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川島聡ほか「合理的配慮 対話を開く 対話が拓く」

何をやってもすごい人っています。どんな分野であっても、それが本人の一番得意なことみたいにうまくやり、周りの人からもとても評価されます。ぶっちゃけその人が全部やった方が早くて質が良いんじゃないか、みたいな感じです。でも時間は万人に平等に与えられているため、いくら並外れた能力の持ち主であっても、全ての仕事をその人が担うというのは現実的に不可能です。だから、仕方なく、他の人と分担しながらやっている、という風に見えていたりします。

でも、これは本当は違うんじゃないかと考えています。他の人が得意なことは他の人にやってもらい、すごい人はその人が一番得意なことをやってもらうのがうまくいく、というのが現実だと思います。

学生時代に「リカードの比較生産費説」というのを学びました。
A国は鉄の生産も絹織物の生産も技術が高く、低コストで生産可能です。B国はいずれの生産技術もA国に劣りますが、B国の中では、絹織物の方が低コストでできる、だとしたら、AとBは自由貿易を行い、A国は、B国から絹織物を購入して、その分を鉄の生産に充てて、B国に販売した方が、結果として効率がよい、というものです。
これは国と国の間の話なのですが、人と人の間にも応用できるのではないかとぼんやり考えていました。つまり、職場における事務分担です。部下と一緒に仕事をするようになって、特にそういうことを考えるようになりました。誰に何をやってもらうのか。ただ組織として持続可能にするとか、それぞれの成長を考えるとかも必要なので、単純に、それぞれが得意なことを充てる、ということだけにできないのが現実なのですが。

突き詰めていけば、障がい者雇用も、リカードの比較生産費説と同じ観点での価値があるのではないかなと考えていました。
ここでは障がい者という言葉をざっくりと使ってしまいますが、障がい者が能力が低いと考えているわけではありません。仕事において、何らかの課題を抱えていて通常の条件下では能力を出し切れなくて、結果としてアウトプットが他の人よりも劣ってしまっている状況にある人と考えます。それであっても、やっぱりその人の得意なことを分担してもらった方が、全体として、よいアウトプットができるのではないか、ということです。
障がい者雇用というのは、法律で義務付けられているからやる、というだけではない気がします。簡単ではないとは思いますが、これだけ労働力不足といわれている中、障がい者にもできること、得意なことをやってもらい、そこでその分浮いた労働コストを違うところに充てる、という考え方を持つのが大切なのではないかと思います。
障がい者雇用、リカード比較生産費説で検索してみると、様々な方が関連付けで考えていたので、私も思うことを言ってみました(これに関しては今後もう少し考えていきたいと思います)。

そして、この時に必要になるのが、「合理的配慮」の考え方だと思います。本の中で、次のように説明されています。

合理的配慮とはあくまでも「個々のニーズ」に応じた「社会的障壁の除去」、つまり具体的な障がい者が特定の場合に個別的に経験する障壁を除去することである。

障がい者に今まで他の人がやっていたのと同じようにやってください、といっても、難しいです。車椅子ユーザーならアクセスできる状況を、耳が聞こえないなら筆談でコミュニケーションし、電話が必要な場合は他の人が変わる、精神障がいなら通院時間を確保したり、負担にならないような働き方を考える、知的障がいなら、シンプルで分かりやすい仕事をやってもらい、指導員と一緒に仕事をしてもらうなど。
例として、どんな対応が必要か、ということを書いてみましたが、仕事をしてもらうために必要となることは、この障害ならこれ、と決まっているわけではなく、その仕事の内容、個々人の障害の程度や、それまでの経歴、現状によって変わってきます。

一方で、例えば聴覚障がい者に仕事をしてもらうために、手話通訳者を一人雇うというのは会社にとっても負担が大きいと思います。小さな会社でエレベーターがなかったのを、車いすユーザーを採用したので、建物を改修するというのも厳しいと思います。筆談やチャットでコミュニケーションをとるとか、1階で仕事が完結するように考える、などの方法があると思います。どこまで必要なのか、両者の合意が得られればよいのですが、難しいこともあるのかもしれません。

もう一つ、本の中で議論されていたのは、どこまでを合理的配慮の対象とするか、ということでした。例えば、顔に大きな痣があり、人目が気になるので、できるだけ人に会わないですむ部署に配置してもらいたい、という希望は、合理的配慮が必要なのでしょうか。
そこはまだ、明確に結論は出ていないのですが、合理的配慮の対象を広げれば広げるほど、誰もが働きやすい職場になるのではないかと思います。一見合理的配慮を限定的に考えた方が効率的なようにも感じますが、もし範囲を広げることでそこで働く人のパフォーマンスが上がったとしたら、結果的にはその方が効率的になるかもしれない、と考えたりもしました。

障がい者雇用といえば、以前、先輩から教えてもらった話があります。
クリーニング屋で自閉症の人が働いていました。配達先はバーコードで管理していましたが、ある時停電で、読み取る機械が使えなくなってしまいました。従業員たちは途方に暮れていたら、自閉症の人がバーコードの形と配達先を全て記憶していたのです。

本の中では、障がい者雇用のメリットとして、職場の中に多様性が生まれること、多様な働き方に対する企業の柔軟な受け入れ姿勢を示す社会的なメッセージになる、また、障がい者の労働市場への参入により、社会保障費の負担減につながる可能性を挙げています。
合理的配慮はもちろん考え方としては、対象者の個々人に合わせた対応が必要になりますが、障がい者雇用に取り組む企業が増えることで、少しずつ合理的配慮のノウハウというか知見というかが積み重ねられるのではないかと思います。そうすれば、徐々に合理的配慮の負担が低くなっていくのではないかと想像したりもします。

実はこの本のタイトルには障がい者という言葉が入ってなくて、そこは、合理的配慮の対象をどこまで広げるか、という議論が用意されていたからこそなのだと思います。多くの人が、自分は合理的配慮をしなければいけない側、損をする側、と思いがちですが、いつ配慮をされる側になるとも限らないと思います。というか、そこに境界線のない、周りの人を互いに思いやるような社会になればよいなと思います。私もできることを考えてみたいです。


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