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野口嘉則「完全版 鏡の法則」

いつも肩に力が入っているね、と言われました。
確かにそうかもしれません。彼女が言ったのは気持ちの問題だったかもしれませんが、肉体的にも肩に力が入っているかもしれません。肩こりは常にありますが、ストレスを感じる状況に置かれると、呼吸が浅くなり、身体に力が入ってしまいます。意識して身体を緩めようとしてもなかなかうまくいかないのです。

たまに、ああ、この人は仲間かも、って感じることもあります。私みたいな人間も、結構いるんじゃないかと思います。

でもこの本を読んだ時に、なぜ体に力が入ってしまうか、その理由と、どうしたらその癖を直すことができるかについて、少しわかったような気がしました。

人は生まれてから死ぬまでに、どれだけの人と関わるのでしょうか。
住んでいる場所、本人の生活、何を仕事にするか、などによって変わるだろうけれど、通りすがりの相手を認知した数まで入れたとしたら、本当にものすごい数になると思います。そしてさらに、今の時代はネット上で知り合う人もいるわけで……実際に会ったこともない人であっても、SNS上のやりとりで、影響し合うこともあります。
今の自分が今の自分であるというのは、もちろん生まれつきのものもあると思いますが、出会った人から受けた影響によって形作られているといえます。逆にいえば、自分自身も、他の人に多かれ少なかれ、影響を与えているのでしょう。
だから、こういう、身体に力が入ってしまう癖も、私のうまれつきの性質と、これまで関わってきた人から受けた影響なのだと思います。

そして、私はこういう性質なのだから、と思ってきました。これが個性なのだと考えてきました。

この肩に力が入っている感じで、頑張れたこともあります。
この力が、最後まであきらめないで続けられたんだ、と思うこともあります。
だから悪いことじゃない、別にこのままでもいいんだ、と思ってきました。
私の仕事ぶりを見て、「もっとうまくやればいいのにって思ってた」と言った人がいました。とても悔しかったです。うまくやろうと思ってやれるようなことじゃなかった、そういうことは自分でも手を動かしてから言ってみたらどうか、と頭の中で毒づいてみました。

でも一方で、かなり疲れていて、満身創痍といった感じでもありました。

この本はある人から、手渡されました。
仕事の話をするのかと思っていたのですが、様子が違っていて、徐々に自分が責められているような気持ちになってきました。もっと我慢しろ、自分を出すな、謙虚になれ、と言われているような気になりました。もちろんそんな言葉を使っていたわけではありません。途中から、バリケードを築き始めていたので、今では、断片的にしか思い出すことができませんが、今思い出せる言葉も、そういう意味ではなかったと記憶しています。でも、とにかく責められているような気持ちになったことだけははっきりと覚えています。
そして最後に、「この本が助けになるだろうから」といったようなことを言われて、渡されました。

家に帰ってすぐページを開きました。すぐに、これは私に必要な本だ、と分かりました。子どもたちのご飯を作らなければいけないのに読みたくて、いつもより時間がかかってしまいました。
ご飯を食べながら、泣きながら読みました(子どもたちは私が本を読んで泣いていることもあるので、「悲しい物語だったの?」と訊くくらいです)。
途中からごはんを食べることもできなくなりました。自分がしなければいけないことがそこに書かれていました。どうやって肩の力を抜けばよいのか、が、そこにははっきりと書かれていました。というか、実際にやってみなくても、書いてあることを読むだけで、もう半分くらい理解できた気になって、少し肩の力が抜けたような感じがしました。

一方で、この本を渡した人に、少しだけ怒りを覚えました。なぜそこまで人に踏み込むのだろうと感じました。心を勝手に覗かれたようで悔しかったし、恥ずかしくもありました。
けれど、同時に、踏み込むことは分かっていても、これが必要だと思ってくれたんだろうな、とも想像できました。これも一種、少し肩の力が抜けたということだったのかもしれません。

読みながら、そこに書かれていることをやってみている自分が想像できていましたが、でも本当に、やってみました。やってみることに意味があるのだと思ったから。本の中でそれをやってみた人は、泣きながらやったそうだけれど、不思議と私は冷静でした。一つずつ、課題として出されていることをノートに書きました。どんどんページを使いながら、自分の心のすみずみを確認しました。冷静だったのは、本を読む間に自分もやっている気になって、その時にたくさん泣いたからかもしれません。それか、取り組み方が足りなかったか。

ちゃんとできていたのかどうかは分かりませんが、ともかく、やることで、何かが変わったような気がしました。

それからしばらくして、ちょっと意外な良いことが起きたりもしました。本に書かれていることをやってみたからかもしれないし、そうではなかったかもしれない、でも自分の考え方に、少し「遊び」が出てきた感じがしました。

生まれてからたくさんの人と関わってきました。ふとすれ違う人がどう感じたか、というのは、全く考えなかったり、実際とは違ってもどうでもいい、と思ったりもします。けれど、近ければ近いほど、心をひかれている度合いが強ければ強いほど、相手の気持ちを探ろうとしてしまいます。
でも近い位置にいるからといって、その人の全てを正確に理解しようとしなくてもよいのかもしれません。特にその言葉や行動に捉われる必要はないのかもしれません。分からないことを、きっちり確認しようと思わなくてもよいのかもしれません。きっとこうなんだろうな、と想像して、それ以上は理解しないということも必要なのかもしれません。

それは全て、自分が生きやすくするための方法なのです。

タイトルにもなっている「鏡の法則」は、人によっては、スピリチュアルっぽいと受け止める人もいるかもしれません。書かれていることも儀式っぽいと感じる人もいるかもしれません。
この方法だけが全てではないと思います。
でも、ここに書かれていることは、すごく分かりやすくて、誰にでも取り組みやすいことだから、この本がたくさんの人に読まれているということなのだと思います。

この本をくれた人は、「この本を必要としているんじゃないかと思った人がいたら、今度はその人に渡して欲しい」と言っていました。
でもまだそこまでできるほど、私はここに書かれているメッセージを受け止められているわけではない気がします。だから、ここに感想を書いて、これを読んだ人が、自分で必要だ、と思って読んでもらえたらいいな、と思います。



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