りからは誉められるし、その時は、最高に幸せだったと思います。

劣等生 高校時代

その後の高校くらいから歯車が狂い出します。
高校受験はなんとか成功して、地元の進学校の進学クラスに通うようになります。
42人のクラスですが、同級生は、その後、東大が5人くらい、旧帝大15人くらい、医学部も10人くらいとかいう、バケモノの集まりでした。
勉強は、大体クラスで40位でした。
水泳も中途半端にしていましたから、県大会4位とかで精一杯。
もうこの時期になると、誰からも誉められたり、すごいとチヤホヤされることは無くなりました。
失恋も経験し、生活がすさんでいきました。

高校3年生では受験にも失敗し、1浪。
全寮制の予備校に1年間通うも、第1希望の大学はまた不合格。
全く思いもしなかった、一度も見に行ったことすらない大学の後期試験で入学を決めた大学へ進学しました。

栄光を取り戻した大学時代

大学で再び水泳部に入部しました。
体育会系でしたから、お酒を飲めることで多くの部員から誉められます。

「お前、マジですげーな」
「なんでそんなに早く飲めるの」
「めっちゃお酒飲むね」

高校生の頃から乾いていた心に、久々に潤いが戻るのを実感します。
お酒が、自尊心を取り戻させてくれる感じ。

「お酒飲めるのいいじゃん!肝臓を丈夫に産んでくれた両親、グッジョブ!!」
周りからの羨望の眼差しと、一気飲みをはやし立てる手拍子が快感となりました。

昼間の水泳部の練習も頑張りましたが、その後の飲み会を断ったことは、一度もありません。
飲めば飲むほどに、周りから喝采を浴びる環境でした。
飲んでは吐き、吐き戻しては飲んでの繰り返し。
大学でも、勉強は特段できる方ではなかったし、水泳も同級生にスターがいたので、飲み会で1位を取ることに全力投球。

そして、大学4年生目前の春休みに、肝臓を壊して入院します。
今でも忘れません。
30度の焼酎を一晩で一人で3升飲んでも酔いませんでした。
翌日、白目が黄色くなり、黄疸が出ました。
そして、発熱。全身の猛烈なだるさ。白色便。食欲不振。嘔吐。
当時彼女だった奥さんも一緒でした。
初めて彼女を紹介するために実家に連れて帰っていたのに。
救急外来→総合病院へ。

血液検査の結果、γ-GTPが4500越え。(基準値めっちゃオーバーで、パニック値!!)
肝機能障害で、緊急入院となりました。

アルコール性肝障害で2週間の入院でした。

今回のは一過性のものだから、退院後お酒飲んでもいいと主治医が言った。
ちょうど春休みで、少し大学を欠席しただけで、留年にはならなかった。

これらのことを都合よく解釈して。
さらに、飲酒は続くよどこまでも。。。。。

社会人になっても飲むよー

大学卒業後も、お酒は飲み続けます。
お金があるから、自由!
毎晩がお祭り騒ぎです。
行きつけのお店が複数できたり、キープボトルするようになったり。

量も増えていきます。
一晩で500mlの缶ビール6本飲んだ後に、日本酒1升とか。
これを1年のうち、364日くらいは続けていました。

病院には、かかりませんでしたが、おそらく追加で2回くらいは、入院の時と同じ状態になったと思います。
体がだるすぎて、仕事を3日間くらい休んだりしました(最低の保健師だな)。

断酒の転機専門外来への通院

これはもう、役得だったというしかないのですが、保健所で精神保健の担当をしている時、アルコールに関する関係者でネットワークを作っていたんですよね。
そして、その時に、保健所主催で関係者向けの講演会を主催して。
アルコール専門医の先生を講師にお招きしていたので、講演会前の前室で、雑談していたんですよ。
いくらちゃんのアルコールのエピソードとその時の飲酒状況を聞いてすぐ、
その専門医の先生が、
「いくらさん、私の患者になりなさい。予約を取ってクリニックに来なさい」と、真顔で言われたんですよね。
普段は物腰柔らかく、ニコニコしている先生が、こんなふうになるのは初めて見たんですよね。そして、自分でも薄々感じていましたが、あーやっぱりな。通院が必要な状態なんだな、と。

通院には葛藤はありました。
だって、保健所で精神保健の担当をしている保健師ですよ。

自分が患者でクリニックに行ったら、初診の時に、いくらちゃんが受診支援して断酒頑張っている方に待合室でバッタリ。
「休みの日まで、先生にケースの相談ですか?保健師さんって大変ですね。いくらさん、ご苦労様です。」って。
「あ、はい!」(つい、思わず嘘をついてしまいました。否認行動笑。嘘つき保健師の誕生)

通院しても、3ヶ月くらいは、「私はお酒やめられません」て主張していました。
支援者として知識も十分にあって、危険性もしっかりと認識していても、やめる意思がぜんぜん固まらない。
ダメだってわかってる、長生きもしたい。でも、飲みたい。飲まない人生は想像できない。

通院しているのに一向に断酒しようとしない悪い患者でしたが、主治医は否定するでもなく、淡々と話を聞いてくれます。

妻からの手紙

4ヶ月目の受診の時、主治医からの急な告白。
「今日は奥さんから、手紙を預かっています」
便箋3枚にわたって、びっしりと書かれた奥さんからの手紙。

以下、内容の抜粋です。

初めて出会った時も、あなたは酔っ払っていて印象は最悪だった。
飲んで夜遅くに帰ってきて、酔っ払って話が長くて睡眠不足で翌日困った。
初めて実家に連れて行ってもらって、あなたの両親を紹介してもらうはずだったのに、その日に肝臓を壊して病院に入院になって、私は夜一人で心細くて泣いたん。

