【タイトル未定】
■ 第一章
誰もいない夜の公園はすべてを無にしてくれるような、静寂な闇が辺りを包み込んでいる。街灯はそここで灯っている。しかしその公園だけが光を抜き取られ、ポッカリと穴があいた様に忘れさられてまるでこの世から置き去りにされているみたいだ。
男は入り口のすぐ脇にあるベンチに腰を掛ける。握力のない手に握られているのビニールの袋。男はうなだれる様にして地面を見下ろす。
男が握っている袋の中には、コンビニで買った安いアルコール度数だけが高いカップ酒と、睡眠薬が入っている。
男は袋の中から、安酒と睡眠薬を取り出す。右手の人差し指を金属の輪っかにひっかけて力を入れて手前に引く。がなかなか開いてくれない。精気の無い男にはそのカップ酒を開ける気力さえ残っていなかった。三度目にしてようやく蓋に隙間ができ、それをこじ開けるように力を込める。思ったより力を込めすぎたせいか、蓋が開いたと同時に勢い余って中の液体が男の足元にこぼれた。そして漂ってきたのは鼻の奥を突き刺すようなツンとしたアルコールのニオイ。久しく嗅いでいなかったその不快なニオイに男の顔は歪む。
一口、それを口に含んで喉の奥へと流し込む。その液体は身体へ入ると、カッと熱を帯びる。喉元を通り過ぎ、胃袋へと流れ込むその感覚がハッキリとわかった。
濡れた足元を何も考えずにただぼんやりと眺める。
そして睡眠薬に手を伸ばし、錠剤を一錠ずつ取り出していく。男は取り出す作業をしながら物思いに耽る。
なんでもっと彼女に寄り添ってあげることが出来なかったのだろう…。今更後悔などしても遅いが自責の念にかられる。
すべて出し終えた錠剤を左手に乗せる。そのすべてを一気に口に放り込もうと思ったその時、前方に気配を感じた。
その気配のする方向をじっと見つめる。暗闇の中に人影らしきものをうっすらと確認できた。その影はこちらにどんどん近づいているようだった。足音からもそれがこちらに向かっていることがわかった。警察か?それとも近所の見回りのパトロールか?
男はとっさに左手をぎゅっと握りしめ、その手をポケットにしまい身構える。
「お兄さん、こんな時間にこんなところで何してるの?」
確かに人影の方向から聞こえた。だが、その声を聞いた途端に男の緊張は解け、身構えていた態勢から無意識に力が抜けていた。
暗闇から声の主が姿を現したとき、男は驚くでもなく、訝しげに思うのでもなく、自分でもよくわからない感情が押し寄せた。それは安堵にも似た不思議な気持ちだった。
声の主はさらに男に近づこうと歩みを止めない。
なぜこちらに近づいてくるのだ?普通だったら警戒して声すらかけてくるはずがないのに。その姿がはっきりと男の目に確認できた。
そこに立っていたのは、小学校低学年くらいの女の子だった。
そして男は冷静にこの状況を把握しようとする。こんな子がこんな時間に何をしている?親は一緒じゃないのか?そんな思いに逡巡しているとまた同じ声がその空間を振動させる。
「あ、お兄さんもしかして彼女に振られた?」
その問いが自分に向けて発せられていると気付くのに数秒の時間を要した。動揺し返答に困る。少し妙な間が生まれた。その隙間を取り繕うように男は、
「あ、う、うん。まあそんなとこだね。それより君こそこんな時間にどうしたの? お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」
「わたしひとりだよ。2人ともわたしを置いて出かけてて家に誰もいないの。だからこうやって夜のおさんぽを楽しんでるってわけ」
「こんな時間に一人で出歩いたりしたら危ないよ。早く家に帰った方がいい。ここのところ何かと物騒だし、変な人に連れ去られてしまうよ」
「お兄さんみたいな人に?」
「ほ?」
男は女の子のその突飛な発言に、自分でも分かるぐらい奇妙な声が出てしまった。
「冗談よ、冗談」
女の子は楽しそうにくつくつと肩を揺らし笑っている。
満足したのだろうか、女の子はまた男に詰め寄り質問を投げかける。
「お兄さん。その袋の中身は何が入ってるの? あ、もしかしてお菓子? いーなー、大人は自由にお金が使えて」
「あ、うーん、いや…」
言葉に詰まってしまう男。しかしこの子に本当のことを言えるはずもない。
自分はこれからここで死のうと考えていたなんて。
返答に困っていたが、よくよく考えればこれじゃ完璧にこの少女のペースじゃないか。何とかしてこのペースを崩して早く帰ってもらおう。そんなことを考えていたら、少女は急に何かを思いついたようだった。
