「国際色のない家庭で育っても、急に誰かがNY移住することもあるよ」ってはなし
今回は母の話を。
私の話をメインに書きますが、親の心情に注目いただければ幸いです。
我が家は別になんの国際的さもないただただ平凡な家庭。むしろどちらかと言えば古風で「今の時代はこうだから!」がなかなか伝わらないのが娘的には苦労してきた。笑
海外の「か」の字もないし、旅先でも白米と納豆と味噌汁しか食べない親のもとで私はさりげなく国際キャリアの興味を強めていった。
初めて海外に行きたいと意思表明をしたのは大学1年の時。カンボジアに行ってみたくてスタディツアーに参加した。親に話したら、大丈夫なの?!どんな国なの?!とテンパられた。ちゃんと説明して納得してもらいいよいよ渡航はするも、毎日ホテルから「本日も無事生存しております」のメールを義務付けられた。笑
大学時代は外国語学部に属していたし海外に行くのも勉強のうち!と自身を正当化させてバイトして貯めたお金を全額投資、主にヨーロッパとカナダを回った。初めこそ海外アレルギーがあった親も少しずつ慣れていったのだろう。
いよいよ青年海外協力隊を志し、その門を叩くとなった時、私は相談がてらその道を目指してる話をした。反対はされず、「受かるといいね」と言ってもらえた。
いよいよ合格通知。行き先はペルー。行ったこともない南米に2年娘が暮らすとなり、心配だっただろうが、父も母も合格を喜び送り出してくれた。姉から聞くと、実は心配でしかたなかったとか。それくらい我が家にとって誰かが海外に行って住むというのは大冒険であり大きな扉を開いたことだったらしい。
母は、私がペルーに行くと決まったその時から英語を勉強し始めた。娘にペルーで何かあった時英語も話せなければ駆けつけることもできないと、母なりに考え始めたことだった。海外の「か」の字もない家庭、ただただ毎日を大事に、家族を支え、とある楽器の先生として熱心に日本で頑張ってきた母にとっては、英語学習は新しい試みだった。
母の英語の勉強は私がペルーから緊急帰国した後も続いていた。いつの間にか、私も海外に行きたい、アメリカでチャレンジしたい、と言うようになった。実は母は私がまだペルーにいる頃、最初のひとり海外チャレンジとしてホノルルマラソンに1人で参加しにハワイにも行っていたのだった。
そして時がたち、母のドリームは次第に大きくなっていった。ある日、ニューヨークで母が専門とする楽器の先生を募集していることを知り、受けてみようかな、と一言。手始めに履歴書を書いて送ることにした。
書類選考が通り、第一次、第二次の面接も通過、なんと受かってしまったのだ。海外の「か」の字もない日々を送る母の報告は家族をどよめかせた。(そんなはずはない、と長い間疑われてた笑)
その後急いでビザを取り、宿泊先を決め、引継ぎをし、いよいよ渡航。海外旅行しか経験したことのない母はまさかのニューヨークで働き始めることになったのだった!
母は英語力で選ばれたわけでもなく、国際的なキャリアをこれまで歩んできたわけでもなかった。ただただ4人の子どもを育て、旦那のご飯をつくり、とある楽器を子どもたちに教える先生として日々を大事に生きてきた。
ニューヨークに住んでる!というとギラギラしたイメージを持つかもしれない。特別な人だけが行く場所と思うかもしれない。しかし実際はごく普通に日本で毎日を過ごしてきた女性が子どもが成人したあとでもその切符を手に行くことができる街でもある。むしろ母の場合は、日本で自分の武器(職種)を極めていったからこそ、そして子どもを育て日本の文化に精通していったからこそ掴めた切符だったのだろう。
我が家はグローバルな家でもなんでもない、どちらかと言えばかなり古風な考えをする家庭であるが、何かのきっかけで誰かが海外に住むこともあり得るのだと、私自身も感心した例だった。
大学生の頃はグローバルな家庭の子に生まれた人を羨み、海外長期留学に投資してもらえてる友人を羨み、まだまだ「ないものねだり」の思考が強かった私は、自分は海外に1ミリも興味のない家族の中で国際キャリアを歩みたがってるのかと悩んだりしたことも多かった。しかし協力隊を経ていろんな視野をもちかえりそんな娘をみた母さえもがアメリカでチャレンジを始めた姿をみて、環境は自分で変えられる、自分でつくっていけると感じた。
なんの自信もないただの普通な自分だったけど、そんな私をみた母が海外に羽ばたくきっかけの一部に自分の海外志向があった。自分の言動が誰かに影響を与えることがあるのだと感心した瞬間だった。
海外協力隊だけでなく、君のチャレンジを誰かが心配し、誰かが反対するかもしれない。けど同時に、誰かが見ていて影響を与えてるかもしれない。環境的に自分はその道を選ぶべきでないと悩むこともあるだろう。でも芯を持って一歩ずつ、信じた道を行ってほしい。前を向いてなにかチャレンジをしていきたい若者に向かって、がんばれと、私は背中を押したくてこれを書いた。
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