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木村晴美「ろう通訳ってなに? 新しい手話通訳のかたち」

手話って世界共通なの?
私が手話を少し話せることを知ると、そんな質問をしてくる人がいます。手話は世界共通ではありません。
そして、音声言語を手指言語に記号化したものでもありません。
1つの言語であり、独自の文法を持っています。

といっても、私も学び始めるまでは同じように考えていました。職場にろう者がいたので、彼女に筆談で手話について、日本語の文法との違いについて、聞いていました。
そんな時に、手話だとどうなの?と尋ねるとすぐに答えが出てくるのに、日本語だとこうだよね?と訊くととても考えている様子でした。不思議に思って、
「もしかして、手話で考えているの?」
と訊いてみたところ、
「当たり前だよ」
と驚いたように返してきました。

その時のことは、とても衝撃で、忘れられません。手話で考えるってどういうこと、頭の中で手が動いているのが見えるのか、とか全くよく分かりませんでした。

でも今ではなんとなく分かります。
手話で言い表すとこれなんだけど、日本語にはない表現というのがあって、そういう時は、実際には手は動かさないのだけれど、手を動かしたくなるようなそんな感じがするのです。
まるで、声を出さずに頭の中で言葉をいうときみたいに。それも聞こえているわけではない。
それが、手話で考えるということなんだろうな、と思います。

この本は、手話通訳の始まりから、現代までの過程を説明した上で、ろう通訳の必要性について説いています。
これまで一般的に手話通訳といえば、聴者が担うものでした。けれど、英語と日本語の通訳だって、母語が英語の人、日本語の人両方がいます。
でも今のところ、手話通訳者の資格を取れるのは、聴者だけ。
ろう者でも書記日本語から訳すことができるし、聴者による手話を、より分かりやすい形で、ろう者に伝えるということができます。
例えば、高齢のろう者などは学校に行っていなくて、書記日本語が分からない方もいます。つまり、日本語があまり分からないのです。そうすると、聴者の手話は日本語に引きずられることも多く、分かりにくくなってしまいます。
こういった時の他、医療通訳や法廷での通訳など、本当に深い話をしなければいけない時には、文化的なことまでしっかりと分かるろう通訳が必要だとこの本では説いています。

私は手話通訳ではありませんが、一度だけ、高齢のろう者のお手伝いで携帯電話の会社に同行したことがあります。その時は、彼女より少し若いろう者も一緒に行ってくれました。
つまり、そのろう者がろう通訳をやってくれたのです。
私は店員の話す言葉を訳しますが、どうしても日本語に引きずられてしまいます。ろう通訳がいなければ、高齢のろう者に伝えることができなかったと思います。またろう者の手話も私は読み取れなくて、ろう通訳の助けがあって、どうにかコミュニケーションをとることができました。
これくらいの現場であれば、ちゃんとしたプロの通訳は、ろう通訳がいなくてもこなせるのでしょうけれど、ろう通訳の必要性、という意味ではなんとなく分かったような気がしました。
このときの私みたいなことを、アドホック通訳(そのときのためだけの通訳)というのだ、ということも、本の中で知りました。

第4章では、海外で実際にろう通訳として活躍されている方や、一緒に活動されている方のインタビューがまとめられています。
その中で、ろう通訳の存在によって、コミュニケーションがスムーズになった事例などがたくさん紹介されていました。

日本でも早く資格化が進められればいいなと思います。既に養成は開始されているそうで、あとは、試験で対応できるようにすればよいとのことです。一般的な試験の場合、聴者しか受けられないのは合理的配慮の点で課題があることになりますが、この場合は、音声による日本語コミュニケーションを手話に変えるという定義からもっと広げていかなければいけないのかな、と想像しています。
資格化が実現した際には、地域でもろう通訳に活躍してもらえるように、考えていきたいなと思います。

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