でも、飲んでいない時には、
真面目で一生懸命に水泳を頑張っていた。
困った人に手を差し伸べる優しいところもある。
保健師になって、シラフで働いている時には、住民さんの役に立っている。
娘たちを遊びに連れて行ってとても大事にしていて良い父親である。

私は飲んでいるあなたは嫌いだ。
シラフのあなたと一緒にいたい。
お酒をやめる覚悟があるなら、私も協力する。
私は、残りの人生、酒を飲んでいないあなたと過ごしていきたい。
お酒なんかで早死にせずに、子どもたちが大人になるまで、もし孫に恵まれたら孫たちとも楽しく暮らす余生を夢見ている。
リタイヤしたら2人で世界中を旅して回ろう。

記憶が美化されているので、少し違うところもあるかもだけど、多分こんな手紙だったと思います。
あー今思い出しても、やっぱ泣けるな。

さぁ断酒するぞー

で、断酒できました。はい!おしまい!!となったら話は綺麗なんですけど、アルコール依存症は、本当に手強い。
1回で断酒できる人はほとんどいないんですよー
依存症が重症ないくらちゃんもご多分に洩れず、その後2回くらいは失敗しています。

だって、酒飲むと陽気になれるし、なんだかみんなファミリーだぜウェーイってなるのが楽しくて、やめられないんですよね。
大学生後半からその時まで、人間関係を作る方法は、全部お酒に頼っていたので、人との関わり方迷子になっちゃってたんですよ。
プライベートで新しく出会う人とお酒抜きで関わることができない笑。いちから人間関係づくりをやり直しとなりました。

断酒会とか、アラノンなどの自助グループに行ってみるのはどうかと主治医からも勧められましたが、保健師という専門職の名にかけてプライドが許さない笑。
「知的に高い人はAAブック読むことでやめられる人もいる」と主治医にプライドをそそのかされて、AAブックを購入しました。

この本です。

私の人生を変えた本。

私にとっては、人生を救われた本なので、おそらく1億円以上の価値があります。
(アルコール依存症のひどい人だと、平均寿命は50歳とかというデータもあるくらいです)


アルコール依存症回復の12のステップ

以下のリンクで本に記されている12のステップを見てください。
(著作権の関係で、転載が不可です。すみません。)

このAAブックでは、この12のステップを繰り返し実行してゆけば、断酒できる。断酒が継続できる。とされています。

これを読んだ時、当然ですが、そんな簡単なことで酒がやまるものか。
これでできたら、世話ないわ。
嘘だねー、無理に決まってる。

なんて思いながら読み始めました。

でも、読み進めているうちに、今まで、断酒の方法を自分なりに色々考えて、試してやってきたけど、何一つうまくいかなかった。

1杯目だけビール、2杯目からは烏龍茶。
アルコール度数の低いものに変えよう。
家でのまず、お店だけにしよう。
一人でのまず、友人とだけ飲もう。
行事の時しか飲まないぞ。

そして、感動的な妻の手紙でさえ、いっときの感情に流されて再飲酒したんだから、今回くらいは、騙されたと思って、忠実にやってみようかな。
そんな気持ちにちょっとなったんですよね。

これでとりあえず、ステップ1の達成間近です。

私はアルコールに対して無力だ。私の思う通りには生きてゆくことができないと完全に認めます。
いきなり、いくらちゃん全面降伏。もう完全に信者になりましたwww
だって、そうしないとステップ1クリアじゃないんでね。

こうやって、ステップを次々にクリアしていけば、困難もありますが、断酒できるという算段です。
まんまと引っ掛かりました。信じるだけで救われたんです(スピ系みたい笑)。

ステップは、できないものは、飛ばしてもOK。
でも、必ず戻ってきて、時々はちゃんと振り返って、可能ならやり直すのだよーとか書いてあります。

かくいう私も12のステップのうち、9番目が至難です。
全然できてない。
これまで困らせた人がたくさんいるのですが、全然直接埋め合わせができていないのです。
これからの人生の課題のひとつとしています。

そして、今日のこのnoteは、ステップ12です!!
私なりの解釈ではありますが、このAAブックに書かれた内容を人に伝え、アルコールの問題を抱える本人やその家族の役に立ちたいと考えて発信しています。
このような発信を自ら進んで、繰り返し、必要な方に届けることを続けることが、私の断酒の継続につながるのです。

私の断酒人生は、まだ始まったばかり。
妻との旅行や、娘の成人式、孫の顔を見るまで、しぶとく生き抜くぞ。

断酒継続して9年と5か月と4日が経ちました。パチパチ。

これまでの人生のさまざまな出会いがすべてつながって、私はこの人生に導かれました。これまで出会ったすべての人、すべての出来事に感謝しています。

私は、今後、一生お酒を飲まない人生を選択しました。

あなたは、これからの人生をどのように歩みますか。

私に何か手伝えることはあるでしょうか。

今日も、私は困難な断酒を継続できた。最高の1日でした。

※いくらちゃんは無宗教です。自分が信じる唯一の信仰は、断酒の信仰です。実態は見えませんが、断酒の神様は絶対にいると確信しています笑。


断酒を続ける、唯一の方法は、断酒を継続することです。

読み人知らず


では、また、来週の記事でお会いしましょう。

ありがとうございます!ご支援いただけると、看護職の未来がちょっとだけドキドキ・ワクワクします!!