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「ついつい」病と諸行無常

朝の7時。今あなたは起床して朝の情報番組をみている。あなたはこれから顔を洗い、歯を磨き、ご飯を食べて服を着替えなければならない。しかし何故だか分からないがすぐにやるべきことを行動に移すことができない。

もしここで、いや行動しろよって思う人はこの記事を読む必要はない。あなたはまだ「ついつい」病にはかかっていないようである。しかし、もしも例のような状況に共感を抱いたならば、あなたは「ついつい」病の疑いがある。そういう方はこの先の記事を読むことをオススメする。この先には筆者なりの処方箋があるから、あなたは「ついつい」読んでしまうかもしれない。


「ついつい」病とは多くの人が患っているメジャーな病であると私は思っている。つまり何かすべき行動があるにもかかわらず、今はめんどくさいから後でいいやと後回しにする。そんな方々に向けて本記事で主張したいことがある。それはいたってシンプルなことである。

今めんどくさいことは後でもめんどくさい
今やりたいことはどうせ後でまたやりたくなる

これだけである


自分はわがままな子供

いきなりで申し訳ないが、やるべきことがあるときはすぐに行動にうつさなければならない。どこかで現状の楽な状態にケリをつけなければいけない。ただ楽な状態を諦める必要がある。もちろん常に動き続けろというわけではない。休むことも仕事のうちである。休むべき時はしっかり休む。休むときは仕事について考えるのも諦める。生活にメリハリをつける。

しかしこうした当たり前のことができなくなってしまっているとするならば、「ついつい」病を患っていると思っていい。「ついつい」病の疾患にかかっているとやるべきことを後回しにしてしまう。まるで子供が駄々をこねるように。そう。やりたくないという怠惰な状況に置かれている時、自分のことを別の人間として見たほうがいい。つまりあなたは全き子供のような存在である。子供は先延ばしにすれば自分が一番困るということを知っている。怠惰にしていることが楽なようで精神的にかなりきついことも知っている。にもかかわらず動けないのである。それが怠惰の怖さである。


世の中は諸行無常

やる気が出ないことに対する対処法はすでにいろいろ紹介されている。まずできることからやれとか。まずはやることが大事で、とりあえずやり始めたらやる気は出るとか。あのトランスフォーマーシリーズで有名なシャイア・ラブーフも"Just Do It"と言っている。

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私もこの手の考え方には同意する。しかし怠惰な自分をナメてもらったら困る。私はまずやれないのである。ではどうすればいいのか。まずは考え方を変える必要がある。

「世の中は諸行無常である」

この考え方は結構役に立つ。ウン千年と蓄積されてきた仏教の叡智なのだから重要っぽいということはわかってもらえると思う。でも私は正直仏教のことなんて全く勉強してない。ほんとは勉強したほうがもっと深く知ることができるんだろうけど…だから以下はただの私の解釈である。

まずやめられないという怠惰な状態がある。私の場合、ダラけるのを、お菓子を食べるのを、タバコを吸うのを、テレビを見るのを、スマホを見るのをやめられない。こうした怠惰な状態には「ついつい」という副詞がつきがちである。「ついつい」何かをしてしまう、「ついつい」やめられなくなってしまう。ここで一度立ち止まって考えてみよう。なかにはこのように考えた人もいるはずだ。「ついつい」ってことは本当はしなくてもいいことなのではないか、と。

「ついつい」という表現からは能動的であり、しかし半ば受動的でもあるようなあいまいな情景が目に浮かぶ。例えば、ついついテレビを観るのをやめられないときを想像してみよう。このときテレビの内容が面白いか面白くないかはさほど関係ない。とにかくしなければいけないことが頭の隅にあるのに、どうしてかはよく分からないがテレビの前に張り付いてしまっている。意識と無意識のあいだのすごくあいまいな状態である。あなたをそうしたあいまいな状態に陥らせ、思考を停止させるのが「ついつい」病なのである。

「ついつい」病の病原菌は何だろうか?ズバリ怠惰である。この怠惰のせいで心の底から欲しているわけでもない曖昧なものに多量の時間を食われてしまう。私なんかは世の中がそんなもので溢れかえっているのも悪いと思ってしまうのだがこの問題についてはまた別の機会に譲ろう。

ここで重要なことを指摘したい。この「ついつい」やめられないといういい加減な欲望は今に限ったものではない。「ついつい」発作はこの先、何度も訪れては消えていく。寄せては返す波のように。今はちょうど寄せ波かもしれないが、じきに引き波になる。そして寄せ波の状態は永続的には保たれない。寄せ波とはあくまでも一過的なものである。休みたい、寝てたい、お菓子をもっと食べたい、タバコをもっと吸いたいという欲望はいつかはなくなる。そして波は引いていき、またいつかは押し寄せる。

「ついつい」そんなに欲しているわけでもないのに何かをしてしまうこと。それは怠惰が原因だと先ほど述べた。そしてこのように言うこともできる。「ついつい」病とは満足度が飽和した状態である。しかし、満足度の飽和した状態というのはむしろしんどいのである。満足度は飽和すると不満足度へと転じる。要はある程度の節度を保って生活することが大事である。腹八分を意識することが重要ということである。

腹八分というと、あなたはお腹いっぱい食べたいと思うかもしれない。まぁたまにはそれでもいいと思うが、みんなが思うより満ち足りてない状態はしんどいことではない。だって少なくとも飢餓状態ではない。八割は満たされているのだから。八割まで満足したらそこから先は諦める。どうせまたすぐに腹八分になるから大丈夫。引いた波はまたすぐ寄せてくるから。それが世の中の常なのである。それさえ理解すれば楽になる。そのことが実践できるようになるとわがままな子供から節度のある何かになることができる。つまり少なくともわがままな子供からはステップアップできる。

しんどいことはずっと続くわけではない。悲しいこともずっと続くわけではない。その渦中にいるとそれは永遠のように思えるかもしれない。でもいつかはその感情も遠いものとなる。そしてまたいつかはやってくる。でもやってくることがわかってたって怯える必要はない。どうせまた去っていくのだから。さらに、やってくるたびに人間はある程度学習能力があるからそれに対する術を身につけていく。一見全く変わってないようにも思えても、実は少しづつ成長していっているのである。


どんどん楽になっていく。そう思えば救われてくるだろう。そうでなかったとしても、そう信じよう。波が寄せては返すことだけは真実なのだから。

「世の中は諸行無常である」

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