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3.夢だったテレビ局勤務を辞める話。

前回の記事でざっくり僕がどんな思いで東京で働いていたかは分かってもらえたかと思うので、最初の記事に戻ってついにフジサンケイグループの会社を退職する話。

思い返してみれば叶ってしまった夢なんて夢でもなんでもなかったような気もするのだが、それはそれとて退職するのに抵抗はあった。

まず僕は契約社員で入社していたのだが、おそらくほぼほぼ次の4月で正社員にしてもらえるのが濃厚だったから。
それまではアシスタント業務のテロッパーの仕事が多かったが、辞める時にはほとんどテロッパーではなくメインの編集マンになっていた。
周りからも来年は社員じゃないかと言われていた。
自分の中で漂う「なんかあと一歩だったのに」感。まぁ人生にタラレバなんてないのだから今更言ってもしょうがない。

収入も順調に伸びていた。新卒で入った会社では年収300万円にも届かなかったのが転職して5年かけて年収500万円近くになっていた。
編集の仕事で30歳で年収500万円は結構良い方だと思う。まぁその分いっぱい働いてはいたけれど。
規定時間がその月の出勤日×8時間なので160〜176時間程度。祝日の量とかで変わる。残業時間が50〜70時間ほどなので月230時間ほどだろうか。
前の会社で300時間働いていたことを考えるとずいぶん働かなくなったものだ。
(ちなみに次の会社は東京じゃないことを鑑みて希望年収は450万円で勘弁してやった。都内じゃなければ多少年収低くてもやっていけるだろうという甘い目算。のちに後悔することになる。)


そしていよいよ退職を課長へ告げる。
「ちょっと妻のお母さんが脳出血で倒れてしまって名古屋帰らなくちゃいけなくなってしまって。会社も辞めなきゃいけなくなったんですよね。」

なんとも気持ち悪い言い方だ。自分の保身や辞めたくない思いが入り混じっている。
課長も驚いていた。そりゃそうだ、せっかくメインの編集マンになれてここからってところなのに。しかも自分の番組とかやっと持ち始めたタイミングなのに。

とはいえ事情を話したら納得せざるを得ない状況。いつから退職するのかの話合いになった。

初回の投稿に書いたが
https://note.com/ikukyu_1year/n/nf5ecbd3ba751
5月の中頃に名古屋の会社の内定が出ていたのでとりあえずこの話をしたのは5月なのだろう。

引継ぎなど含めて2ヶ月くらいあればとの話だったので7月いっぱいを目処に退職することになった。


実はどこかで自分でも辞めたいと思っていたかもしれない

元々僕は大学で映像学科にはいたものの、サウンドを専攻していた。
映画用の音楽を作ったり、音声を綺麗にしたりバランスを取るMAや効果音をつけたりする音響効果の仕事を目指していた。
最初に入った会社も音の方を希望して入社したのだが、そもそも「MA」という作業は「編集」に比べてかかる時間も短く、人員も少なくて済む。しかもどちらかといえばMAの方が人気があったりする。
なので「編集」に配属されたのだが、いつか配置変更などあるかなと思い一生懸命、編集の勉強をしていた。

でも大好きなバラエティ番組の編集だったからだろうか、別にテロップを作ったりするのも、ソフト使うのがどんどん速くなり全然嫌でもなくなっていった。
得意な事ではないかもしれないが、できることではあったのだ。
前回の投稿で書いたように忙しすぎて自分が何がしたいとか考える隙もなかったというのが正直なところかもしれない。

ただ、編集も8年も続けていると自分の限界みたいなものも感じる。やはり編集が大好きな人には敵わないと感じる時がしばしばあるのだ。
「センスの差」という言葉で片付けてしまえば簡単ではあるが、おそらく僕はそこまで「編集」に対して情熱が持てていなかったのだ。
テレビ番組が好きというだけの思いでは超えられない壁があることを薄々感じ始めていた。

だからどこかでこの退職は肩の荷が降りたような感覚もあった。


もう編集の第一線の東京のキー局の編集をしなくてもよくなる。
それが「今後、楽をできる」という意味ではないことをこの時は知らない。
地元に帰ればもう少し楽して今の技術で何の問題もなく戦えるのだと思っていた。

実際どうなったかは今後の話で。


次回はこのあと有給消化して名古屋に帰る話。
新しい会社はあまりにギャップがありすぎて、なかなかしんどかった話。
書けるところまで書いていく。
実際の退職する流れと妻の妊娠の話までしか書けなかった。

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