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「祈り」にも似た言葉 井上ひさしさんへのエッセイ

★河出書房新社 文藝別冊「井上ひさし」2013年3月発刊 寄稿

 わたしが井上ひさしを「先生」とお呼びするようになったのは、二〇〇八年六月のことだ。
 紀伊國屋サザンシアターで上演された舞台『父と暮せば』の開演前。先生はロビーから少し離れた衝立の向こうで、御著書にせっせと署名されていた。お邪魔してはいけないと、ご挨拶だけするつもりでそっと声を掛けた。すると先生は、わたしを衝立の内に招き入れ「過去の時間を、溶け込ませたらいいと思うんですよ……」とふいに語り始められた。最初は、まさかそれが三ヶ月前にお渡ししたわたしの習作へのアドバイスだとは気付かなかった。先生は次々とペンを走らせながら、作品がどうすれば魅力的になるかプランを語ってくださった。さらに劇空間に於いて現在と過去の時間が美事に溶け合った際のときめきを。ふたつの時間の継ぎ目をどう書くのがいいのかも。——客席に着いたわたしは、先生からいただいた言葉を夢中でノートに書き留めた。劇場よ、お願いだからまだ闇に沈まないで。胸がじんじんと熱く痛いほどだった。
 こうして先生との〈研修〉が始まった。もともとの出会いは〇七年度の日本劇作家協会主催の戯曲セミナー。そこでの提出作を経てセミナーの上位クラスである研修課に進んだ。研修課は講義形式を離れ、講師となる劇作家との個人的な結びつき、いわば師弟制度のような形で研鑽を積んでいく。井上ひさしクラスのメンバーは、前年度に採用となっていた宮森さつき・石原美か子、そこに新たにわたしが加わった三名だった。
 お忙しい先生のこと、会合を定期的に持つのは難しかった。だが、お会いする度にそれはいつでも——毎公演ごとの劇場や仙台文学館など——かけがえのない研鑽の機会となった。先生からいただく言葉を書き留めては、次にお会いするまでに何度も心に刻みつけ、戯曲や小説を貪り読んだ。
 先生の言葉。きっと文字だけを取り出したならば、これが駆け出しとはいえ劇作家への言葉だろうかと首をかしげる方もおられるだろう。わたし自身もあの時には本当の意味が分からなかった。もちろん劇作の方法論にまつわることも沢山教えてくださった。たとえば先生の代名詞の一つである趣向について——「世界に敷いたルールを了解させた後はどんどん逆転させていくんですよ」。台詞術について——「人生で一回か二回しか言わないことを今、口にさせるんです。記号化された言葉を掘り起こし、本来の意味を宿らせるんです」。けれど研修の最後にいただくのは、もっと別の種類の言葉だった。
 『ムサシ』初演の幕が開いたあとの研修会は、鎌倉の「門」という喫茶店で行われた。先生はわたしたちの作品に講評をくださったあと、ご自身がこれから書こうとされている新作について語ってくださった。新作の構想は一本だけではなく、常に何本も書きたいことを心に留めておられるようだった。やがて『木の上の軍隊』と名付けられるその作品を、拝読することはもうできない。でも、これから生み出す作品を語られる先生の目を、わたしは決して忘れない。それはぎらぎらと滾るように光っていた。「面白そうでしょう」と柔らかく仰る口調に反して。内なる熱の温度を確かめるように。
 先生とお会いしなければ、と想像することがある。特に新作に取り組んで苦しい時には。そうしたらもっと気軽に書くことに向かえるだろうか、資料収集も中途のまま閃きだけを頼りに書き進むことができるだろうか。しかしそれは瞬く間に打ち消される。頭の中に、背中を丸めて一心に手帖に書き留められているお姿が浮かぶ。ぎゅうぎゅう書き込まれたプロットが浮かぶ。膨大な量の本。書斎に並ぶ多岐に渡る資料ファイル。豊かな経験と圧倒的なエネルギーを注ぎ込んでなお、新作には険しく遠い山に登攀するような決死の覚悟で挑まれる。常に第一線の創作者であり続ける以上、楽になる日は来ないのだと知った。生半可な覚悟ではこの道は進めない。それでも先生は書き続けておられる。厳しい闘いの中で、素朴な、けれど確かに光るひとの心、星々のようにきらめく営みを描写するために。
 〇九年、わたしも劇団を立ち上げた。おそれながらも、井上ひさしという灯台の光が遙かに照らす大海を漕ぎ出そうと決めた。旗揚げ公演からもう三年——まだ三年だが、あの頃よりはずっと、先生がくださった言葉が胸に迫る。
 研修の最後に先生はこう仰った。「今日一日を楽しく、そして必死に生きなさい。その積み重ねが一生を創るんです。あなた自身の力で、心をよい方向へ向かわせなさい」。——今なら分かる。しなやかな心で健やかに生きること。隣り合う人と手を携え笑いあうこと。目に見えない大切なものに心ふるわせ掬い取ること。そうしたすべてが気力と体力を充実させ、孤独な闘いに打ち克つ勇気をくれる。先生はわたしたちに「生涯書き続けていく」作家になれるよう言葉をくださっていたのだ。険しい道を照らす、祈りにも似た言葉を。

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