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仕事人間の僕が育休を1年取ったら人生が豊かになった!

ほとんどの人(特に男性)は
社会に出てから仕事に費やす時間が多すぎるのかもしれない。
人生の中で若いうちなど仕事に全振りする時期があるのは構わないが
仕事一辺倒の人生を40〜50年送ってしまう人は
一度立ち止まって考えた方がいい。
僕は育休を1年取ったら子どもとの時間を大切にしたくなり
フリーランスで独立した。ほぼ在宅で仕事ができ
仕事時間は減ったが収入は上がった。
それまでの経緯を書いていきたい。


がむしゃらに働いた20代

僕は新卒でテレビ番組の編集をやる会社に入った。
当時まだ働き方改革なんて言葉もなく、
テレビ番組の編集所は24時間交代が当たり前。
24時間やった次の日は明け休み、そしてまた次の日の朝10時に出勤する。
月に3〜4回明け休みの次の日に本当の休みがもらえるくらいの働き方。
たまたま1年目の給与明細が残っていた、
24時間勤務で13日ほど出勤していたから312時間の拘束で18万円。
(契約社員スタートだったので色々引かれていない)

1年目の給与明細

結婚を機に転職するが仕事第一なのは変わらない

3年ほどこの編集所に勤めたが、結婚を機に転職。
キー局のグループ会社に所属して働くことになった。
そこでは毎日徹夜ということはなかったが、
それでも月に270時間前後働くことはザラだった。
残業代が出るようになったので多少給与はマシになった。
それでも仕事が最優先なのは変わらず、
妻とどこか予定をして出かけるのも結婚記念日くらい。
あとは地元が一緒だったので正月や夏休みに一緒に帰省したくらいか。

やっと子どもを持つ決意

がむしゃらに働き過ぎて、結婚して5年経ってしまったが
不妊治療など経てやっと子どもを持つ決意ができた。
不妊治療だったのもあり、まさかの双子だった。
でも妻は双子の母になるのが夢だったらしく大層喜んでいた。
妊娠の発覚と時を同じくして、妻のお母さんが脳出血で倒れてしまい
東京から2人の地元へ帰ることになった。

転職・出産・そして育休へ

テレビの仕事は楽しかったが、仕方なく地元へ帰ることにした。
なかなか東京以外でテレビの仕事というのは数が少なく
地元企業のVPや地方CMを手掛ける制作会社へ転職した。
年収は50万円ほど下がった。
そして妻の出産。生まれてきた双子は本当に可愛かった。
男女の双子、姉は2355g 弟は2895g。双子なのに本当に大きい。
大き過ぎて出産予定日より1ヶ月早い帝王切開での出産だった。

妻のお母さんは左半身に麻痺が残ってしまっていたため
退院後は僕の実家で少し世話になり、自宅へ帰ってきた。
2人だけの育児が始まったら、これが本当に大変。
3時間おきの授乳が2人分、マジで寝る暇がない。
新生児はミルク飲むの遅いのでミルクとおむつ替えするだけで
1回45分くらいかかる。それが交互に来たら全然休めない。

僕も会社から帰ってきて妻に寝てもらう時間を作ったが
お互い3〜4時間しかまとまって寝られない日が続き
どうにもならない!と会社に相談したら
社労士さんが1年間の育休を提案してくれた。

育休期間は本当に最高に楽しい1年だった

大変なこともあったけど、育休期間は本当に楽しい日々だった。
大人1人で1人の赤ちゃんを見ているよりは
大人2人で2人の赤ちゃんを見ている方が楽だったと思う。
0歳児なんて日々の成長が早くて1ヶ月経ったらすぐ違う悩みが出てくる。
そんな目まぐるしい日々を一緒に過ごせて本当によかった。

育休復帰したときには考え方が変わっていた

今までだったら仕事が最優先で、
そのあと残った時間で何ができるかを考えていた。
それが復帰した後は必ずこの時間までには帰ると強く思っていた。
そのために自分の裁量でできる仕事をどうにか取ってきて増やした。
そこでちゃんと粗利を出して
会社や部署のメンバーから文句を言われないようにした。
そのくらい仕事に取り組む姿勢も変わっていた。
育休前はどこかで降ってくる仕事をこなしていれば良いと思っていた。
でも育休後は違う、仕事は自分で作り出す物だと思えていた。

育休復帰から1年半、独立を決意

成果を出してもあまり評価されず、
コロナなどもあり会社の方針に疑問が出てきたため退職をした。
在宅フリーランスで映像編集の仕事をするようになった。
実際ここは妻の意向もすごく大きかった。コロナ禍でリモートワークを導入したら
リモートの日、終業時間から即家庭に参加できる日と
出社した日の違いを感じたらしい。
家でずっと仕事してくれたら助かると言われた。
そりゃそうだよなぁ。まだ双子たち2歳だし。

フリーランスになったばかりの時は頑張り過ぎる

そうは言ってもフリーランスになったら頑張らなければと考えてしまう。
元々石橋を叩き割って渡らないタイプの僕が会社を辞めるなんて
子どもがいなければ絶対にしていない。
稼げる時に稼がなければと思い、ひたすら頑張った。
独立後2月目には粗利で135万円くらい稼げた。
でもその時には、ほぼ全ての家事育児が妻にいっていたし
僕も睡眠時間が4時間なんて日が続くのも当たり前だった。

何のためにフリーランスになったんだ!!

