やわらかな鎖 -2001年5月
21世紀の幕開けとともに
わたしの朗読人生は、21世紀と共に始まりました。
2001年05月。
公演名は『女三匹』。
声優のあおきさやかさんが「Shizuka」名義でプロデュースし、中川亜紀子さんとの二人語りの公演を企画したもので、わたしはそのうちの一本をとお声がけいただきました。
語り手は二人だけれど、わたしも数に入れていただき「三人で取り組んだ」という意味で公演名がつけられました。
上演作品は、佐野洋子さん作の『女一匹』、江國香織さん作の『綿菓子』より二篇、そしてわたしの『やわらかな鎖』です。
会場は、キャパ80席程の銀座小劇場でした(2010年閉館)。
物語のあらすじ
主人公の香織は、死産をきっかけに実家に戻ってきた姉・史美と、母との三人暮らし。
辛うじて保たれていた家族のバランスが、母の入院をきっかけに変容する。
繰り返しさらけ出される「愛」という名の傷跡。
史美が追う我が子の幻影が、静かに香織を追い詰めていく。
ある日、香織が突きつけた現実が引き金となり史美が錯乱。そしてそれがまた香織の過去を抉っていくーー。
といったものです。
手探りで書いた、初めての朗読(当時は「語り」と称していました)。
ドストレートに重いです。
次作となる2015年『潮騒の祈り』と共に、若さの暴発といってもいいでしょう、荒削りな魂を劇場に叩きつけました。
当然「言葉の楽譜」はまだ存在していません。
お金を払って観て(聴いて)いただくというのも初めての経験でした。
つまりプロとして初めての作品だったわけです。
企画段階で、あおきさんに参考資料として池田昌子さんが語る『今昔物語』の記録映像を観せていただき、「語りとは何か」と時間も忘れて語り合ったのを覚えています。
そうなのです、わたしの原体験の朗読(語り)は池田昌子さんなのです。
当時は朗読といえば既存の小説を語るものが多く、わたしもソレに倣って小説のような形式で執筆し、書き上げたものを後から二人で語る範囲を割り振る、といった構成でつくりました。
ここは記憶が定かではないのですが、三人で稽古を重ねていく中で、言葉を折り重ねることはあったような気がします。
忘れられない思い出
今も忘れられないのは、幕が下りてからのこと。
劇場が涙で震えるといった場面を目の当たりにしました。
idenshi195でも大切にしている「声の力で空間が変わる」体験を初めてしたのです。
トリとしては荒削りな作品ではありましたが、若さゆえの熱情といったものが語り手のお二人の本気を通してお客様の心に届いたのを感じました。
当時の思いを遡って言語化すると、
舞台空間における朗読(語り)の醍醐味とは、声で空間を変え、演者と観客が想像力で繋がるところにある。
これに尽きます。
また、中学生とおぼしき女の子に握手を求められるという体験をしました。
熱い感想を伝えてくださったのですが、
「えっ。いいんですか。何を勘違いなさってるかわかりませんが、ワタクシ、ペーもペー、超ペーペーですよ!!(大汗)」と舞いあがってしまい、どんな言葉を交わしたかまったく記憶にありません。
でも、握手をしたいとまで思ってくださる作品が書けたのだと思うと、とても嬉しかったです。
この公演には親戚も大勢観に来てくれていました。
従兄弟のTくんの娘が絶妙な合の手を入れてくれたのも良き思い出です(笑)
赤ちゃんだった彼女も成人しています。
時の流れというのは早いものです。
今に繋がるきっかけ
この作品は後に、あおきさんを通じて水島裕さんに読んでいただき、2004年のDramatic☆Carnival OTODAMAの『ひかりの産声』に繋がることになります。
またそれがアニメの世界に飛び込むきっかけになるので「この公演がなければ今の自分ははあり得ない」という大切な作品です。
あおきさんには本当に感謝しています。
さいごに
この公演は恩師である脚本家の桂千穂さんも観にきてくれました。
公演直後にお葉書をいただきました。
「あなたには演出家としての閃きも感じました。
閃きは磨きをかけていないと消えてしまうので、いつまでも努力を絶やさないで頑張ってください」
未熟な教え子に対するエール。
未熟ゆえにわたしは思いっきり素直に真に受けました。
そうして演出の道も歩み出すことになったのです。
以来、落ち込んだときはこの罪作りな言葉を思い出し、自分を鼓舞しています。
いただいたサポートは今後の活動費として大切に使わせていただきます。