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普通の人になりたい

普通ってなんだろね?
という議論は置いておいて、

幼少期の私が一番求めていたことは
 普通になる
 集団に溶け込む
この二つだった。

自己評価では、私は変わり者ではなかったとは思っているけど、
集団の中に入るのが苦手だという自覚はあった。
何よりも、集団に溶け込む必要性を幼稚園児の私は全く理解していなかった。
その当時の私は(今も)「早く家に帰って、一人で本を読んだり、ごろごろしたいなー」というのが一番の楽しみで、幼稚園が苦痛という訳ではないんだけど、家の方が断然好きだった。

幼稚園でも、ぼーーっと園庭を眺めたり、作らなきゃいけない工作物を一切作らなかったり、人の輪の中に入ることをしようとはしなかった。
それで困ることはかったし、人に話しかけたりするのは苦手だから。
家では快活な子供だったので、いわゆる内弁慶ってやつだ。

そんな中、ちょっとした事件があって
親にこっぴどく怒られて
幼い私は、集団に入っていく決意をし、
そこから
人間観察【皆どうやって、コミュニケーションとってるの?】
で、人真似をして、愛想がいい自分を作り上げ、それっぽく出来るようになってきた。

その中で気をつけたのが、ルールを守るってこと。
要は、人と違う行動をしているとダメなんだなと言うことをかんじ、とにかく目立たぬよう、目立たぬようという訳で、ルールの遵守。
校則とか、約束とか。
私は、反骨精神が不思議でしょうがなかった。
おとなしくしてれば、いいのになぁって。
つまり、いい子でいれば、大人からはほとんど干渉されず、いい意味で放置され、実は、自由でいられることに気づいたのだ。
あざといってやつですね。
私が、集団行動ができなかったのは、世の中のルールを知らなかったから。
幸運なことに、私個人の資質としてルールに従うことは全く問題なかった。

普通に、目立たぬように、、それが私自身のモットー。
中立であり、人の好き嫌いもしないこと、それがマイルール。
博愛みたいな?
今思えば、「博愛」を心がける小学生というのも、変わってる。
さらに、小学生の時は、勉強もできてしまったので、同級生から尊敬こそされたけど、仲のいい友達はできなかった。
いじめられなかったけど、いじめの仲間にも入れなかった。

私は、ちょっと疲れていた。
すごく苦しいわけではなかったけど、どこかで無理をしていたんだろう。
中学は私立に入ることになり、学力面では横並び、ちょっと力が抜けた。
「友達」もできた。

進学校だったので、大学にも進み、そして就職。

順風満帆?

いや、そこで始めて、どうしたらいいのかわからなくなった。

普通に考えたら、次は、結婚、出産、子育てとなるのかもしれない。
でも、それは嫌だなー、と思ううちに、周りの友人は、結婚、出産、子育てへと進み、よくある話だけど、そのレールに乗れなかった私は、挫折感、迷子感にさいなまれることになる。

続く



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