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【悲嘆のプロセス 怒りと不当感】

愛する人や大切な人を亡くしてしまった。
今まさにそのような状況に直面しようとしている。
そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。
辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。
現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。


前回の記事で4段階目の「怒りと不当感」について、当時の私の気持ちを綴ってみました。

では、今全くその時の気持ちが無くなったかというと薄れてはいますが全く無くなったとは断言できません。

一人になってしまったが故、やはり心配事は次から次へと出てきます。それは何故なのか。今までは困った時や不安な時は夫と二人で何事も相談し決めて来たからです。
でも、それも今は出来ないと思うとやはり不当感に感じる気持ちは再び沸き起こってきます。

しかし、死別直後から急加速でその気持ちが大きくなっていった時とは違います。

では、どうして今はその気持ちが少し落ち着いてきたのでしょうか。
明確な答えは自分でも分かりません。時間が経ったから?それも一つにはあるかも知れません。

ただ、グリーフというものは時間の経過では薄れていかないのは私自信が感じている事です。心はさざ波の日もあれば、時として大波の日もある。気持ちは常に揺れ動いていて、気を抜くと悲嘆が酷かった時に揺り戻されることだってあります。

話を戻すと、今はそれほどの怒りとなっていないのは私自信落ちるところまで落ちて(遷延性悲嘆症を患った)回復するときに、自分の心をコントロールする術を覚えた事も大きいのでしょう。


事ある毎に夫が居たらなんて言ってくれるか。と考えるようになったのも一つでしょう。常に、私の心には夫が居て会話が出来ている。もしかしたらそんな事かも知れません。勿論、妄想です。でも妄想だっていいのです。愛する人と何時でも一緒にいられると思うだけで心が穏やかになるのであれば。


死別後、身体の半分を失った感覚がいつも私にはありましたしその状態は何年も続きました。平衡感覚も無くなってしまったような。筆舌尽くしがたいとはこのことだと思います。


そしてここまで気持ちを立て直すには簡単な事ではありませんでした。長い長い真っ暗なトンネルを抜けて、やっと光が見えて来るまでにはかなりの年月がかかりました。


最近はこの感覚もやっと薄れてきました。
客観的に自分を観られるようになったからです。でもつくづく夫に似ていると思う事も数多くあります。
例えば思考の癖もそうです。バイクや車の運転は顕著なのかも知れません。息子達が驚くほど「貴方たち、本当に似てるのよ」と言われるほど。それはそうです。バイクの運転だって、車の運転だって私は夫に教わったのだから。そして遺伝子を分けたものが、そのように感じるのだからきっとそうなのでしょう。


でも、それは私にとっては嬉しい事です。だって、夫の存在は無くなっても私の半分は愛する夫なのだから。


怒る気持ちと不当感を抱えながらも、時には穏やかに夫と会話をしこれからも私は生きていくのだなと最近は思えるようになりました。


ここまで来るのには何年も掛かりましたけれど・・・だから、今辛く哀しい気持ちでいっぱいの方も、どん底で明日なんか来ないと思っている方も。
必ず朝が来れば日が昇るのです。




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