ペルーでの日々の記録

特別視されない喜び

任地197日目。金曜日。

今日は朝から環境課とミーティングをして今後観光名所を回ることになりました。州都ともコネクションを作る旨決まりました。ぱちぱち

そのあとはいろいろ事務手続きをして夕方ごろ配属先のプロジェクトの相談をするため環境課とミーティング。

雨季が始まる前に種を蒔いて、植林を進めるために学校に訪問して子供たちに働きかけるプロジェクト、名付けて「種まきプロジェクト(仮)」なのですが…

結論から言うと、ちょいキレました私…<(_ _)>

配属先全体でやっていくべきプロジェクトなのに私に押し付けられたので少し許せない側面がありました。。

まあ会社員時代もそういうことよくあって…

人って責任取りたくないんですよね。調子いいときだけ自分のものにするけど、面倒なものや先行き不明なのはとりあえず傍観するじゃないですか。

私あれあまり好きではなくて。今回がそうとは言わないのですが、そんな雰囲気がありました。

責任の所在をあいまいにすると後からトラブルが起きかねないので、それは会社員時代に「忖度」という言葉に紛れて嫌になるくらい学んだので、私は誰がそれを何のためにするのかをはっきりさせたい派です。ものごとにもよりますが(あいまいにしたほうがいいときもある)。

責任を押し付けられるとか、めんどくさいからお願いされるとか、そういうのはまだいいのですが、

結局「私の」プロジェクト色が強くなってしまうと配属先の主体性が出なくなってしまうなあと。
それがなによりも懸念なのです。

今回は補助かと思っていた私がどさくさに紛れて主役みたいにされたのでそれは困る旨、遠回しに伝えました。やれやれ・・・。

まあでもとりあえずそのあと少しフォローをもらって私がやることにはなるんだけれど、どうにかうまいこと配属先を巻き込めないかボチボチやっていこうと思います。


さてタイトルの話!

今日も民俗音楽のグループに参加してきました。私の担当はタンバリン♪

ここに来て、特別扱いしかされてこなくて、見方によってはうれしいかもしれないけれど、それが四六時中は疲れる。

女の子だから、かわいいから(全面的に否定)、日本人だから、外国人だから

そんな理由でいろんなところでいい意味でも悪い意味でもちやほやされる。

ちやほやは26年間無縁だったので嫌ではないのですが笑、それが毎日となると少し疲れます。

例えばフィエスタではただ座っていたいのに踊らされたり

セレモニーでは真ん中の狭い席に座らされたり

写真でもセンター

嫌だって言ったら配慮してくれる人もいるし嫌だが通じない人もいるし、どちらにしてもそもそもの特別扱いでへとへと…。

ただこの民俗音楽のグループにいるときはこの町の人と一体になっている気がする。特別扱いなんてされないし、音楽を奏でる一員。

これが、本当にうれしい。


特別視されるってことは自分とは「異」なるものとして認識されているということだけど

特別視されないということは自分とは「同」であるとして認識されている「仲間」として認識されている

そんな風に感じる。


だから特別視されないって本当にうれしくてただただ喜びだなあって思いました。

私も日本に帰ったら、長期で日本に暮らす留学生や外国人を特別視しすぎず、日本に住む住人としてただそこに共に存在する同士として接したいなーと思いましたとさ。

(前置きが長くなってしまい今回伝えたいメッセージがさらっと終わってしまったことに少し反省しつつ投稿。笑)

おしまい。

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