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人間関係ってやっぱり難しい

 人間関係ってやっぱり難しいよなぁと思う今日この頃である。

 まず、長く付き合って来たお友だちを失ってしまった。年上の女性で、自分の母親のように慕っていた人だ。
 私たちは二人とも、客観的に見てそれが正しいかどうかは別として、自分を不幸だと思って生きていた。二人で美味しいものを食べながら、色々と愚痴を言い合って、笑い合って過ごして来た。
 最近私の双極性障害の治療が上手く行き始めて、ここ4ヶ月ほど調子が良く、人生で初めて穏やかな幸せを感じて暮らしている、と彼女に伝えたところ、彼女にこんな説教をされた。

「お金持ちの家に生まれて、食べることに困ったこともなくて、大学も大学院も親のお金で出させてもらって、何の不満があるの?子どものことを第一に考える親ではなかったかも知れないけど、もっと酷い親なんかいくらでもいるのに、その程度で親に恵まれなかったみたいな顔しているのって失礼だし、感謝が足りない。
20代30代も辛かったって言うけど、ずっと楽しそうにしていたじゃない。外国に遊びに行ったりして。自分の周りにいてくれた人を否定しているよね。感謝がないから辛いとか言えるんだよね。
双極性障害って言うけど、双極性障害なんて大した病気じゃないし、その上すごく軽くて、社会生活も普通に出来てるじゃないの。誰の人生だって辛いのに、自分だけ辛かったみたいに言って。
人生の辛さや、自分の失敗したこと全部病気のせいに出来てむしろラッキーなんじゃない?」

 聞いていてとても辛かった。はっきりと分かったのは彼女と私の共通項は「不幸であること」で、そこから抜けてしまうとお友だちではいられない、ということだ。それを今まで見抜けなかったのは私の観察眼のなさの為せる技なのだろうか。
 親からの愛情が感じられず、親のことを好きだと思ったこともなく、容姿も性格も能力も否定されて育って愛着障害を大人になっても拗らせ、ADHDで学校生活に馴染むことが出来ず、断続的にいじめを受け、本来楽しいことがたくさんあるであろう大学、大学院時代に双極性障害を発症し、社会人になってもずっと職場でいじめを受けて来た私は、お金持ちの家に生まれた苦労を知らないお嬢さんだから、辛いなんて言う権利はないんだろうか。それとも私には不幸がお似合いだから、今が幸せなんて言うのは許されないのだろうか。もう考えても仕方がないけど、彼女は私の何をどう見て来たんだろう、と思ってしまう。

 もう一つはハラスメントである。
 私は自分以外は全員60代の男性という部署で働いている。いつも愛想良く接しているつもりだ。おじいさんたちの親父ギャグに笑い、どうでもいい愚痴に耳を傾け、昔の武勇伝に感心して見せ、主に娘さんたちについての自慢話にもならないような話(うちの娘は歯が強くて歯医者へ行かせたことがないんだよ~など)を笑顔で聞いている。別に全部演技でやっているワケでもないが、まぁ演技力を要する場面もたくさんある、とは言っておこう。
 それなのに、他の部署の若い男性と話していると「若いのと話していると楽しそうだなぁ」と言われたり「お、あいつ来たぞ、また話せるぞー」とか言われたりする。また、「あっちのおじいさんと俺とどっちが良いと思っているのか」と聞かれたり(おじいさんからね)、「おじさん嫌いだから俺たちには冷たいね」と嫌味を言われたりもする。今は部署が離れてしまったが、前に同じ部署で働いていて、私のことをいじめから守り、病気のサポートをしてくれた、私が王子と慕う男性がいるのだが、その彼については「あいつなんかこんなダメなトコあって。全然だから」とかわざわざ言って来たりする。私にとってはその全てがハラスメントである。管理職の目の前でそんなことが起こることもあるが、注意はしてくれない。
 私は躁状態でブチキレている時以外は全く胆力のないヘタレなので、怒っても誰も聞いちゃいないし、他の部署の女子社員に相談しても「愛されキャラだよねー」くらいのテンションだ。誰の顔にも書いてある。病気で配慮してもらっていつも甘やかされているんだからそれくらいは我慢しろ、と。
 私だっていちいちそんなことでキレたくないし、竹のようにしなやかに対応したいのだが、どうしたら知的にしなやかにそして可愛げのある対応が出来るのか分からない。そんなハンサムウーマンには生まれついていないのである。
 
 月曜日には気持ち、切り替わっているのかな。
 
 


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