「じゃあさ、勝負しようよ!」
「しょ、勝負?」
「そう! 私が勝ったら、そこに入っているお菓子ちょっとちょうだい!」
「もし負けたら? いや、そんなことより早く帰ったほ…」
「うーん、負けたらかぁ…。」
女の子は男の話を遮るように、腕組みをし考えるしぐさをする。
「そしたら…、私のとっておきの秘密を教えてあげる。あとわたしの一番大切にしているものもあげるわ」
「……。 やっぱり早く帰っ…」
「どう? やる?それともやる?もちろんやるよね?」
今のこの子には何を言っても無駄なようだ。
「よし、わかった。でも一回だけだからね? そしたらすぐ帰るんだよ?いいね? それでその勝負ってのは何をするんだい?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに自信満々な顔をして少女はポケットから、何かを取り出そうとする。
「今ね、学校で流行ってるんだ。わたしこう見えてもクラスでいちばんつよいんだよ」
と言って取り出したのは、カラフルで透き通った小さな丸いガラス片だった。キレイな輝きを放っていたそれはまるで、夜空に輝く星座のように思えた。
「おはじきかー。懐かしいな。」
少女の手にしているいくつかのおはじきを見て素直に思った。模様にはそれぞれ個性があって、色とりどりでとても鮮やかだ。
まるで水の流れの一部を一瞬切り取った様な、そんな模様をその透明なガラスの中に描いていた。
ふと男は遠い昔を思い出す。断片的でほとんど覚えてはいないが、あれはたぶん幼稚園に入る前の記憶だったと思う。
当時、近所に住む同い年の女の子とよく遊んでいた。
その子はいつもおはじきを持ち歩いていた。そのおはじきで遊んだことは一度もなかったが。女の子の顔さえ覚えていない、ただそれだけのふわっとした記憶だった。
そんな上の空で挑んだ勝負の結果…。
女の子は勝負に勝った嬉しさと、袋の中身の戦利品にありつける喜びに浸っていた。
あんなに感情むき出しにして喜んでいる、少女に本当のことを打ち明けるのは心苦しかった。しかし男は正直に、袋の中に入っていたのは酒と薬だと打ち明けた。
今までの歓喜が嘘だったかのように静まり返り彼女はガッカリと肩を落とした。
男は少女に申し訳ないことをしたなと思い、その場で何かできないか考えた。
公園の外に自動販売機が見えた。
「あ、じゃあそしたら今日はあそこの自販機でジュースを買ってあげるよ。それでいいかな?」
女の子はうつむいたままだった。
「わかった。そしたらお菓子はまた今度買って来てあげるから」
「ホントに!?!?」
え、今までうなだれていて、この世の終わりみたいに絶望していたのはどこの誰だったけか?
「そしたら今日はそこの自動販売機のジュースで勘弁してあげるわ」
少女は男の持っている袋をまじまじと見つめていた。ふと何の薬なのかを聞いてきた。
男は睡眠薬だということは隠した。ただの風邪薬だと。
なんだかさっきまで死のうとしていた自分がバカみたいに思えてきた。
こんな幼い子に気を遣って、振り回されて。
とりあえず今日はまっすぐ帰ることにしよう。
何気なく少女の様子を窺っていると、こちらを向きながらもじもじしていて何かを言いたげな態度だ。
「こ、こんどはいつ来てくれる?」
男は少女を見つめる。
「ほ、ほら、お菓子はやく欲しいし。約束しないとお兄さんすっぽかしそうだから」
少女はあからさまに恥ずかしさをごまかしてあたふたしている。実にわかりやすい子だ。
彼はフッと吹き出してしまった。
「な、なによ!」
今度は少女は少しムキになったようだ。
「ごめんごめん。そしたらまた明日来るよ。今度はちゃんとお菓子を持ってね」
男の顔には自然と笑みがこぼれていた。さっきまでの気分が嘘みたいだ。
「でも明日はもう少し早い時間にしようか」
「うん! 約束だよ! 絶対だよ!」
男は少女と指切りをした。これじゃ約束は反故にはできまい、そう思った。
なんだかこの感じが懐かしく、心地よかった。
少女を早く家に帰るように促し、その後ろ姿を見送った。そして男も公園をあとにした。
その日から、僕とその少女二人だけの、少し(・・)遅め(・・)の集会が始まった。
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