豆塚エリ「しにたい気持ちが消えるまで」
誰しも、多かれ少なかれ、しにたい、と思ったことがあるのではないか、と考えていた。
私はこれまで生きてきて、しにたいと思ったことが2回ある。1回目の時は、しにたい、というか、とにかく逃げ出したいという感じだった。具体的にどんな風にしようか、と考えたりもした。そのときのことを思い出すと、一瞬でその時の気持ちに舞い戻って、自然に涙が出てくる、というのが10年くらい続いた。今は辛かったし、よく耐えられたなと思うだけ。そこまで落ち着いて振り返ることができるようになったのは、多分、2回目があったから。2回目のことはまだしばらく落ち着いて振り返ることができないと思う。ただ、しにたい、しにたい、と心の中で何度も考えていただけで、頭の反対側では、しぬことなんてできるわけないな、と冷静に考えていた。万が一失敗したら、とか、子どもがまだ小さいからな、とか。誰かの訃報を聞くと、ああ、自分だったらよかったのに、と考えたりしたくらいの軽さだったけれど、でもそれでも自分なりに苦しかった。
もしあけっぴろげにお互いが経験した苦しみを話し合うことができたとしたら、自分のは大したことがないと思ったり、私の方が苦しいのに、と思ったりするのだろうか。
この衝撃的なタイトルは、図書館の書架で新着図書として並べられていたのを見つけた。表紙にはセーラー服姿の車いすの女の子の絵が描かれていたけれど、ぱらぱらとめくってみると、びっしりと文字が詰まっていてずっしりと重い感じがした。借りようかどうしようか少し迷ったけれど、結局好奇心の方が勝った。何しろこれは、小説ではなくて、本当にエリさんが体験したことなのだ。
エリさんは母親と義理のお父さんと妹と暮らしていた。幸せだった時期の話もあった。けれど、そんな時期はずっと続いていたわけではなかった。家族の状況、義父との関係、学校でのこと、色んなことがあって、どんな風に死にたいと思うようになったのか、事細かに、包み欠かさず書いていて、痛々しいと感じるくらいだった。
読みながら、ゴッホの絵を思い出していた。特に自画像。ゴッホの絵はかげろうのように揺れている。わざと書いたのだろうかとも思ったけれど、すごく近寄ってみたときに、彼自身には世界がこんな風に見えたのではないかという気が急にしてきた。自殺をする前ってこんな感じなのだろうかと考えたことがあった。エリさんは飛び降りる前に考えたことをすごく丁寧に書いているのだけれど、とても生々しい感じもするし、ふわふわした感じもある。ゴッホの筆遣いみたいだと思い出した。
そして、自分は、しにたい、と思ったなんて言っても、だいぶ遠いところから考えていたんだな、と理解した。
ぜひ本を読んでもらいたいのだけれど、少しだけエリさんがしにたい気持ちが消えたきっかけについて書いてみたい。飛び降りてアスファルトに頭も体も打ちつけられて頸椎を損傷してしまうのだけれど、病院に入院してから、身体中が生きようとしていることを実感したからなのだという。車椅子生活になり、いろいろと肉体的にも社会的にもつらくなるようなことがたくさんあったのだけれど、それでもしにたいともう思わなかったのは、苦しいから死にたいじゃなくて、苦しくないように生きることを考えることを身につけたから。彼女の文章の中には、自分の思考から生まれた生きるための言葉がたくさん詰め込まれている。
実際に、しにたい、と考えたことがある人はどれくらいなのだろうかと興味を持った。誰しも、多かれ少なかれ、しにたい、と思ったことがあるのではないか、と考えていたから、80%くらいはいるんじゃないかと思ったけれど、それほどではなかった。でも一方で、あまりに衝撃的な数値が見られて、悲しくなった。
この表は、厚生労働省の「自殺対策に関する意識調査」の平成28年度と令和3年度のデータをもとに作ってみた。衝撃的だったのが、令和3年の20代の女性が41.4%もいることだった。というか、平成28年に22%だったのが2倍にまで膨れ上がっているって、どういうことなのだろうかと考えた。時勢的に色んな事も影響していると思われるけれど、それにしても大きい。もちろん、どうにかこうにか生きている自分自身も、こんな思いをしたことがあるくらいだから、みんなそれぞれ、そういう気持ちをうまくやり過ごして生きているのだろうけれど、この増え方は悲し過ぎる。
因みに私が属する40代女性も3人に1人が死にたいと思ったことがあるわけで、あなたはどんなことで死にたいって思ったの、なんて話を出会ったうちの3人の1人くらいとはできるかもしれないことになるわけだ。けれど、何しろそんなに簡単に話せないようなことを抱えているからしにたいと思ったわけで、実際にはそんなことはできなくて、だからこっそり、この本を読むことで、エリさんと会話するのがよいのかもしれない。
エリさんは本当によくいろんなことを深く考えていて、あちこちで、心に刻み付けたくなるような言葉たちを見つけることができた。そのうちの一つはこんな感じ。
その人の苦しみも、つらさも、頑張りも、成果も、人と比べる必要はない。もちろん、誰かの頑張る姿を見て、勇気づけられることもあるだろう。やる気を刺激してもらえることもある。しかし他人を見て苦しくなったり、自分が嫌になって卑屈になったりと、どうしてもそうなってしまうとき、他者ではなく、自分を中心に据え直す必要がある。ゆっくりだけども日々頑張っている自分、支えてくれる何人かの人たち。自分にとってよりよいものは、いつでも自分の中にあり、そばにいる。
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