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【5回目の春のお彼岸】

春分の日は、風も強く天気も悪そうだったので前日にお墓参りに行きました。お彼岸とはこの日を挟んで前後3日の7日間と言われていますよね。

春分の日はお寺さんでお彼岸会が開催されるので、いつも激込みです。車が停められない事態になるのでそれを避けたい気持ちもあって前日にお墓参りは済ませました。

夫のお墓は家からそれほど距離は無く、ただ車でないと行き辛い場所に位置します。年を取って車が乗れなくなったらどうするのだろうかと最近は行く度にそのことが心配になります。東京世田谷の一等地にあるお墓をこれからどうするのか。場所は良いかも知れないけれど、行き辛いし管理費も高い。義母のお墓であり私の娘と夫もそこに居候させてもらっている。


この先の事を考えると、息子達が管理することになるのか。その次の代は孫達にお願いすることも勿論ある。先を思うとお墓制度も善し悪しだと真剣に考えるようになってきました。

以前はお墓参りは義父や叔母夫婦を車に乗せて行っていましたが、今はそれも止めました。色々な柵が煩わしくなったというのが正直なところです。
そして、一人で行った方が思うがままにお参りが出来ます。私にとっては大切な時間な訳です。

お墓を掃除して、お花を供え水も入れ・・・とさっぱりさせてから手を合わせる。どこにでもある光景ですけれど、何故こんなことをするのか。故人はどう思っているのだろうか。
お墓参りの一般的な意味は故人の冥福を祈り、日々を過ごせている事への感謝の気持ちを伝えたりすることでしょう。でもきっと故人の為でもあるかもしれませんが、自分の為だと私自身は捉えています。

きっと手を合わす行為が出来る場所を作れば、遺った者に意味のある事でありそれは心の拠り所となっていくからなのでしょうね。
今回は義父や叔母夫婦が一緒で無かったこともあって、思い切り自分らしく居られたことが嬉しかったし楽でもあったのです。
短い時間かも知れないけれど、そこは私と夫と二人だけの空間です。
いつもならば絶対にしないこともできますから。夫の事を思い出し墓石に抱き着いてひたすら涙する。こんなことも今までは出来なかった、と言うか親族が一緒だったら勿論そんな姿は見せられないと我慢してきました。

でも、だれも居なければ自由です。
誰の為のお参りなのか、それは勿論自分の為でもあるからです。

ふと思い出しました。
夫を火葬場へ運んだときの場面を。
誰でもこの場面は想像が出来て、当たり前の光景かもしれません。
火葬炉に入れる前に棺を取り囲み参列者全員で故人を見送る。

50年生きていれば、何度となくこの場面には立ち会って来ましたが最愛の夫の火葬となると今までの気持ちとは全く違う感情が込み上げてきました。
「どうして私と夫と二人きりにしてくれないんだ!」親や兄弟、勿論私たち夫婦の息子達も居るから、それを言っても無理なのは当然のことですけれど。


私はその時怒りと絶望の感情が込み上げてきたと共に、冷静を装い火葬を済ませお骨上げをし、骨壺に収骨しその後の初七日までを立派に終わらせなければならないとしっかりした女房を演じ続けた時間でもありました。

今でもその時の光景を思い出すと涙が出ますし、悔しさと虚しさと他にも何かが入り混じったような気持ちになります。
冷静に考えても、そこで私と夫と二人きりになるというのは物理的に無理なことも分かっています。参列している人達のそれぞれの気持もある訳ですからね。

しかし、ここで私はもっと感情を出しても良かったのではないか。と今になって後悔しています。
控室に移動する時あまりの哀しみで泣き叫んでいる人や、気を失っている方を目にしました。当然です。肉体そのものが無くなってしまう場面を目の当たりにした後なのですから。台車式の日本の火葬炉は棺ごとコロコロと転がるように中に押し込まれ扉が閉まる。あの瞬間は私だって膝から崩れ落ちそうなほどの感覚を覚えましたから。

その場面、その場面でしっかり哀しむことの大切さを来年の7回忌を前に今更考えています。
私の藻の作業はまだまだ続くことでしょう。

感情を表出させる事、我慢しない事、辛かったら辛いと口に出し誰かに伝える事。大切な事って沢山ありますね。
哀しみは時間と共に変化をしていく。でも終わりは無くて、もっともっと深いところへと落ちて行くようなところがある。
先日の新聞記事で大好きな作家「小池真理子」さんのご主人を亡くされた今の気持ちが掲載されていました。
作家さんの感情表現は美しいなと読ませて貰い、同じように苦しんでいる方が世の中には大勢いる、改めて一人で無いことを実感した記事でもありました。

この続きはまた次回に。

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