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【きっかけ】 #002 〜息子が学校へ行けなくなり、 そしてまた 「勉強がしたい」と、自分で動き出すまでの5年間を通して〜

今日は、どんなきっかけがあって、そうなっていったのか、
はじめのところを書いていこうと思います。

学校へ行けない、不登校ー、
その理由やきっかけは、本当に人それぞれ、
きっかけは「それ」でも、
理由・原因は様々に重なり、一つ二つではないんだと思います。

また、その時は、理由・原因がわからない、
ということも少なくないようです。
それは、本人も、周りにいる人も、です。

「原因探しは ほどほどに」

これは、川崎市子ども夢パーク・フリースペースえん代表、西野博之さんが語っていた言葉です。
「学校に行けない・行かない理由をしゃべれるのは、本当に少ない」
「実は、本人もわからない(ことも多い)」と。

この言葉に出会った時、私は、励まされました。

親だから、母だから、〇〇だから、子どものことがわかるはずだと、
そんな風に、必死になって探し続けることで、
知らず知らずに、
どうしてどうして、と
自分を責めたり、周りを責めるカタチになっていったら、つらいですよね。

どうしてそうなったんだろう?と、
(最初の状況だと、どうしてこうなっちゃたの!!??涙!!)と、
原因を探すこと、もちろん当たり前だと思うんです。
でも、
わからないこともあるんだね、って、思えたら
少し気持ちがゆるむような気がします。

「原因探しは ほどほどに」
本人を追いつめない、周りも追いつめないということでも、
私は大事な視点なんじゃないかなと思います。

他に、

・身体に反応が出た時は、身体の声を聞くしかない

・学校に行けない時をポジティブに生きる

・おどさないで、「大丈夫だよ」を子どもに届ける
 (おどす、たとえば、こんな感じ →「このままだと〇〇(ダメ、とか)になっちゃうよ!」)

・安心できる環境を

西野さんに出会った時の、その言葉はとても大きかったです。
大きかったというより、衝撃でした。
今まで私に見えていなかった、なんだか安心できるような世界が、広がっていくようでした。
またこのことは、後日、書きますね。

それでは、今日は、「きっかけ(〜うちの場合は〜)」
を書いていきます。
しばし、お付き合いくださいね!

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きっかけ 
「息ができない!」 5歳の時のアナフィラキシーを思い起こして

小学2年生の夏休み。
友だち家族たちと泊まりで遊びにいって、最終日の夜、みんなで楽しくわいわいと、花火をしていたときのことです。
夢中で花火をしている時、息子は花火の煙を吸って苦しくなってしまい、
急に「死んじゃう、死んじゃう」と泣き叫び、大騒ぎになりました。

水を飲んだりしても、違和感がなくならず、
息子は怖くなり、走り回りながら大泣き、
救急車を要請しました。

その間、ママの中で看護師さんがいて、
背中をトントン叩いたり、
「コホンって咳払いしてごらん、大丈夫よ」
という声かけのもと、その苦しさはおさまっていきました。
救急車に乗ることもありませんでした。

息子は、5歳の時(保育園年中の2月)、アナフィラキシーで入院の経験がありました。
原因はマカデミアナッツでした。

食べてすぐ、息子が「変な感じがする」と言ってきて、声も少しガラガラしていました。
わたしは、魚の骨か何かを詰まらせたと思い、
水を飲ませたりしましたが、よくならず、
夜7時を過ぎていたので、夜間の救急診療に電話をしました。
「すぐにきてください」ということで、
息子を自転車の後ろに乗せ、病院へ行きました。

電話をしてから、病院での2時間、
じんましんの全身症状、酸素吸入、点滴、注射も量を増やして打つ状況になりました。
私は、息子の名前を呼ぶしかない状態がありました。

退院し、後日、主治医の先生から、
「この病院の3年間で、5本の指に入る重症度」と言われました。
その時息子を診ていた先生から、主治医の先生に何度か電話があったそうです。
そういうことは1回はあるけれど、何回もかけてくることはない、と。
そして、
「次、このようなことがあった時は、必ず救急車を要請してください」
とも言われました。

今回の、花火の煙を吸った苦しさは、その時のことを思い出したようでした。


続きは、次回#003にしますね。
お読みいただき、ありがとうございます。

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