見出し画像

鈴木美央「マーケットでまちを変える 人が集まる公共空間のつくり方」

まちづくりにおける「マーケット」って、鍼治療みたいなものなんじゃないか。元気のないまちにマーケットができると、人の流れが変わり、交流が生まれる。コミュニティができて、出店者どうしのつながりもできて、コラボビジネスが生まれたりする。マーケットが立つ場所以外にも波及効果が生まれ、まち全体が変わるというのだ。
夫の仕事の関係で少しばかりフランスに住んでいたことがあった。普段の買い物はスーパーだった。野菜はパック詰めされたものは少しあったけれど、基本的には図り売り。袋に欲しい分だけ詰めたら、秤のところに行き、野菜を載せた後にパネルから該当する野菜を選ぶ。すると、グラム当たりの価格に野菜の重さがかけられた料金と品目とバーコードが印刷されたシールが出てきて、それを袋に貼り付ける。レジに持っていき、他のパック詰めや個包装の商品とともにバーコードを読み取ってもらい、総額を支払うという仕組みだ。最初はちょっと面倒だなと思ったけれど、買いたい量が買えるこの仕組みはとてもいいと思った。
おそらくこれはマルシェで購入する習慣があるからなのだと思う。フランス語に少し慣れてから、何度かマルシェに出かけたこともあったけれど、ハムを買う時には、厚めか薄めか、何枚かをリクエストする。とかチーズは大きな丸いものを切り分けてもらう。あともう少し増やして、あともう少し減らして、とチーズ屋さんのナイフが切り分ける角度を見ながらリクエストする。
体験という程度だったけれど、半分に切ったバゲット(フランスパン)を片手にしながらハムを1枚だけ購入しようとしたときには、「サンドイッチにしようか」と言われて、驚いた。「お願いします」と言ってパンを渡すと、パンに切り込みを入れ、薄く切ったハムを挟んでくれた。初めて行ったところだったけれど、こういうことがあると、面白くなるのだろうなと考えた。マルシェだけでなくても、街中にもパン屋や肉屋があり、やりとりして購入する風習が当たり前にあった。
日本だって昔は商店街があって、おススメの商品を聞いたり、どれが一番いいか選んでもらったりしたわけだ。野菜や果物は八百屋で、肉は肉屋で、魚は魚屋で購入する。けれど今はスーパーで購入する。まとめて買えるから楽だけれど、そういうやりとりはできない。もう私の子供時代でさえ、すでにスーパーが普及していたから、特にそういうことに郷愁を感じたりするわけではないけれど、どこのポイントカードがお得とか、どこがどの商品の品そろえが良いとか、そういう観点でスーパーを選ぶ生活は、引っ越さなければいけない時に、近所のスーパーを気に入るだろうか、と心配したりすることがないのは良いのかもしれない。逆に言えば、まちとのつながりを希薄にしたのもそういうことなのだろう。
「まちづくり」っていうのに、少し関わっているからかもしれないけれど、ナショナルチェーンのお店で買うことはつまらないし、外食するなら個人のお店に入りたいと思う。そこでしか食べられない体験ができるし、場合によっては、そこのお店の人との短いやりとりも、思い出になるかもしれないからだ。
まちの中のマーケットは、ずっとそこにあるわけじゃない。けれど、時々マーケットが立つと、そこに人が集まり、人と人、店と人との交流が生まれる。何かを買う人、見るだけの人が、そこに滞留して時間を過ごすことで、人の流れが変わる。それがマーケットが立った日だけの話ではないというから、すごいことだと思う。
だから、治療院に行って、鍼を打つのは限られた時間だけれど、それからじんわり効果がある鍼治療と似ているような気がしたのだ。マーケットが立つのは月に1回だとしても、そこを通る人が、次の時はいつだったっけ、また行こう、と思うことには意味があるのだと思う。
本には、様々な地域のマーケットが取り上げられ、それぞれがまちに対してどのような効果を生み出しているか、ということについて15の効果とそれを引き出すアクションを挙げて説明している。章末に入っているまちづくりの専門家のインタビューもとても興味深い。ハートビートプランの園田聡氏は「都市へのコミットメントを育む場」ということを言っていて、なるほどとうなずける。
最後の章では、あなたもできるDIYマーケットとして、準備から当日まで、どのようなことをやらなければいけないかについて書いている。まず最初に取り組まなければいけないのは、目的とコンセプトを考えることだという。まちを変えられるマーケットは、ただ売れればいいというわけではないのだ。目的とコンセプトがあるからこそ、そこを訪れた人の気持ちを動かして、まちを変えることになるのだと思った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?