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渡邉 格「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」

元保育所を改装して作ったパン屋「タルマーリー」は、以前から聞いたことがあった。リノベーションの事例として取り上げられていて、それだけではなく、地域内循環を目指して地元の農産物を使っているこだわりのところもあわせて紹介されていて、とても気になっていた。
タルマーリーのできた経緯や考え方について語られる本なのかなと想像していたけれど、どちらかといえば、著者がタルマーリーのパンにたどり着くまでの素敵な物語のような感じだった。最初は、怪しげな食品会社に就職してしまった顛末から始まる。納得できないことが起こり、そのことについて意見すると、総スカンに合い、誰も口をきいてくれなくなる。ストレスが身体にも表れる。しばらく耐えていたものの、会ったこともない36歳で亡くなった祖父が枕元に立って言った言葉「パン屋になりなさい」をきっかけに、心が軽くなり、出直しを決める。
パン屋修行もまた順調だったわけではなくて、夜明け前から働いて夕方まで座って食事することも許されず働かされるようなブラック経験もした。しかし、そんな中で少しずつ、自分がどんなパン屋になりたいかが見えてくる。扱いやすいように人間に都合よく整えられたイースト菌じゃなくて、天然菌を使いたいと考えた。パン屋を開業してからも、色んなめぐり逢いがあり、そしてたどり着いたのは、こだわりぬいて作った天然麹菌。酒造の友人に採取方法と育て方を聞きながら、育てて、半年かかってできるようになった。その麹を使って酒種パン作りに取り組む。ところが使ってみるとうまくパンが膨らまない。原因は酒種を作る時の米にあった。見た目は同じように見えても、その中にどれだけの力が宿っているかは、それがどう作られたかによって、そんなにも違うものなのだということに驚かされた。
私たちは毎日食事をする。加工品に何が入っているか、いちいち考えたりしない。野菜や肉がどのように作られているか、意識しない。なんとなく、お買い得と思われる方を選ぶ。けれど、その毎日の選択が、気付きにくいのだけれど、自分の身体の中にどんな風に取り込まれて違いとなって表れるのかと考えると、少しだけ怖くなる。
今この日本が成り立っているのは、イースト菌みたいなものがいろんなところに効いているからというのは間違いない。急に毎日こだわりのパン、こだわりの米を食べ始めたら、貯金もできなくなりそうだし、仮に日本中の全員がそれを始めたら、供給不足になってしまう。でも逆に言えば、それだけ今の社会が、便利なものが強くて、不便で手がかかるものが敬遠される世の中になっているということなのだと思う。そして気づけば自分自身も便利なものを求められる社会に巻き込まれ、同質均一に育てられ、便利に酷使されていく。そんな気さえしてしまう。
今のタルマーリーができるまでの物語はとても丁寧に書かれていて、話が前後することもあるけれど、そこは敢えて、読み手がすんなりと受け入れるように、考えられているのだろうなあと思う。自分たちのやりたいことを丁寧に考え、丁寧に人に説明してきた積み重ねが、この本という形になっているような感じがした。
最後の方で著者は、「おカネは未来を選ぶ投票権」という言葉を出している。

おカネには、未来を選ぶ投票権としての力がある。何年かに一度の選挙の一票よりも、毎日使うおカネのほうが、よほど現実を動かす大きな力をもっている。

なぜ便利なものばかりが売れ、安くなり、丁寧に作られたものが手の届きにくい価格に感じられてしまうのか。それは私たちが何を選ぶかについて考えてこなかったからということになるのだと思う。
別に便利なものが悪いわけではない。著者もこの現状について批判しているわけではない。そのおかげで生活できている人がたくさんいるし、私自身もお手頃価格の食料品がたくさんあるから違う楽しみに投資することができていると理解している。でもそれを選んですることと、無意識にやっていることの間には大きな違いがあると思う。あらためておカネの使い方を考えてみたいと思った。
まずは、タルマーリーのパンをよく噛んで、しっかりと味わってみたい。きっとこの本を読んで、温かい気持ちになったのと同じように、言葉で語られるだけでは理解できなかった何かを受け止められるような気がする。

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