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33.個人事業主のはじまり、はじまり。

さて時は2020年10月、会社員も最後の月。
有給が10日ほど残っていたので、半分は休みだ。
もうこの半分の休みを利用して、自分の仕事を始めていた。

以前からずっとお付き合いのある会社の仕事を
完全に個人受注に切り替えていた。

そもそもの出会いは転職より前。

以前にも書いたが名古屋にUターン転職をするより前に
副業で出会ったWEB系の広告代理店と仕事をしていた。
もともと僕のお客さんの仕事を会社を通してやっていたのだ。
それが元に戻っただけの話。何も悪いことはしていない。

この月だけはダブルインカム

この10月、会社は有給を使って休んでいるので
確実に基本給(+裁量労働制の固定残業代)は確保されている。
そこに10月にやった個人事業分が加わるのだ。
給料+粗利で50万円ほどだっただろうか、かなり稼げた。
外注さんも1人は引き続き僕の仕事を手伝ってくれるとのことで
本当に助かる。
その他にも東京で働いていた時の後輩などに声をかけ
なんとか複数案件が重なってもこなせる体制を作っていった。

そして完全に退職。

11月1日よりついに個人事業主の生活がスタートする。
とはいえ、会社員時代から副業も行っていたので
あまり大きな変化はない。
来た仕事に対して真摯に1つ1つ取り組むだけだ。
家のことも10月から有給を使っていた時は休みだったので
朝起きて、子どもたちと一緒に支度をして
妻が出勤のついでに双子たちを保育園に送っていく。
そこから自分の仕事が始まる。

この時はとにかく稼げるだけ稼ごうと思っていた。

やはり初めての個人事業主生活。
フリーランスなんて稼げるうちに稼がなければならない
強く思い込んでいたので、仕事に関しては本気で頑張った。
4日程度納期見ていてくれているものでも
可能であれば翌日には納品していた。
修正もすぐに対応したし、発注があるものに関してはNOと絶対に言わなかった。
これをやっているだけで、どんどん発注が増えていった。

特に家庭は顧みず。

この時はまだまだ家族のことを優先するなんて思考はゼロだった。
仕事があればそれを優先する。
夜の子どもたちの時間も、ごはんは一緒に食べたり
お風呂から出てくる時に保湿や服を着せるのは手伝うが
それが終わればすぐに自分のデスクに向かって動画編集をする。
ただひたすらに、動画編集を続けるのだ。
「1円でも多く稼がなければ死ぬ」とすら思っていたのだろうか。バカめ。

瞬く間にパンクするリソース

上記のような仕事のし方をしていると、ありがたいことに
同じ会社からでも別の担当者からどんどん発注が来る。
12月になる頃には本当にリソースがパンクしていた。
2〜3名いた外注候補の人たちも埋まり
新たにランサーズで外注さんを探すほどにまでなっていた。
ただこの12月に双子たちとアンパンマンミュージアムには行っていたので
かろうじて人の心は残っていたらしい。本当にこの辺りの記憶はかなり曖昧だ。

気付いたら1日4時間睡眠の日々

12月になると本当に1日の大半を動画編集に費やしていた。
一番ひどい時は1日4時間睡眠を数日続けて、
なんとか1日ちゃんと眠れる日を取って、また4時間睡眠の日々のような
鬼のような働き方をしていた。
心底疲れ果てて、12/31〜1/3は休むことに決めた。
12/31に作業してほしいという依頼だけは、独立して初めて断った。

月利は135万円になっていた。

その12月の売り上げは約180万円ほど。
外注費などを除いた粗利で135万円になっていた。
その金額が翌1月の末に振り込まれた。
さすがにその時は嬉しかったが、このままでいいのかと自問自答し始めた。

ほとんど全ての時間を仕事のために使っていた。

食事やお風呂など最低限の時間を除いて
すべて仕事のために時間を使っていた。
確かこの1月〜2月くらいにClubhouseという音声SNSのアプリが流行ったが
そういうところで、いろいろな人と話してみたり
動画や本で勉強をしてみたり、何も生み出していない時間は悪だと思って
本当に1分1秒、何かインプットをするかお金を生み出す作業をするかしていた。

実際Clubhouseで仕事が取れたこともあったせいで
本当に、何か仕事につながる可能性のあるものへ全て時間を使った。
お風呂に入りながら人が話しているのを聞いたりしていたのだ。

妻の願いはもっと家庭の事をやってほしかったはず。

前回の記事で書いたが、妻から「辞めてほしい」と言われて独立した。
それなのに、ほとんど家のことはできていない。
むしろ会社員の頃の方がまだやっていたのではないだろうか。
子どもたちの事にも興味が薄れていっていたように思える。
どこかで月利100万円超えたことへのおごりもあったのかもしれない。
これだけ稼いだのだから、家のことなんてやらなくていいだろうと。

この辺りから妻と話す時間はぐっと減り
自分の中でもよく分からなくなってきた。
妻も勝手に子どもたちを連れて義姉の家に行ったり、
どんどん関係が悪くなっていったのだ。

次回この関係を修復するために僕のやったこと。
妻の仕事のし方などいろいろ変化が起こる。

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