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汚れた手の哲学

 今日は仕事が休み。妻が用事で家を空けるというので、息子と二人っきりでの父子時間が訪れた。まずは昼食から。息子の食事は難なくクリアし、私が自分の食事を摂る間も彼はおとなしく一人で遊んでくれた。これもクリアだ。

 次なるステージ、近所の公園への冒険に挑戦。今日も息子は一生懸命に歩き、ベンチの上に必死で登り、落ち葉を拾っては楽しそうに遊んでいた。

 しかし、遊びの真髄は水道のある場所にて。息子は蛇口に夢中になり、流れてくる水をじっと眺めていた。水道の側には枯葉やゴミが溜まっていて、それにも興味津々。私たち大人が避けがちな「汚いもの」も、彼にとっては新たな遊びの種。いくら「汚いからダメ」と言っても、その言葉は彼には届かない。結局、彼が飽きるまで見守り、遊び終わったらすぐに手を洗い、その場を後にした。

 子どもと遊ぶ醍醐味は、彼らの世界には「常識」という概念が薄いことにある。彼らの目には、全てが新鮮で、興味の対象となる。そして、その純粋な探究心が、時には私たち大人の固定観念を打ち破ってくれる。今日もまた、息子から「汚いもの」に新たな美しさを見出す方法を学んだ気がする。子どもとの時間は、彼らの視点を借りて世界を見る貴重な機会。そして、そこには常に予想外の発見がある。息子との公園での一幕は、また一つ、私の「常識」に挑戦する面白いエピソードとなった。

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