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不思議体験というほどのことでもない不思議
まったく怖くない小さな不思議体験の備忘録です。
わたしなりの怪異との向き合い方も書きました。
大阪にて
大阪で知人と食事をしていたときのことです。23時をまわろうとしていた頃だと思います。チェーンの海鮮居酒屋でした。明るい店内。平日の深夜ということもあり、人はまばらでした。
ふいに左肩のストールを摘んで後ろに引っ張られたので、振り返ったんですよね。でも背中合わせのテーブルには誰もいません。もともと人の気配もなかったので当然です。「ま、そういうこともあるか」と思い、なにも言及せずに向き直り、会話を続けようとしたら、一連の動きを見ていた向かいの席の知人が「なんですか今の(動き)!」と怯えていました。
知人からしたら、食事をしていた相手が急に何もない空間に向かって振り返り、肩を触り、首を傾げたあと、何事もなかったような顔で会話に戻ったわけです。驚くのも無理はありません。
日常に在る不思議
とはいえ、不思議なことのひとつやふたつ、生きていればあることで、わたしからしたら不思議体験というほどの不思議ではなかったのです。だって、ありません? 室内に吊るしたピンチハンガーが、風もないのにひとつだけ揺れるとか。(靴下とか、たまに揺れますよね)
それに怪異というのは、バグを起こした脳が見せるものだとわたしは思っているんです。万が一、それらの現象が意思を持つ何かだったとしても、相手にするから寄ってきたり憑かれたりするわけで。
今回のそれが誰かだったとしても、とてもシャイな人だった気がしますね。肩に触れるとか掴むとかでなく「ストールを摘んで引っ張る」ですから。小さな悪戯だったのかもしれません。禍々しい空気も感じなかったです。相手にできなくてすまんな、というハナシです。スクランブル交差点で、誰かとちょっと肩が当たった程度のアクシデントです。
それが怪異だったとしても
「まぁ、不思議なことはあるよねぇ」とのんきに生きています。怖がりさんに伝えたいのは、すべてをわかろうとするからわからないものが怖くなるんです。「“わからない”を楽しむ」と怖くないです。でもソレに心を許してはいけないです。ココは生きている者の世界、命ある者が強い。心を強く待てば付け入れられることもありません。これは人間を相手にするのと同じですね。
なお、わたしは霊感はありません。ないことになってます。おしまい。
おまけ
わたしが不思議体験だなと感じたのはこの五つ。
この夏、スペースで話しました。これらは印象的な出来事なので、不思議体験認定しています。機会があれば、またお話しします。
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