少なくても子どもたちと一緒にいたいと思ったはずだ。
どんなに仕事がなくなっても子どもたちと一緒にいられるなら
それはそれで良いと思ったから独立したんじゃないのか!
暇な時間の価値が最高に高い時期だから、独立したんじゃないのか!
自問自答をして、働き方を改めることにした。

外注さんに振る量も増やした、そのせいで少し仕事は減った気がするけど
それでも子どもたちと一緒にいられる時間は一気に増えた。
仕事も減り続けるかと思いきや、
このラインまでしか減らないんだという部分もわかった。

日中に「育休は最高にいいぞ!」という発信をする時間も増えた。
発信の勉強のためにNPOファザーリング・ジャパンにも参画した。

時間ができたら新聞やテレビに出られた!

ファザーリング・ジャパンに参画したら、色々な繋がりができた。
そこでとある募集がかかっていた。「男性で産後うつを経験した人」
実は、僕は最高に楽しかった育休期間中。妻がパートタイマーで社会復帰する際に
双子をワンオペで見ていたら育児うつのような状態になった時期があった。
(「男性の産後うつ」という呼び方はちょっと違和を感じるので
僕は「育児うつ」と呼ぶことにしている。)

その旨をお伝えしたら西日本新聞の方が取材をしてくれた。
それを2022年の父の日、西日本新聞の1面トップに載せてもらった。
まさか自分が新聞の1面トップに載る日が来るとは思わなかったのでびっくりした。
ここまで大きな扱いをしてくれた西日本新聞の方々ありがとうございました。
その後ヤフーにも転載され、ヤフートップにも数時間載せてもらった。

西日本新聞のスクショ

こちらの記事を見た方から、続々と取材の依頼が来たのが2022年だったと思う。
ビジネスインサイダージャパン、東洋経済オンラインなどネットのメディアでもお話しをさせていただき
その後、年末にはABEMA Primeからも出演依頼が来た。
その時の様子はYouTubeに上がっているのでもしよければご覧ください。

その翌年には
NHK「あさイチ」「きょうの健康」TBS「NEWS23」など
地上波の番組にもVTRで出させていただいた。
あまり経験できることではないので、本当に貴重な経験ができたと思う。

仕事はだんだん自分のペースが見えてきた

子どもの成長に合わせて自分の働く量は何となく目安がわかってきた。
基本的に昼間3〜4時間、夜3時間くらいがMAXっぽい。
それを超えると妻や子どもたちに迷惑がかかってしまう。
どうしようもない日が月に数日あったりはするが、なんとかそうならないように
セーブして働いている。
それでも会社員時代よりは年収は上がっているし
上限を1日7時間に設定しているが故、自分がやらなくていい仕事を振っていくと
むしろゆとりある生活が送れるようになっていたりする。

保育園の行事も全て参加できた

コロナ禍などで、保育園の行事が全然なくなっていた会社員時代から
ちょうどフリーランスになった頃から、少しずつ制限を設けて
保護者が参加できる行事が復活していった。
園児1人につき保護者1人ルールがあったが、うちは双子。
全部の行事に夫婦で参加した。双子で本当によかったと思った。
その後コロナの終息とともに制限はなくなり、パパが参加する家庭も多く見られて
本当はみんな夫婦で参加したかったんだなと。

僕は自分の仕事さえ調整すればどうにでもなるので、
最優先で保育園の行事をスケジュールに入れていた。
フリーランスのいいところはいちいちお客さんに理由など説明せずとも
「その日は難しくて…」と言えばいいところ。
有給に理由なんて要らないはずなのに、
何があるの?と聞かれる会社員とは大違い。

妻が東京に戻りたいと言っても応じてあげられる

お義母さんの状態も麻痺は残るものの杖や車椅子を使い
デイケアのサポートも受けることで
なんとかお義父さんが面倒を見られるようになったので
妻が子どもだちが小学校に上がるタイミングでまた東京に出たいと言い出した。

正直、生活費が上がるので無理に引っ越す気にはなれなかったが
よほど出たいらしいので、付き合うことにする。
でもこの決断が気軽にできるもの、フリーランスで家の中でほぼ全ての仕事を
完結できるようにしていたから。
育休を取っていなければフリーランスになっていないだろうし
会社員なら、そう簡単にすぐ東京にとはなれなかったと思う。

総じて幸せ

基本的には毎日子どもたちと一緒にいられるし
働いてる時間も減って、少しは健康的になってきた。
特に自分で仕事を作っているが故に、
やりたくない仕事はやらないという選択肢があるのが
幸福度を上げてくれているように思う。
受けたからにはしっかりやる、やりたくない仕事は受けない。
引っ越しなどもそうだが、
自分の意思で人生を決定しているというのが、本当に楽しい。

子どもたちの成長も日々感じられる。
絵を描くのだって、なわとびだって、計算だって、音読だって
ちょっとずつ成長している。
その成長を分かった上で、成長を褒めてあげられる。
なわとびの回数が最高記録を更新したとか
くもんのテストで合格したとか、日々すごく嬉しそうにしている双子たち。

こんなにいろんなことで喜べて幸せそうだなぁと思う一方で
その姿を近くで見られている自分も幸せなのだと気付かされる。

子育ては期間限定

そんな双子たちも6歳、4月から小学生。
まだまだ親にくっついてきてくれるから、ありがたいが
もうそんな時期もあとわずかなのだろう。
子どもたちからこちらに向かってきてくれる間くらいは
子どもたちと一緒にいられる時間を大切にしたい。

子どもたちが無条件に親のことを愛してくれているのだから
親も無条件に子どものことを愛そうと思う。

これから関わり方はどんどん変わっていくのだと思うけど
心の中にある愛している気持ちはずっと変わらない。

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