見出し画像

映画「楽園のつくりかた」(藤原淳監督)

クラファンの最終日、私はこの映画の制作を応援することに決めました。基本、地域の取り組みを応援することに決めていたからなのですが、でもこれは参加したいと考えたからです。そして先日、完成披露試写会に参加させてもらいました。
でもこういう映画になると思っていなかったので、正直なところ、驚いてしまいました。

「楽園のつくりかた」は島根県邑南町で産業振興に取り組み、磨きをかけた商品をA級グルメと冠して世に広めた寺本英仁氏とその仲間たちの奮闘、そして、寺本氏が町役場を退職した後の様子について、描いています。その点は、クラウドファンディングのページに示されていた通りですし、完成した映画の中でも、確かに描かれていました。

ところが、映画の中では、最初の方から、突如として町がA級グルメという文言を使わない、という発表をしたことが紹介されます。
そして、監督が担当課長に質問を繰り返し、はっきりとしたことを言えない様子で答える映像が続きます。
効果が一部の人にしか波及しなかった施策であるため、その方向転換をしたこと、それを理解してもらうために、A級グルメという文言を使わないのだ、と言います。けれど一方で、A級グルメという文言を使わないと急に決められたことに困惑する町民もいることについては、認識してないという態度をとっています。
監督は、本当にそうなのだろうか、と思いながら、A級グルメの商品を作ってきた生産者たちを丁寧に取材していきます。

町の「A級グルメという文言は使わない」という発表はニュースで知っていたので、映画はどんな風になるのだろうと思ったりしましたが、こんな風に行政の体質を追究する形になるとは想像していませんでした。
私はこの映画を見ながら、産業振興の効果って何だろうか、と考えました。

税金を投入するなら、そのお金がどうやって地域の中で使われていくか、ということを意識しなければいけません。
高校生の時に、財政支出の乗数効果、というものを学びました。このなんか、支出したお金以上の効果があって、どんどん波及していくというのが胡散臭くも感じつつ、衝撃を受けました。
もちろん、どのような形で支出するのか、ということは大切になります。
同じお金を支出するにしても、地域の事業者に支払い、業務に必要な支出も地域内で賄ったり、また、雇用が生まれその給料を地域で使えば、地域での購入が増え、経済が潤うことになります。こういう循環を域内経済循環というのですが、こうして域内で購入できるものが多ければ、乗数が大きくなります。すると財政によって地域が潤う効果が大きくなります。

産業振興の場合、この単に財政を支出するということだけでなく、乗数が大きくなるような流れも意識する必要があると思います。循環の弱い部分を補うような仕組みを作るとか、波及効果の大きなところにお金を投入するといった方法があるのかなと思います。
これを図る手法が、経済効果、と呼ばれるものなのだと思います。

でも、産業効果が狙うべきは、単にそれだけではないと思います。

3人のレンガ職人の話というのを聞いたことがあります。
旅人がレンガを積んでいる3人の男を見つけ、何の仕事をしているか、と尋ねると、1人目はレンガ積み、2人目は壁を作っている、3人目は歴史に残る大聖堂を作っていると答えます。

これは目的意識を持たせることで、仕事へのモチベーションが変わるという例で出されていた話なのですが、まちづくりでも同じではないかなと思います。A級グルメという取り組みが、自分とどんな風に関わっているか、意識することができたら、効果が分かりにくい、と言われにくかったのかな、と思います。

誰しも、まちの中に食べるところが増えた、とか、おしゃれなレストランができたとか、他県ナンバーの車が増えたとか少なからず感じていたと思います。
それでも、効果がない、と言ってしまうのは、自分には関係ないと思ってしまうからです。
自分に関係あると思えるかどうかは、関心が高いか低いか、にも左右されると思います。最初から見ようとしない人もいるだろうし、気付いていても面白くなくて関わろうとしたいということもあるかもしれません。

何%の人が関心を持てば、効果があったという認識がされるのか、とかそういう問題ではないのかもしれません。でもあと少し関心を持っている人が多かったら、そもそもこんな話が起きなかったのではないか、と少し想像してしまいました。

私だったらどうしただろうか、と考えてみました。市の職員は異動があります。着地したところで、今までの取り組みを全否定するような雰囲気がただよっていて、個人的には評価している内容でも、評価してはいけないような状況になっていたら。
私なら、ギリギリまで周りを説得してみると思います。
それでも雰囲気を変えることができなかったら……想像するだけでもとても辛い気持ちになります。

試写会のあと、寺本氏を囲んだ懇親会に参加させていただく機会もありました。寺本氏以外にも映画にも登場した人物もいらっしゃって、「あの場面で、あいさつしていた方ですか?」みたいな話もできたりしました。

映画を見終わった後、なんか希望が湧いてくる感じじゃなくて、少しだけ残念だったのですが、でも、違うのかもしれない、と後から思いました。

ハッピーエンドで終わったら、自分だったらどうするだろう、なんて考えずに、ああいいなあ、うちのところでもこんなことができたらなあ、なんてぼんやり考えて、そして忘れて行ったかもしれません。
そう考えると、「楽園のつくりかた」の続きは、それぞれで考えなければいけなくて、それぞれが見つけるまで、映画は終わらない、ということになるのかな、と思ったりしました。

懇話会で、A級グルメという言葉は、使いたい方はそのまま使用できるという話を伺ってほっとしました。実際に、町はA級グルメという文言を使わないし、委託事業が終了となったり、A級グルメ構想の一環として建てられた施設を使うことができなくなったり、という影響はありますが、A級グルメ、という言葉がなくなったわけではありません。「邑南町 A級グルメ」で検索すると、映画にも登場していた様々なお店が表示されます。

まちが文言を使わないと宣言したとしても、A級グルメはA級グルメとして残るわけであって、ただその形は悲しい感じだったけれど、効果は間違いなくあったし、今までと同じようには行かないだろうけれど、これからも生き続けるのではないかなと思います。
むしろ、これからの方が、本当にA級グルメというブランドの力だけで回っていかざるを得なくて、だからこそ、さらに磨きがかかるのではないかなと、想像したりもします。

いつかみんなで、邑南町に行ってみたいです。

以前読んだ寺本氏の著書の記録です。

こちらはちょうど、クラウドファンディングの頃に読んだ本です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?