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堀内恭隆「人間関係のおかたづけ 人生を変える新しい整理整頓術」

男性からのひとめぼれなら2割、女性からなら1割の離婚率、というのが、全体の離婚率が5割に達しているアメリカでのデータだといいます。この本の中で紹介されていたデータなのですが、なんとなく、ひとめぼれって、色んなことを知る前に好きになるから、結婚生活みたいに、感情だけで乗り切れないことを継続するのは難しいようなイメージがあります。でもこの本を読むことで、少し、この理由が想像できたような気がしました。

人間関係のおかたづけ、というと、かなり衝撃的なタイトルではありますが、多かれ少なかれ、意識的であるにせよないにせよ、みんなやっていることだと思います。保育所や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人になってから、それぞれで知り合った方たちとずっと継続的に交流していくことは現実的ではありません。
仮にそれぞれの年度で30人ずつ知り合っていたとしたら、未就学のときを2年とカウントしても高校までで既に14年、420人と知り合っていることになります。私自身、今も個人的に連絡をとったりすることがあるのは、中学校時代の一人だけで、それ以前の友人とは、偶然会った時に話をすることはあっても、やりとりはしていません。
私がすごく交流好きだというわけではないこともあるかもしれませんが、多かれ少なかれ、こんな感じなのではないかと思います。

この本に書かれているのは、自然に関係が変わっていくのを待つのではなく、積極的にやろうというお話なのです。

なぜかといえば、全ての悩みは、人間関係からくるからです。そこをすっきりさせることで、生きやすくなるから、整理しましょう、というお話なのです。そして、具体的な方法について、提案しています。

具体的な行動といっても、それは自分の外側に出して、相手との関係をどうこうする、というわけではありません。全て頭の中でやってみることになります。

本書の中には、いくつかのワークが用意されていました。頭の中でやってください、と書いてありましたが、私は実際にノートに書いてやってみました。このノートは誰かに見せられるものではありません。

いくつかの準備運動的なワークをした後に、いよいよ、この本のタイトルでもある、人間関係のおかたづけに着手します。
そのやり方は、3つの箱を頭の中で用意します。

  1. どうでもいい箱

  2. 一緒に過ごしたい箱

  3. 理由なく惹かれる箱

そして、この3つの箱に自分の人間関係を振り分けていくというものです。

振り分けていくと、どうでもいい箱、の中に入る人が随分多くなることが分かるといいます。一緒に過ごしたいか、理由なく惹かれるか、と言われると、そうではない人はたくさんいるはずです。だからどうでもいい箱が多いのです。
そして、どうでもいい箱の中に入れた人も、状況が変われば、一緒に過ごしたい人になることもあるのです。

こうしたことをしていくと、参加したくない飲み会を断るのが平気になったり、仕事関係においても、嫌な人と一緒に仕事する場合にも、その人から得られる利益のことを考えて行動すればよい、と切り分けたりすることができるといいます。

参加したくない飲み会を断るのが平気になる、というのを読んで、私は思い当たることがありました。

というのは、子育てするようになってから、基本的に夜の行事には参加できなくなったのです。最近でこそ、8時くらいまでなら子連れで参加したりということもありますが、基本的には断ります。
ですが、年に1回か2回、親に子どもを頼んで参加することもあります。前もって親に頼んでおき、子どもたちが体調を崩したりしないように気を付けながら、その日を迎えるのです。
だから参加するのは、本当に大切なものだけになります。
ちょっと行ってみようかな、くらいで参加するわけではないのです。なので、思い切り楽しみ、様々なことを吸収しようと意識します。

