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母の拠り所の解散

んー、のちにはね推しグループもあるやもしれないとも覚悟したい、いや覚悟したくない、ずっと見てたい。
あ、
今日は推しのことでなく、リアルなお話。

私は2000年代はじめに出産し、
子供が発語がなかなか出ず、
そして癇癪を起こすようになり、
私の対応悪かったかと責め
後に発達の遅れをいわれ、、
対策などに奔走していたら、(自らいかないと、道が開かないから)
メンタルをやられ。こんな世界にようこそーととも、楽しむ余裕はまったくなし。
悲観的になりすぎてました、

そんな中、動けるようになってから、
いろんな当事者、親の会などがあり。
まだ先もわからない中で、家族内でも格闘したりで、たまたま代表の方とお会いし誘われて、
出会った地元の親の会。

ママパパ同士、合うか合わないかもあるけど、
特別支援学校か支援学級か通常級か、
手帳があるかないか、でも、
悩みも、さまざま。時折似た境遇でも隣の芝生は青く羨んだりもあったな。

価値観などが違う中ですが、
いろんな情報をえて、勉強したりした。

共通なのは当時ひろがってきた
ネット検索にも、あまりなく、
情報がほしいことと、
就学をどう選ぶのか実体験話が聞きたい、
自分や子供が、普通の教育を受けるだけでよかった人らにはわからない、
複雑な葛藤、
行政の違い、特別扱いはできない、ついていけない場合、あっちへとわけられる、

先生方の意識の差の云々を
目の当たりにして、
何度も折れそうになったが、
そこにいくと、自分だけではないんだと思えた、
救われた親の会。

今では、様々な療法や、ネットで調べたり、LINE、ネット掲示板などでも得られる?ことが多くなり、
集まることのニーズが減り、
また平日集まれる人も減りで、
前よりは手が離れて仕事を始めたり、
子供も高校を卒業したり就職進学したり、
そして親の介護やらとなったため、

トータル18年続いた会は
3月にてひとまず終えることとなった。

でもね、子供が小さい時も必要だけど、
学童期から青年期すぎたら、
だんだんと支援がなくなるときこそ、
まだ必要だと思うのよ、

親はいつまでいられるかわかんないし、
我が子が高校生あたりから、
当人が診察や支援を拒否したり、
のときに
介入できたら、また違うだろうことも、
繋がれなくなっているから。

わかってても、放置してる人もいるでしょうが、
いまだに悩みはつきず。
もちろん生きてる事が1番ではあるけど、
周りに言えず、
しんどく、抱え込んでる人がまだいるはず。

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