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西川正著「あそびの生まれる場所 『お客様時代』の公共マネジメント」

著者はコミュニティワーカーで、NPO法人ハンズオン埼玉理事をしている。コミュニティワーカーをネットで検索すると、地域援助をする役割というようなことが出てくるけれど、著者は、「コミュニティワークとは、「私はこの場の当事者」という意識をつくり出すことという表現をしている。この本の中では、具体的にそれをどのようにやっていけばよいのかについて語られている。西川氏がこれまで試みてきたことからの気付きと様々な団体との関りで得られたことから、じわじわとあぶり出されていく感じで、西川氏の追体験をしているような気分になる。
NPO法人ハンズオン埼玉では、「おとうさんのヤキイモタイムキャンペーン」を実施してきた。ルールはとてもシンプル。1つ目は地域の父親に呼びかけするか、父親自身が企画すること、2つ目は、地域の方が誰でもオープンに参加可能ということだけ。主催は保育園の保護者会や小学校のPTA、おやじの会、NPOなどが行うことが多く、毎年100カ所以上で開催されている。現場に行ってみると、いいヤキイモタイムと感じられることと、そうでないと感じられることがあるという。いいヤキイモタイムは、企画の段階から参加者が関わっている、必要なものはもちより、みんなが作業に関わるということがそろっている。逆にそうでないと感じるのは、公共施設などで主催されており、企画も準備も作業も全て職員がやるというケースだという。失敗したら、次成功させればよい。雨が降ってきたら、急いでみんなで片づけて、より一体感が生まれる。
社会が変化して、色んなことがサービス産業化してきた。行政においても住民はお客様という考え方が浸透している。一方で、それをうまく機能させるために制度化してきた。例として介護保険制度を挙げている。責任を明確化し、どこまでは責任を持てるかどうかという判断基準になる。となると、街中で焚火をするのはどうかという議論になった時、何かあったら困るので、禁止する、という流れになってしまう。「あそび=(ひま、隙間、間柄)」が消滅し、色んなことが禁止されて遊べない社会に変わってきている。
サービス産業においては、大事なのはサービスの提供側と受け手側の関係のみで、受け手側同志がつながるということは望まれていない。そうなると、お互いが相手を知らないことになる。これが地域で起こっている。だから隣の家で焚火をしていて煙が出てきたら、隣の家の人に声をかけるのではなく、役所に電話して、迷惑だからやめさせてほしいということになる。そして役所は、焚火を禁止する。
ではどうすればいいのか、ということが、いいヤキイモタイムの条件の中にヒントがかくされている。つまり、参加者にどうかかわらせるかということ。ハンズオン埼玉が目指してきたことは、人の柄と知り合うこと、ともに食べることの意味、「苦情」参加への不安と受け止めること。
組織や公共施設が「私のだいじな場所」になるための運営は、①ひとり一人の思いが出し合える、②円卓のテーブルにつく、③みんなで「持ち寄る」文化だという。こういう組織が「私はこの場の当事者」という思いにつながってくる。

たくさんのヒントがもらえた本だった。誰かの行動を変えることは、とても難しい。参加者を当事者に変える言葉の一つとして、「どなたかお手伝いいただけませんか?」が挙げられている。そう声をかけると、さっと動いてくれる人が出てくる。それは、助けを求めつつも、相手に委ねている。動く人は自分の意思で当事者になる。

選挙の投票率が低い、住民が行政に関心を持たない、と言われている。住民参加という取り組みをずっと行ってきたけれど、どこか、参加している住民との関係も、サービス産業的に個別であって、そこに住民同士の横のつながりが生まれていなかったのではないかと思われてならない。この辺りにヒントが隠されているのかもしれない。

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