また、仕事においても、一緒に仕事している時は、考え方の違いで激しめに議論したりしながらも、相手のよいところを見つつ、得意なところをお願いしつつ、チームとして楽しくやっているつもりです。異動で別の部署に行ったりしても、懐かしくなったりするのかな、と想像していました。ですが、結局一度も足が向かうことがなくて、日が経つにつれて、自分の中に全くそうしたい気持ちがないことに気付くこともあります。むしろ、我慢していたんじゃないか、と思ったりもしました。要はその人は、私にとって「どうでもいい箱」に振り分ける人だったのです。
ですが、チームで仕事をするということは、もちろん、心から信頼し合えてできれば最高かもしれませんが、あらゆる人間とそのように接することはムリなわけですから、相手の得意なところをお願いし、自分の得意なところを差し出して、チームの目的を達成する、というのでよいのではないかなと思います。
そしてこうして意識せずとも切り分けて考えられていたのは、決められた勤務時間の間だけ、チームとして過ごしていればよいという前提があったからではないかなと思います。

そう考えると、物理的に人付き合いや仕事に時間の制約をかけなければいけない状況、というのも悪くないのかなと思ったりもします。
何が大事か、を、必然的に考えなければいけなくなるからです。

一方で、私はSNSというか、facebookにかなり助けられてきました。何しろ隙間時間で楽しめるし、家にいながらにして人と交流できるからです。仕事に絡む情報をfacebookで得ますし(名刺交換すると、一応アカウントがあるかどうかチェックします)、何かで嫌な気持ちになった時とかも、facebookで色んな人の投稿を見て、みんないろいろありつつ前向きに過ごしてるななどと思って気分を変えたりしています。
この場で行われる発信は、実名で、比較的長めの文章が多いので、本人が外に向かって発信したいこと、それだけ熱量のこもったものが多い気がします。
となると、ただそこにいるから、クラスメートだから、職場が一緒だから、といった関係で共有するような情報とは異なり、その人のホントの考えに触れることができる気がします。
なので、facebookで繋がっている人の中には、一緒に過ごしたい人やなぜか惹かれる人がたくさんいるような気がします。

一方で、もっと身近な関係、親や子ども、夫との関係については、ワークをやりながら、まだまだすっきりできていないな、と思うことがたくさんありました。どこかを切り捨ているというわけではなく、私はこういう関係でありたい、ということが出せていないな、という意味です。それはもしかしたらお互いに、なのかもしれませんが。

アメリカのデータの、ひとめぼれは離婚率が低いというデータですが、もしかしたら前提として、ひとめぼれは結婚まで至る可能性が低い、というのもあるのかもしれません。相手を知りながら関係を作り上げてきた結果の結婚であれば、結婚後の様々な変化にも対応できるパートナーシップが構築されやすい、ということなのかもしれません。
これは私が考えたことで、本の中に記載されているわけではないです。ですが、本の中で、「夫の箱」、「親の箱」、「子の箱」みたいなのは捨てて、相手とどんな関係を気付きたいかを考えなければいけない。だから、「どうでもいい箱」、「一緒に過ごしたい箱」、「なぜか惹かれる箱」に分類して、その上で、相手との関係を気付いていけばよいというのです。
「夫の箱」、「親の箱」、「子の箱」というのは、これまでの人生でなんとなく形作られてきた夫婦とはこういうもの、親子とはこういうものに基づいています。相手と全く同じ経験を積んできているわけではない以上、そもそももともとの性質が異なる以上、夫婦とはこういうもの、親子とはこういうものが一致するわけではない、だからこそ、ゼロから作り上げていかなければいけないのです。
だから、愛情の有無とは関係なく、親や子、配偶者についても、まずは「どうでもいい箱」に入れて、そこからスタートするのもありだと著者は言っています。
なるほどな、と思いました。
だから、ひとめぼれで出会った人たちは、もともとの関係はゼロだったところから、全く自分たちの間で作り上げてきた関係になりやすいのかな、と想像したのです。
そして、さらに作り上げてきた関係にこだわるのも、またよくないのかな、と思います。ひょっとしたら捨てなければいけないのは、この思い込み、ということなのかもしれません。柔軟に、お互いの状況や気持ちに合わせて、変えていけるように、頭の片隅に時々箱を3つ並べて、確認してみたいと思います。

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